近未来への希望ある生きかた戦略


 

光の人モード

3月15日の記事『社会からの多様性要請は疑問』について、更に考えを深めてみたいと思っています。

この多様性要請によって、「人間」と価値観の水平化、平均化、画一化が世界中で進んでいると感じています。その揺り戻しと反動として、ヨーロッパもアメリカも、そしてわが国も、ナショナリズムへの意識が高まってきました。ナショナリズムの是非は別としまして、正常な反応だと思います。

「人間」の水平化、平均化、凡庸化については、130年も前にニーチェが「民主主義化によってそうなるだろう」と予言していました。(『善悪の彼岸』) これについてはまた稿を改めようと思います。

民主主義は少数意見の尊重だといくらお題目を唱えても、多数により決します。現代は目的的思考が強く合理的な結果主義が蔓延しています。プロセスの意義が希薄になっている。合理的および功利的に、時間の無駄を避ける効率化が進んでいるのは議論も同じ傾向です。

 

アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908-1970)は次のように述べています。

いまの世の中では、論理的に構造化された思考や文章、分析的で明確に言語化された現実的な思考や文章こそが、優れたものだと見なされている。

だが、より詩的で神話的に、より隠喩的に、ユングの言う意味において、より原始的になる必要があることは明らかである。

(日本経済新聞出版社 A.H.マズロー 『完全なる経営』 p280 )

 

上記について、同書の監訳者である金井壽宏は次のように解説しています。

常識的な考え方を逸脱しないことで、自分をよりいっそうプロらしく見せ、自制心のある現代社会の一員であることを示そうとするのだ。だが、このような態度を取っているうちに個性を失い、個人の内面にある創造性や喜び、ユーモア、学習、革新の源泉を枯らしてしまう人間が少なからずいる。

(中略)

組織に規律や枠組み、専門性は不要で放浪をよしとすると言っているのではない。ただ、前述のような態度を取ることで何を失うか(あるいは、すでに何を失いつつあるか)を、とくと考えてみるべきだと言いたいのだ。

(上記同書 p281 )

 

偉大な心理学者であるマズローでさえ、学会から画一主義的圧力をかけられたとしています。

専門的であること、プロフェッショナルであることを、近代的価値観は高く評価してきました。高年齢の経営者ならば、ほとんどが「プロフェッショナルたれ」と言うでしょう。しかしこの考えかたは、私は、もう古くなっていると考えています。

プロフェッショナルとは、与えられる対価に対し妥当以上の製品やサービスを提供することに、プロであることを言います。「お金を頂いているのだから」という意識が根底にある。もちろんそれは間違いではないのですが、そうした功利主義的価値観によって、人間の「モノ化」が進んできたのです。

近未来の問題として、プロ化した技術的専門的分野はロボット化が進むことでしょう。

近未来の世界において、「より人間的な」が求められるのは自明であります。

目先のことに振り回されるのではなく、5年後10年後を見据えたときには、今の流れで誰もが考えつくようなテクノロジーの進化に乗っかるのではなく、合理性、論理性、画一性、効率性などによって失われている、「感性」や「感情」「情緒」に対してミートしていくこと(仕事においても)が、先取的な未来の生きかた戦略ではないかと、ほぼ確信しております。

そのように考えれば、人格的な高齢者の活躍の場が広がる可能性を見い出せますし、日本人の中には良質な文化・思想が眠っているとも思うのです。高齢者がロールモデルとなれば、若年齢層の人たちにも、一筋の希望の光が射し込むのではないでしょうか。