幾つになってもこころざし


荒川区南千住にあるスサノオ神社へ行ってきました。

昨日記事に書きましたが、今日の午前中、無事に公証人役場で定款認証が終わり、法務局へ出向き登記申請を完了しました。設立です。2月1日という日がなんか好きなんですよね。生まれ月の始まりの日だからかもしれませんし、2、1、0、どっかーん!のカウントダウン的雰囲気が好きなのかもしれません。12か月の中で2月の1日が特に好きなんです。

無信仰なので神頼みはしないのですが、なんとなくモチベーションが上がる気がして、約1時間かけて荒川区南千住へ。

なぜかと言えば、ネットで友人となったかたに、私の印象はスサノオだと言われたことがあって、たしか人格が多面的だからと。(いや、破壊的だと思っていてもそうは口に出せないよね、苦笑)

というわけでずっとスサノオが気になる存在になっていたのでして、じゃあ、スサノオの神社ってどんな感じなんだろう、この機会に行ってみようかなと。

さすがスサノオだけあって神社の雰囲気が力強かった。

誰かと一緒であれば、お賽銭入れて拝むのを付き合いますが、独りだったので拝みませんでした。いろいろと写真を撮ったりしてましたから、タダってわけにもいかないなあと思い、記念品として勝守を買いました。黒のお守りって珍しくないですか? かっこいい! 思わずこれを!

 

静かな船出ですが、心の内面は炎で燃え盛っております。スサノオ魂注入してきましたし。

大志を抱く権利は少年にだけあるものではなく、万人にある。昨年101歳で亡くなられたむのたけじさんは、反骨の炎を死ぬまで絶やさずに志をもっておられたと思います。心理学者のカール・グスタフ・ユングは85歳で病床の身にありながら死の直前まで著書を書き続けていた。

なぜ老いてなお、そうまでして頑張るのか。頑張ることができるのか。

それは、「伝えたい」からなのだと私は思う。

自分の死後に生きる人たちに伝えたい熱い志、伝えたいことば、伝えたい哲学、伝えたい気概。

命の灯が細くなりながらもなお、大きな炎として燃えさかる。燃え尽きるまで全力で伝えきろうとする。

 

80歳にして新たな志を抱き立ち上がる人がいていいじゃないですか。

昭和までのロールモデルは年寄りになれば盆栽をいじって、ラジオ体操に出て、旅行を楽しんで、若者たちから離れ隠居して余生を暮らすスタイルだったのでしょう。

耄碌して認知症になってしまったり病弱になってしまったり、気力が萎えてしまったりした人は仕方ありません。

けれど今の時代、まだまだ気力充実していてエネルギーが余っているにもかかわらず、隠居常識へと自分で自分を押し込めてしまっている60代70代の人、多数おられるんじゃないかと思うんですよねえ。それは社会損失ではないですか?

 

人生80年と言われていましたが、最近では人生100年へと徐々にシフトしています。70歳になったとしても、まだ30年間あるんですよね・・・。

世を憂い社会変革を思うのならば、まずは自分変革ではないかと、世間の古いロールモデルに追従することはないと、今日スサノオが私にそう耳打ちしてくれました。

 

こころざしはできています。

がんばります。

 

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