アイデンティティ(1)


いよいよ本記事から自己の根源的テーマに入ります。前記事までは帰属の意義、所属への欲求とメリット/デメリットなどについて考えてきました。それらの課題もまだまだ十分には程遠い途上にありますが、一旦寝かせます。ここからの論考は抽象論的な「自己」の解体と再建設を考察主体とする。特に「自我」や「主観」「表象」「意識」について掘り下げることになる。

まずは前記事とも関連する「アイデンティティ」について扱います。

「アイデンティティの確立」といった言葉で扱われているアイデンティティの意味を、正確に説明できる人は少ないのではないかと思うわけです。成人人格の確立みたいな、なんか一人前っぽいみたいな、自立的みたいな、そんなふうなイメージをもつ人が多いのではないでしょうか。丁寧にやっていきます。

心理学者のエリク・エリクソン(1902-1994)が精神医学用語としてアイデンティティという言葉を人間に付属した概念として再定義する前は、哲学用語として扱われていました。語義も似ています。

 

アイデンティティ〔英〕identity 〔独〕Identität 〔仏〕identité

同一性、存在証明と訳される。「変化の中にあって変わらないものは何ものか」を表す。

(1)「私」ないし自我が生の経験の全体を通して同一に保たれている事実。
(2)理性の地平でルールとして同一のもの、つまり論理的普遍性としての思考。
(3)あらゆる思考の対象にそなわるA=Aという事実。
(4)認識論的に主観と客観とが合致すること。

「私」の同一性が成り立たなければ、少なくとも現行の法体系においては、契約も所有も権利も義務もその根拠を失うことになる。同一性の問題は、人格、神、世界の存立の根拠ばかりか、人々の日常的実践にも深く関わっている。

近代の国民国家も同一性の原理によって構成されている。国民、領土(国境)、主権の概念は同一律と排中律によって規定されていて、そのために国民国家は、一国語・一民族・一国家の神話に傾斜しやすい。

(中略)

哲学用語のアイデンティティを精神分析の用語に転用・再定義したのは、E.H.エリクソンである。

(1)私の斉一性と連続性、(2)他者による私の中核部分の共有・承認、という2項によって再定義した。アイデンティティとは、さまざまな私をとりまとめる、より上位の新しい「私」のことだ。彼はアイデンティティの問題は青年期に鋭く顕在化すると考えた。青年は幼年期からの自分と未来展望との間に、「自分は何者か」の自己定義と、取り替えのきかない自己の存在証明を見いだそうとする。

アイデンティティの理論は、青年期に限らず、老年期、女性、エスニシティ、障害者などへ理論的な射程を拡大してきた。これら全てのカテゴリーにおいて、「アイデンティティへの自由」と「アイデンティティからの自由」が交差している。

(岩波書店版『岩波哲学思想事典』)

 

後半のエリクソンのアイデンティティ論においては特に、人間の心理状態のなかでの自分自身を「メタ認知」し、水平的には現実世界のなかで常に自分が固有の存在としての確固たる自覚をもてること、垂直的には自分の記憶の中での、過去の自分自身と現在の自分自身が確実に繋がっており、すべての過去における私は現在の私と同一の存在であることに疑いを抱かないことが挙げられます。

上記引用文では、さまざまな私をメタ認知し、人格統合する私自体がアイデンティティのように書かれていますが、正確には、「メタ認知し人格統合する私の”原理”がアイデンティティである」と解釈しています。

 

 

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