若者よ、孤高となれ


 

山の人モード

最近の風潮に、「ものわかりのよい人になりなさい」というのがある。他者の個性を認め、自由を尊重し、その個性や自由に対し批判してはならないと。批判された者の傷つく心情を考えろと要求する。

かような負荷のかからない、ひょろひょろとした軟弱な精神を育てるような母性社会からは一目散に退散した方がよいだろう。

若者よ、やわな母性社会から逃げよ。孤独へ逃げよ。

 

名著と言われる精神科医アンソニー・ストー(英・1920-2001)の著書  『孤独』 より引用する。

 

何年か前に、友人のある哲学者が、古代ギリシアの時代から西洋の偉大な哲学者の大多数は個人的に親密な人間関係や家族関係をもとうとしなかった、と指摘した。このことは私に、孤独と、抽象的な思考において何かを創造することの間に、ある種の関連性があるのではないかと疑問を抱かせたのである。

ニュートン、デカルト、ロック、ヒューム、パスカル、スピノザ、カント、ライプニッツ、ショーペンハウエル、ニーチェ、キルケゴール、ヴィトゲンシュタインとった哲学者たちは、もし妻や家族があれこれと要求することに悩まされていたならば、おそらく彼らの偉大な哲学を創造することはできなかったであろう。創造的な思考はおそらく、誰からも干渉されない孤独な長い期間と情緒的な要求が何もない状態を必要とするのである。

(中略)

そして、とりわけアメリカ人たちは、子どもはいつも友達と一緒に遊ばねばならないし、もし子どもが独りでいたいと望むならば、それは奇妙か異常であると信じて疑わなかった。そして、そういう確信のもとで子どもを育てる傾向があり、それは今も認められるのである。

(中略)

本書は、とりわけアメリカ合衆国の人々に好評を博している。多くの読者が、本書によって自らを正当化することができたといって、著者の私に感謝の言葉を寄せている。これらの人々は、かなりの時間を独りで過ごして楽しんでいたが、家族や友達からは、そうすることが反社会的あるいは異常だと言い聞かされていたのである。

(中略)

先に挙げた偉大な思想家たちは自己中心的で、他者の相いれない、要するに「自己愛的」な人であり、他者の福利よりも自分自身のなかで進行することに心を奪われていた人といってもよい。

同じことが多くの作家、作曲家、画家にも当てはまる。創造的な人は、自分が創造するものを通して自己発見、主体性の変革、そして宇宙に意味を見出すことに絶え間なく努力している。

創造的な人はこのことが貴重な統合過程であることに気付いており、その統合過程は瞑想や祈祷と同様に、他人にはほとんど関係がないが、それ独自の有効性をもっていることを知っている。

創造的な人にとって最も重要な瞬間は、何か新しい洞察を得るか、あるいは新しい発見をする瞬間である。

そしてこのような瞬間は、必ずとは言わないまでも、主として独りでいる時なのである。

(アンソニー・ストー著 『孤独』 創元社 )

 

ここで勘違いしてはならないのは、やむを得ず孤独に暮らしているのではなく、無気力なニートのようにこもっているのではなく、人と接触するのが煩わしいからというのでもなく、孤独を自分自身にとって有用化するために、自分の精神の健全さを保つために、積極的に孤独の状態を自らつくっている、ということである。

いや、彼らの本能が群れることを否定し直観的に孤独を選択する、ごく自然な行為なのかもしれない。

 

現代日本の母性社会は創造者タイプを生成できない。

なぜならば、創造とは常に、抵抗や負荷を自力で克服しようとする精神に宿る生成物だからだ。壁無くしてどうして壁を乗り越えようとする精神が生まれると言うのだ。筋力は破壊され再生されることでより強くなる。傷つかない精神はいつまでたっても軟弱なままだ。

現代の風潮に染まってならない。そうしたコミュニティーがあればすぐに離れよう。

孤独は自己中心的だという。そのとおりで良い。他者中心で他律によって自分の背骨が融解し、いつのまにか軟骨になっているよりはよっぽど良い。

孤独は自己愛的だという。そのとおりで良い。自分を愛するからこそ自分への負荷を求めるのだ。まったく耐えられないほどの強い負荷をかける必要はない。ぎりぎり耐えられない負荷をかけ自ら傷を負おうとするのが正しい自己愛だ。ぎりぎり乗り越えられない壁を乗り越えようと意欲することが正しい自己愛だ。

 

善人たちに、高潔の士は邪魔者だ。

そして彼らが、高潔の士をひとりの善人と名付けるときでも、それは、そうすることで、彼の性根を抜いてしまおうとする魂胆なのだ。

(ニーチェ著 『ツァラトゥストラ』)

 

みずからを “謙虚に” 善人になろうとする者としてこの軟弱な母性社会に馴染もうとするよりも、若者よ、孤独にあってみずからを “高潔の士” と位置づけ孤高となれ。

牙を抜かれるな。

社会に迎合しようとせず要求をはねつけろ。

主体的に自分を正しく愛そうじゃないか。

善い人だと褒められてはならない。

ものわかりのよい人になれば反骨精神は死ぬ。

それは社会の奴隷としての一歩目だ。

 

君の高潔な精神の手によって、人の目に光が宿らない現代社会を破壊してくれ。

健全で骨太な未来社会を創造してくれることを願う。

そのために、若者よ、孤高となれ。