19世紀初頭の「無意識」


 

夜の人モード

Twitterに少し書いたのですが、カール・グスタフ・カールス(1789-1869)の無意識についての考察が興味深く、フロストもユングも未だ生まれていない19世紀初頭の無意識について考えてみたいと思っています。どこまで踏み込めるかわかりませんが。

 

カール・グスタフ・カールス(1789-1869)・・・ドイツの内科医系医師であり画家。人間心理の鋭い観察眼をもち、無意識についての最初の体系的・理論的考察を試みた。カールスは心理学とは無意識から意識への魂の発展の学であるとし、また個人的無意識は人類全体の無意識と連なっていると考えた。

このようにカールスの見方はユングの無意識論に非常に近いものであり、ユングはいたるところで自分の先駆者として名前を挙げている。(『元型論』訳注より引用)

代表的著書に『プシュケー』があるが、邦訳は未刊行。

 

カールスは無意識の諸特徴を次のようなものとしている。

1.無意識は ”プロメテウス的(前向き的)”側面と ”エピメテウス的(後ろ向き的)”側面とを所有しており、未来をも過去をも指向するが、現在のことには無知である。

2.無意識はたえざる運動と変化の中にある。意識的思考あるいは感情は、無意識となって初めてたえず修正され、たえず成熟する。

3.無意識は疲れを知らない。無意識は定期的休養の必要がない。逆にわれわれの意識的生活には休養と心の回復が必要である。それらは意識が無意識に沈潜することによって得られる。

4.無意識は根本的に健康で病むことを知らない。自然治癒力は無意識の働きの一つである。

5.無意識はそれ自身の必然的法則に従って作動し、自由を持たない。

6.無意識は独特の知恵を生まれながらに備えており、試行錯誤も学習行動も存在しない。

7.世界特に自分以外の人間とわれわれの関係はわざわざ意識しない限り、無意識を介する関係である。

 

カールスは対人関係を四型に分類した。

1.意識に発し意識に向かう関係。

2.意識に発し無意識に向かう関係。

3.無意識に発し意識に向かう関係。

4.無意識に発し無意識に向かう関係。

カールスは個人的無意識は、人類全体の無意識と連なっているという原理をはっきり述べている。

(アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見』上巻p246)

 

非常に示唆に富みとても興味深い。それぞれの項目について今後細かく検証していきたい。

個人的無意識が人類全体の無意識と連なっているという仮説は、ユングの、集合的無意識、元型論、共時性(シンクロニシティ)の元になっている理論だ。ユングがカールスから大きな影響を受けていたことがわかる。なおユングは1875年生まれなので直接的接点はない。

また、カールスが『プシュケー』を刊行する少し以前に、哲学者ショーペンハウアー(1788-1860)が『意志と表象としての世界』を刊行しており、ここで使われる「意志」とは、無意識の世界および世界そのものの原動力という性質を表す。つまりショーペンハウアーも、人類全体の無意識を含む全世界が一体化した意志をもっていると仮説を立てていたのだ。

1869年にハルトマンが『無意識の哲学』を著す。

1885年にニーチェが『ツァラトゥストラ』を著し、そこから本格的に無意識を科学者・精神医学者が研究を始める。フロイト、ユング、アードラーらが20世紀初頭に無意識を扱う心理学者・医学者として勇躍する。

しかし、本当に面白いのは、フロイトやユングらが科学として無意識を扱おうとする前段階の、内科医カールス、哲学者ショーペンハウアーやハルトマン、ライル、ハインロート、イーデラー、ノイマンら精神医学者、フェヒナーやバッハオーフェンが次々と無意識に関する仮説を展開していった19世紀前半~1880年頃だろう。

例えばフェヒナーは、「地球は一個の生物で、人間より高水準である」とし、人間は地球のために造られたという仮説を展開する。バッハオーフェンは母権制から父権制への移行をより高度の文明段階への進歩と考え、アマゾニズム(女性帝国主義)とディオニュソス崇拝を提唱した。しかしスイス・バーゼル大学での理解はほとんど得られなかったが、当時25歳いう若さでバーゼル大学の教授となったニーチェが老バッハオーフェンの、ディオニュソス文明vsアポロン文明という思想を継承したのだ。

この辺りの無意識をめぐる哲学界、医学界の混沌と仮説の展開、そして巨人から巨人への継承が抜群に面白い。ユングも時期は少しずれるが(ニーチェが『ツァラトゥストラ』で有名になり狂人化した以降に入学)、バーゼル大学出身である。

 

しかし、ユング亡きあと、無意識にかんしての研究とその成果にはほとんど進捗が見られない。

だから今、大きな可能性を秘める「無意識」がおもしろい。