地球に「意識のような何か」は有るのだろうか


 

土の人モード

上の写真の視点で地球を眺めてみましょう。
地球は太陽の周りを時速10万キロで高速移動しています。と同時に地球自体も自転していて赤道付近の自転速度は時速1667キロ、日本のほぼ中心である北緯35度付近で時速1366キロです。音速よりも速いスピードでぐるぐる回っているのに地球から振り落とされませんね。人体への影響は不明ですが、なにかあるのではないかと想像しています。

公転と自転の生み出すエネルギーはとてつもなく大きなもので、人類社会のエネルギー問題を簡単に解決してしまいそうですね。潮力発電は地球の自転と月の公転による潮汐力を利用したシステムですが、海の利用はなかなか難しいようです。自転エネルギーを取り出せる他の方法を人類は考えつくのでしょうか。もう私は生きていないでしょうけども。

 

この地球上にたくさんの人が生活し、生死を繰り返しているのですが、もし私たちが生きることに何らかの意味や目的があるとすれば、地球のためという想像が一番しっくりきます。人は死ぬと単なる物質になってしまい、意識は消え去ってしまうようですが、物質になぜ意識が生まれるのかというテーマは、科学的に未解明であり、哲学的にも意識の難問とされています。

これを地球に置き換えたとき、46億年も生きている地球に、「意識のような何か」が無いとは言い切れないと思うのです。あくまで「ような何か」で、植物に意識があるのかないのかわかりませんけれども、人間の知性など到底およばないところに宇宙のはじまりが(始まりが無かったかもしれませんが)あったことを思えば、新陳代謝をし続けているような地球にも、植物にも、人間意識「のような何か」がむしろ有って当然ではないかと考えられるのです。

二酸化炭素排出によるオゾン層の破壊、森林破壊、海洋および大気の汚染などなど、地球環境破壊に歯止めをかけようとするインターナショナルな動きや、NGO団体などの活動もありますが、そのほとんどが人類種保存という目的であって、本当に地球のためかどうかはわからない。

ジェームズ・ラブロックは『ガイア論』で次のように述べています。

私たちが自らを改めて、正式な支配人あるいはこの惑星の全生物を世話する親切な庭師になれるのだろうか。そのような問いを立てること自体が、あるいは自らの天職を地球の支配人であると思うこと自体が、たいそうな傲慢であると私は思う。

(中略)

よく考えれば、気候、海洋、土壌の円滑な運営の責任を永久に背負っていくような、そんな途方もない仕事に縛りつけられるほど恐ろしい運命は、他にないのではないか。ちなみに、私たちが森羅万象を侵し始める以前の時代には、気候、海洋、土壌はガイアからの無償の贈り物だったのだ。

 

彼は、地球環境を論ずることができるほど人類は偉大なものではなく、地球全体が一体となって、その一部を人間が担っているという感覚をもち、他のさまざまな種の生物たちと協調して生きていくべきだと述べています。

身体の外部の物体として地球をとらえる感覚が一般的かと思いますが、「地球の身体の一部が私という物体」との感覚をもてば、私の意識が地球の「意識のような何か」と一体化しているように感じてくるから不思議です。