無意識とペルソナ


 

夜の人モード

以前のアメーバブログではペルソナ(仮面)について何度か書いたが、昨年年初にこのサイトを立ち上げてからは初めてになる。自分の無意識を探究するうえでペルソナからアプローチをかける手法は私にとって解りやすい。

まずはペルソナについて復習しておこう。

Persona とはラテン語で仮面や人格を表す。personal や personality の語源かどうかは調べていない。心理学にペルソナという概念を導入したのは C.G.ユングだ。

ある人をさまざまな状況において詳しく観察してみれば、彼の人格がある環境から別の環境へ移るさいに著しく変化し、しかもそのたびごとにはっきりと輪郭をもち、前のものとは明らかに異なる性格が現れてくることに気づくであろう。一定の環境は一定の構えを要求するのである。構えは一定の環境に適合するように長い間要求されたりくり返し要求されたりしていると、しだいに習慣化する。

(中略)

彼はその時々の構えと多少なりとも完全に同一化してしまい、そのため自らの真の性格について少なくとも他人を・しばしば自分自身さえも・欺いてしまうのである。つまり”仮面”をかぶるのであるが、彼はこの仮面が一方では自らの意図に沿い他方では環境の要求や意図に沿うものであり、しかも時に応じてこのどちらかの要素が優位に立つことを承知している。

この仮面・すなわち《この目的で》前面に出される構え・を私は”ペルソナ”と名づける。

(みすず書房 C.G.ユング著 林道義訳 『タイプ論』p497-498)

ペルソナとは仮面である。真の自分自身ではなく造られた人格だ。環境から要求され、一方では戦術を用いて自らを主張しようとするが、やはり他者に対しては欺瞞の仮面であり自己に対しては無自覚な自己欺瞞の仮面なのだろう。おそらく意識して無意識から発芽するペルソナを認識できる人は稀であると思う。

社会性において造りこんだペルソナが習慣化することで、自分ですらそれが真の自分の人格であるかのような錯覚に陥る。この点については後からまた触れる。

環境からの要求や期待に沿おうとして多くの場合無自覚に、無意識の引き出しの中から「その場」でのペルソナを登場させる。

上記文脈で使用されている「構え」とは、私たち日本人が日常的に使う心構えのようなものだと理解してください。詳細についてはまたあらためて。ただし、ペルソナはその性質上、外側に対する構えです。自分の内面へ向かう構えについては本格的に深淵を探索する無意識心理学になる。が、今回は立ち入らない。

 

朝7時半、会社員の一日が始まる。自宅で朝食を済ませスーツに着替える。男性はネクタイを締め鏡を見て出で姿を整える。家族がいる人ならなおわかりやすい。玄関を一歩出て扉を締めれば家族コミュニティのペルソナから、出勤時のペルソナに切り替わる。哲学者の中島義道氏が指摘していたけれど、出勤途中、駅や電車のなかでも「怪しい人に見られないように、他人に危害を加えそうな人に見られないように」仮面をかぶる。

会社の敷地に入れば会社員としてのペルソナに切り替わる。夕方会社を退社し同僚と軽く一杯やろうと居酒屋に入ればネクタイを緩め外す。一気に緊張感が解けリラックスし、会社の同僚と一緒でも半ばプライベートな感覚のペルソナに切り替わる。別の同僚と行けばまた少し違うペルソナになるのかもしれない。飲んで酔っ払えばまた違うペルソナが顔を出すのだろう。

こうして自分のペルソナの切り替えを無自覚に行い、他者の造る別のペルソナを知ることで相互理解が深まる。善し悪しは別として。

 

ここで最も重要な点は、自分が造るさまざまなペルソナが、自分の内面へ、無意識へと多大な影響を与えるということだ。最初は環境に適応しようと、周囲の要求と期待に応えようと造ったペルソナであるけれど、同一環境、同一集団との関係が継続することでペルソナが習慣化され、どんどん固定化してゆくのである。

固まってゆくペルソナは無意識のなかの真の個性的人格と融合しだすかまたは閉じ込めようとする。

同窓会を思い出してほしい。何十年も会っていない旧友と再会し、変わった互いの姿と人格をうかがい見、多少の警戒心を抱くが、会話し酒を飲んでいるうちに学校時代のペルソナをいつのまにか使いだすのである。親や親せきも同様だ。もちろん当時のペルソナを取り出さないこともできる。例えば今のプライベートのペルソナを使った話題や、当時とは大きく変化した価値観で会話をしたとしよう。おそらく旧友や親せきとは疎遠になる。

 

この面からペルソナについて言えることは二つある。

一つには、同じ環境、同じ集団との関係性が長く続けば、自分の性格や能力をよく理解してくれる人がいることで居心地はよくなるかもしれないが、自分のペルソナを変えることができず価値観は固定化する。ペルソナがいつしかその人になってしまう。先日亡くなられたフリーアナウンサーの有賀さつきさんが生前、結婚し離婚した相手のことを「家庭でも上司と部下の関係のままだった」と語っていたのが印象深い。よくあるケースだと思う。

そうしてペルソナを変えられないジレンマがストレスとなって、インターネット上で別人格を装い2ちゃんねる等に書き込む人があとを絶たないのだろう。同情するつもりもないけれども。

もう一つは、自分を大きく変えたいのなら、環境と、主に付き合う人をがらりとチェンジすることだろう。周囲から新しいペルソナを要求され、期待されることで、人は大きく成長することが可能になる。実は私もそうだった。このときに、以前よりも人格的に高い次元のペルソナを要求される環境や他者でなくてはならないのは言うまでもない。逆のぬるま湯ではどうしようもない。

 

ペルソナは無意識の中の、自分では意識できない人格を成長させる、もしくは堕落させるということです。