ロジックと仮説


 

山の人モード

今日は単発記事を軽い感じで書きます。ロジック (logic) とは論理であり哲学的には論理学を指す場合もあります。古代ギリシア語のロゴス(言語)に由来する言葉です。論理的な思考のことをロジカル・シンキングと言いますよね。「どういうロジックになっているか」を考えるときは、幾つもの論理的命題がどのように繋がって全体の論理を構成しているのかが焦点となります。

次は仮説についてです。

 

〇 仮説を立てる

仮説を立てるとはどういうことか、です。いろいろな仮説のタイプがあるのですが、代表的なものとしては、まず「現象」に懐疑の目を向けます。「なぜ今日の台風は少し東へ逸れたのだろう」だとか、「台風って何?」という素朴な疑問でもなんでもいいのです。物理的な現象でなくても「美しい心って何だろう」なども。

〇 帰納について

台風を例に取れば、東の海上へ台風が逸れた理由を天気図を見ながら、日本周辺の高気圧と低気圧の動きや海の状態(黒潮の流れや海水温)から、後付けで理由を見つけることは案外簡単な推論で、このロジックは「帰納法」によって構成されます。現象を遡ったり掘り下げたりして法則や原理を見つけようとすることです。台風は科学での仮説ですが、人文学分野の仮説はこうは簡単にはいきません。「なぜ日本人には空気を読む国民性が定着したのか」だとかの仮説を立てることは範囲が広いですし歴史を深く掘り下げねばならず、けっこう大変です。でも楽しいかもしれない。

〇 演繹について

帰納法は推論ですので完全性が要求されることはほぼありません。一方で、演繹(えんえき)という方法があって、こちらは事実と事実を組み合わせて、必然的な事実を構築することになります。数学的な考え方で、必ずそうなるというロジックですが、未来の事象について言えば可能性が100になることはあり得ません。よって「演繹“的”にロジックを組み立てる」という表現になるのが現実的です。ビジネスの未来戦略構想や新しい価値の創造は演繹的な思考によることがほとんどです。

〇 帰納と演繹の合わせ技で仮説を創る

大抵はこれですね。何か新しい価値を創造しようとしたときでも、そのことの過去への延長線上で、エビデンス(複数の統計、権威ある学者の論文など)や定説(哲学で言えばカントの観念論など)を元にするなどして、原理や法則のロジックを自分で組み立てる。これだけでも仮説になりますが、新しい価値の創造仮説を立てたいとするのならば、過去から現在までは既に演繹できていますので(帰納のあとの演繹の再確認は必要)、次は、未来へ志向を延長し演繹「的」にロジックを創っていくことになります。こうして立てる未来の仮説は楽しいです。そのままそのとおりになるなんてことはまず無いし、無くていいのです。大切なことは仮説をもつことですね。

 

昨日、脳科学者の茂木健一郎さんが以下のブログを書いていました。一部引用します。青文字のタイトルをクリックするとリンクへ飛べます。安全です。

仮説力を持とう

「仮説」は、自分が興味が持ったことを自ら学ぶことでもいい。(中略)「仮説」という名称が大切なのは、不確実な未来に向けて、とりあえず今持っているもくろみ、計画であるということが明らかになるからである。必要ならば変えればいい。仮説は何度変えてもいい。十回変えても、百回変えてもいい。たくさんの異なる仮説があってもいい。

上記のブログは就職を前にした大学生へのメッセージが主旨ですが、誰にでも当てはまり、ただ漠然と現実に流されて生きるよりも、自分の未来について仮説を立てることで充実した人生になること、心豊かにクオリティの高い生活を営めることってあると思うんですよ。

 

ところで仮説とは、こうして自分が自力でロジックを創り、意図して立てることが一般的なのですが、もう一つ、「閃きの仮説」について述べておきます。私はこちらの方が好きで常に狙っています。誕生する仮説のレベルが違うんです。超A級の仮説はこちらからしか誕生しないと言っても過言ではありません。

〇 閃きの仮説について

こちらは何の意図も目的も無いところに突如誕生します。

しかしそれには幾つもの「重要な断片」が無意識内に必要で、且つ、何か一つのことについて真剣に考えて続けていることと、先入観や固定観念を捨てた柔らかい思考が不可欠です。Aのことについて真剣に考え続ける。そのために必要なことに対し関心をもって学ぶ。学んだことが幾つもの断片となって、あるとき突然、Bの仮説が閃く。Aとは近接関係にあるBの仮説です。私の場合は睡眠中の夢の中、もしくは起床直後にそれが起こることが多いです。断片が一気に一つの塔を築くようにロジックが自然に繋がって、数秒で重要な仮説が誕生します。ただ、その仮説が果たして正しいかどうかは解らない。もちろん、修整やロジックの補強は必ず必要になってきますが。

〇 仮説ロジックの表現

仮説のロジック自体の「構造」は言語的ではありません。それゆえ言語で構造を表現するのはとても大変で、その構造によって導き出される現象内容を言語表現できるだけです。一行の一文が膨大な量の全体ロジック構造の上に置いてあることもしばしばです。ロジック構造自体については、その言語表現されたものの数々から全体を推論してもらうほかないのです。チャートを使うなどすれば他者理解が深まるかもしれませんが、そもそも第三者に理解してもらうことは私にとってはほぼ無益なのですよね。ですので理解できる人に理解してもらえば充分かなと思って書いています。不親切なブログですみません。

ただ、ここに書くことによって、自分の書いたモノがまるで第三者が書いたモノのように、無自覚に自分が読みこむこともあって、そうすると新たな気づきが生まれることがあるので全くの無益とは言い難い。

 

最後に余談です。とても不思議ことなのですが、私はよく難解な哲学の言説を引用するでしょ、哲学事典に書いてあることとか。あれね、引用する前は自分でよく解っていないんです。難しくて。頭悪いし。疲れるの早いし眠くなるし。でも、引用するために、一所懸命にキーボードを触って打ち込むことの効果なのか、引用した後に、「ちゃんと引用文が”従”で自分の意見が“主”になるように書かないと著作権違反になるぞ」という内なる声が聞こえてくる効果なのか、なんとなく後者なのですが、ブログを書きつつ難解な謎が溶けてしまうことがほとんどなのです。

そういうこともあるので、これからもしっかりとアウトプットしていこうと思います。よろしくお願いします。