美しさを看(み)て、心が観(み)る

今年の3月は6年ぶりに寒い日が続きました。桜の木はそんなことなど意に介せず、花をつけていきます。 日本人は、春の桜にさまざまな心情を重ねます。美しさを感じとる感性が歓ぶ。そこから一歩踏み込んで情を混入する。わが身と重ね合わせることもある。しみじみとしてくる。 風情。情趣。   いま桜 さきぬと見えて うすぐもり 春に霞める 世のけしきかな &nb... Read More

自己責任と偶然性

2002年にアメリカ主導によって始まったイラク戦争。2004年に日本人が人質となって解放されたり殺害されたりしたことがあった。 あのとき、日本政府は退避勧告を発令しイラク周辺国への入国を禁止した。にもかかわらず留まったり入国したということで、人質となった日本人に対し、日本社会の世論は自己責任論でバッシングした。私も当時は、無謀な活動をする人たちは自己責任な... Read More

社会からの多様性要請は疑問

多様性(ダイバーシティ)に対応することがうるさく言われる時代になりました。ダイバーシティはポリティカルコレクトネスを主張する運動によく表れています。 以下、Wikipedia から引用します。 ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness、略称:PC,ポリコレ)とは、日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に... Read More

「教育勅語」に縛られるな

日本の最高峰の議会である国会では、連日のように非建設的なワイドショー的話題に多くの時間が割かれていますが、いい加減にしてほしいと思います。   そのなかで出てきた「教育勅語」のお話。 稲田防衛大臣はどうやら、「教育勅語を復活させて道義国家を目指すべき」というふうに考えているようです。私的には、国難の際には天皇の臣下として皇道を守れという文言は憲法... Read More

「天」について

西郷隆盛は「敬天愛人」を座右の銘としました。 天を敬い人を愛するという、短く単純な教科書的意味でとらえて間違いはないのですが、天を敬うとはどういうことか、天とはなにか、人を愛するとは博愛主義なのかと、いかようにも掘り下げることができます。 『老子』でも『論語』でも、並んでいる漢文字は少ない。その少ない漢文字をどのように訳すかは、書き手の文脈だけでなく、読み... Read More

今夜はライトに

2017年スタートとともに始めたこのブログですが、当初は、4年間アメーバブログで書いてきたような堅調なスタイルではなく、もっとライトで軽はずみな冗談をふんだんに書き散らかしていこうと思っていたのですよ。 ところがどっこい、なんでだろうな、なんでかなー、ほとんどの記事が、ディープで堅い話題になってしまっているではありませんか。   すみませんね、ほ... Read More

変革の実践、『陽明学』

東郷平八郎、西郷隆盛、吉田松陰、三島由紀夫、高杉晋作、佐藤一斎、大塩中斎(大塩平八郎)、彼らの共通点は何だと思いますか。 今日は『陽明学』について少し書いてみたいと思います。 世間では陽明学と言うと、すぐ革命的な思想・学問、世紀末的な暴動、叛乱の論拠になる学問、又陽明はその典型的な人物である、という風に考える。従ってこれは、信奉する側からいえば革命の書・思... Read More

「見えない」ことは欠落ではない

「見る」ことそのものを問い直す、新しい身体論 このコピーライトいいと思いませんか。下記の本の帯に書いてあることばです。さて、3記事連続で書いてきましたが今回をとりあえずのラストにします。 前の記事からのつづきです。   伊藤亜紗著 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』   視覚障碍者に限らず、障碍をもっている人に対して私たちの... Read More

五感という分類常識を忘れてみる

前の記事では、伊藤亜紗著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』第一章「空間」から、目の見えない人の空間感はハイレベルな三次元世界観だということが分かってきたことを書きました。 この本が注目されたのかされなかったのかは分かりませんけれども(現在2刷)、センセーショナルな発見だと私は思います。なにより伊藤さんの観察力が素晴らしい。子どもの頃から彼女は小さな... Read More

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