ダイバーシティの「次」を見て生きる


 

谷の人モード

ダイバーシティ(多様性を認め活用する)の時代だと言われ、小池都知事の3つのスローガンの一つでもあるのですが、価値としてのモデルというのは時代とともに移り変わってゆきます。

多様性を認める寛容、人それぞれの自由を尊重すること、差別をしないこと、いろいろと言われる2010年代ですけれども、2020年代は、「きちんと差別しなさい」「秩序をとりもどそう」という価値の時代になるかもしれません。あと30年たったら、ヤクザ渡世の任侠道を見直す機運が高まるかもしれない。こればかりはわからない。いろいろと反動もあるでしょうし、トランプ氏がアメリカ大統領になるほどですし。

人の社会的性質のロールモデル、或いは成功者のロールモデルにおいても、同じことが言えます。一般経済界を例にとりますと、かつては一つの会社の社員であることを終身まっとうすること、或いは会社の社長になって多くの人を雇用することなどがロールモデルとされてきましたが、現代ではすっかり変わりました。

価値観はさらに合理性を増し、「自分の時間とお金」を損しないことや科学的に検証されたものを重視し、心や経験に基づくものは軽視する、そういうタイプの人が成功者または成功者になりえる人としてロールモデルになっています。

100年前、200年前を振り返った時、その時代のロールモデルに理解は示せるけれども、現代ではモデルにしようと思わない人がほとんどではないですか。もちろん歴史に名を残した立派な人は除いて。

そうして現代的な価値観のモデルに私たちは憧れたり嫉妬したりしていることが、200年先の視点をとおしてみると、いかに馬鹿げたことなのかがわかります。その馬鹿げたことのために、成功者になるためにはああしなさいこうしなさいと、身近なことでいえば正社員として成功するため、多様性を認める社会のため、他人の自由を尊重するため、弱者を大切する社会のため、差別をなくすため、善人になるために、「こうすればよい」といった本(電子書籍を含めて)やネット上の啓蒙が巷に溢れているわけです。

そんなこと言っていても、遺伝学によって人間のさまざまなことが解明されていけば、多様性を認める社会というスローガンはもろくも崩れ去っていくことは自明と言ってよいでしょう。「白人も黒人も日本人も男性も女性も『無条件に平等』」なんていう夢の世界がいかに現実的でないかを遺伝学は示してゆくと思います。その『平等』には条件がついていくようになるのが科学の流れでしょう。誰も逆らえない。

 

こうして時代が流れるにつれて、“Good” という価値はどんどん変わってゆく。なのに私たちは今日までの “過去のGood価値” しか追いかけていないのです。ああなりたい、こうなりたいという、追いかけるモデルは過去に出来上がったモデルであって、10年先のモデルにはなっていない可能性が高い。そのことに連想が及ばなければ、10年たった時に、時代に取り残された自分にようやく気づき唖然とする、そういう想像はちゃんとしておいたほうが良いと思うんですよね。

団塊の世代の人が「俺は一つの会社で勤めあげたんだ」と胸を張っても、現代の現役世代に言わせれば「ああ、あなたたちの時代はそれで良かった、ずいぶん楽な時代でしたね。おまけに年金までちゃんと貰えて。」と批判され、「わき目を振らず一つの会社に勤めることが善だ」とアドバイスしようものなら白い目で見られることでしょう。加えて団塊世代の人たちは福祉財政で若者の足を引っ張り、今の社会のアンチロールモデルというわけです。現代における反面教師です。でも彼らは古い時代に善とされたロールモデルを目指し、辛い思いもいろいろあったでしょう、こつこつと頑張って生きてきたのです。結果としては良い循環の社会を築けなかったとしても。

このような悲劇を繰り返してはならないと思うのです。

他人や社会が(現在までの)過去の価値観に沿って、ああしなさいこうしなさいと言っていることに惑わされてはいけません。選別できる判断力を養わなくてはならない。長く続く価値は稀にありますが変わらぬ価値はない。

自分で未来を考えて、自分独自のモデルを自分で創造していかなくては。

と、自分に言い聞かせています。