ブルーオーシャンへ行こう


 

光の人モード

昨日記事ではチクセントミハイ(ハンガリー出身のアメリカ人心理学者:現在82歳)のフローついて書きました。今日はフローと活動を併せ希望へと昇華させることについて書いてみます。

チクセントミハイは現代人について、「社会化されてしまった人」が多いと嘆きます。社会化されてしまった人とは、社会の隷属状態にある人のことを言います。

 

完全に社会化された人とは、望むはずであると周囲の人々が考える報酬 ― それは遺伝的にプログラムされた欲望と結びつくことが多い ― だけを望む人である。彼は生き甲斐となる可能性を秘めた無数の経験に遭遇するだろう。しかし彼はそれを望まないためにその可能性に気づかない。彼にとって問題なのは、現在自分が何をもっているかではなく、他者から望まれたことをすれば何が手に入るかなのである。

(中略)

しかし我々は本能的欲望に身を委ねることによって社会の統制から自由になるのではない。苦痛と快楽は意識の中に生じ、その中にのみ存在する。人間の生物学的性向を利用する社会的に条件づけられた刺激~反応のパターンに従っている限り、我々は外から統制される。

(『フロー体験 喜びの現象学』)

 

「望むはずである周囲からの報酬」とは、周囲の人たち(他者や社会)が、「あなたにこの報酬を与えて喜ぶことが当然、私たちもそうだから」という報酬のことを言っています。それ以外の報酬を求めないし、考えつくこともないのです。

社会化されてしまった人というのは、要求に対してのみ応答する人で、その応答によってどのような、どれだけの利益を手にすることができるかが、彼の関心事なのです。

言葉を変えれば、ニーズ(オファーや募集)に対して自分の労働を供給し、その労働によって受けられる金銭的利益はどれくらいなのかが関心事であって、もしニーズがなければ彼は何もできないし、もしニーズがあっても金銭的利益が割に合わないならば、そのことのみをもって彼は労働をしません。

これをあたりまえのことじゃん、と思うのなら、もう隷属根性が染みついてしまっていて、かなり社会化病の重症患者になっています。なんとか抜け出しましょう。

ミハイは、学校や教会などの公的制度から始まって、ありとあらゆる周囲の環境は我々を社会化に導き、我々のエネルギーを搾取する社会システムに我々を依存させるようにはたらきかけるのだと言います。

要するに、社会や会社が面倒見てやるから気楽だよ、という誘惑によって他律志向の人間にさせられてしまうのです。与えられるのを待つのみの受け身の人間へと。

刺激を与えられて初めて反応する。みずからが刺激となろうとなんて露ほども考えない。まして何もないところにニーズを作ろうなんて夢にも思わない。みずからの手で金銭以外の価値を仕事に与えようという発想がない。仕事は苦痛にこそなれ快楽になどなるわけないと思っている。

という心理的監禁状態にもしあるのならば、なんとか脱獄してください。

 

他律による生産性は自律による生産性の3分の1以下と言われることがあります。そして、単なる自律による生産性は、フローの状態の生産性の5分の1以下です。仕事に置き換えるとするならば、他律によって自分がする仕事は、自律&フローによって自分がする仕事の15分の1以下なのです。生産性と達成感が天と地ほどの開きがあるということです。収入はもしかしたら変わらないのかもしれませんが。

フローの状態で仕事ができるというのは、単に好きだから、単に得意だからというレベルとは全く違います。我を忘れて没頭するほど夢中になってしまう、生き甲斐になってしまう、そんなレベルのことになります。

希望の塊となって、全身から四方八方にオーラが出て輝いているフロー状態で仕事ができる自分を目指してみませんか。

 

世界は広大なブルーオーシャンです。