雑学せず。故に明らかなり。


 

風の人モード

あちこちに手を付けまくって、さらにそのほとんどについて深く掘り下げ手を加えなければならない、そうした課題が山積している、この宙ぶらりん状態が創造力を生み出す状態として相応しい。というのはひらめきを体験している経験上なのですが、それでも抱え込み過ぎてしまって積載オーバーかなあ、と感じることがあります。それが昨日までの状態、ということに気づいたのが昨日でした。

こうしたときに、その解決方法も心得ています。

昭和の碩学、安岡正篤(1898-1983)の書を読むというのが私のその方法です。

ちょうど良い訓戒の文章がありました。

タイトルの「雑学せず。故に明らかなり」は、中国の『文中子』から安岡先生が引用した言葉の一部です。

 

広く求めるとどうしても散漫になる。その一例が雑学であります。雑学すると、頭がこんがらがって雑駁になる。生命の一つの重要な特質は純一ということ、統一調和ということであります。

だからわれわれの栄養にしても、よく消化するということが第一で、消化するとは、食物が身体や生命に統一調和することでありますから、消化を無視して摂取すれば、胃腸障害を起こして却って生命をおびやかすことになります。

それと同じで、雑学は精神の消化不良を起こす。過ぎると脳酸過多、脳潰瘍を起こす。酷くなると人格破産、精神分裂ということになる。

(安岡正篤著『人生と陽明学』)

 

散漫になって脳が疲れ、忘れてしまうことを脳が強制し、忘れてから数日後に雷光のように閃くのがクリエイションなのですが、20代のときと同じように何でもかんでもどんどん情報を入れ込み、次から次へとどんどん消化してくれると過信していたのでしょう。悔しいけれど、脳の疲労回復に少し時間がかかるようになりました。

さて、宙ぶらりんに散らかしまくった作業テーマの、どこから手を付けようかと全体的に俯瞰するとうんざりしてどうでもいいかとなる。いやまあ、どうでもいいんですけどね(苦笑) いやどうでもよくない!他人さまが絡んでいることは先行してちゃんとやらないとと、深く反省したふりをしている次第です(苦笑)

それは冗談としてまじめにちゃんとやります。

 

21世紀は情報が洪水のようにあふれていて、なおも洪水の量が増えている感じがします。情報の取捨選択というよりも、強い意志をもって「好奇心よ、静まれ!」と。

特に、自分の魂が汚れてしまうようなイメージの情報は避けた方が良い。

雑事に思考を使わない。節約し、その分を大切なところに注力する。

言うは易く行うは難し。自力では難しい時があります。

ここ数日は一日20分くらい安岡先生にお世話になり、改めて自分に一本の筋を通そうと思っている次第です。同時に、鼓舞されようと。