「学問する」と「思考する」


学問をすることや思考をすることについての哲学的探究は、今後、他のテーマを哲学的探究していく際に、同時並行的に行っていくことにする。例えば前の記事で触れた「可能性」という概念。よい議論をするためには、書籍を通じて古典や先人たちの叡智に触れ、学問をすることが大切なのは言うまでもない。このときに、「学問する」ことについての哲学的探究ができる。

【古教照心】という古い言葉がある。古典(古い教え)が心を照らす、古典によって心が照らされるという意味だ。この言葉を十三世紀の臨済宗の禅僧である虎関師錬は、【古教照心、心照古教】と言い換えた。後段の言葉は、心が古典を照らすという意味である。人によって心は違う。古典の解釈や意義が人によって変わることを言っている。分析心理学的に言えば、「心の構え」が古典の価値を高めたり低くしたりするわけだ。

もし虎関禅師が、「心照古教」のほうに高い価値を置いたとすれば、わざわざ「古教照心」と書く必要はない。両方が同じように大切であると私は解釈している。古典が心を照らすほうは、自らが客体であり主体は古典である。心が古典を照らすほうは、自らが主体であり古典は客体である。主体的=善というのは偏見である。自らは常に主体であると同時に客体でもあるのだ。自らが主体であるときの価値を考え、自らが客体であるときの価値も同様に”深く”考える。

そうした視点の変更を習慣づけることによって、それを、ごく自然に無意識的にできるようになれれば素敵な知的成長だとは思いませんか?

学問をすることも思考をすることも、主体的行為ととらえることが現代では一般的ではある。一方で学問や思考をするようになった自分という視点、なぜそういう環境に今あるのかという視点、なぜ学問すること思考することが自分に可能なのかという視点、それらの視点に物語的な想像力をはたらかせ、他者に対する恩義や自分の生きる使命など環境に自分が動かされている意義を感じることができれば、感謝とともに客体的行為ととらえることが可能になる。

上記の中段に、主体的=善というのは偏見であると書いた。現に、私がそうだったのだ。今の今までというわけではないが、去年くらいまでは、主体的=善という独善的な思い込みにとらわれていた。今年に入ってからか、本当にそうかなと疑問をもつようになった。「主体として」と「客体として」は、自分を含めたあらゆる対象において、常に同時に存在しているのではないかと考えるようになった。そんななかで、先日の思考の方法論の一部として、分解・分類について考え整理することにより明晰となった。

もちろん個人的価値観として、主体的と客体的を徹底的に議論したうえで、「私は個人的に、主体的=善だと価値づける」という言いかたはできる。しかし、それを客観的な普遍価値のように言うのは独善の偏見である、とはっきり言っておこう。

「学問する」「思考する」という動詞的な概念の哲学的探究は、学問と思考という名詞的概念の探求とはひと味もふた味も違う。なぜならそこには必ず、「いきいきとした人」がいるからだ。

 

 

「思考の方法論」についての探究


この4日間、「宗教と価値観形成」について考えてきたが、宗教にかんする思考方法についても考えてきたと言える。むしろこちらのほうが重要であり、先に考えるべきだったかという思いに駆られた。そもそも何かについて哲学的探究をする際には思考が必要不可欠である。「思考」という概念にたいする哲学的探究へのアプローチともなり得そうな「思考の方法論」について今日は考える。

私が4日間のあいだに行っていたのは、テーマについて思考する前段階としての分解と分類であった。これは思考方法として、フレームワークを行うために欠かせない段階である。宗教理解のための分類と、宗教と価値観が相互に影響しあうことを理解するための分類について、知恵を絞って考えてみた。そして私の分類作業が未熟であり不完全であることに気づいた。まず、思考の方法の一部として、「分解・分類」を充実させようと考え、今日の断想に至った。

思考するための分類の分類について体系的かつ網羅的に整理する。

 

思考するためのフレームワーク分類

1.対象限定、範囲で分類

(1)定義: 対象の決定、限定とその定義、概念の定義
(2)物理的範囲: 物質や物体、個と集合、空間、自然の現象
(3)観念的範囲: イデア、表象、形而上的領域、哲学的テーマの範囲

2.時間軸で分類

(1)起源: 対象の起源、始原
(2)過去: 歴史的出来事、過去の状態、経緯、プロセス
(3)現在: 現在の出来事、状況、短い時間の幅をもつ今
(4)未来: 推理、予測、未来の可能性
(5)永遠普遍: 時間を超越した普遍的概念

3.認識で分類

(1)主観的: 経験や自己価値観から生じる解釈、純粋主観と間主観性
(2)客観的: 普遍性や科学性を意識した解釈、多様な客観形態
(3)知覚的: 五感感覚によっての認知、
(4)直感的: 思考を経ずに無意識的に意味と価値を洞察
(5)感性的: 美的、感情的な要素から対象を認識
(6)論理的: 因果律を用い合理的に結論に導く思考と推論が伴う解釈
(7)多角的: 多様な視点から観察し思考することを目的とした認知
(8)多元的: 視点より一段階高い視座による多元的認識
(9)批判的: 情報を鵜吞みにせず吟味し省察するための解釈
(10)表現目的的: 表現目的を前提としたそのための多様な認識

4.概念で分類

(1)定義: 客観的および辞書的定義、主観的および個人的定義
(2)名詞的: 物の名前や存在、固定的なものごと
(3)動詞的: 行動や過程、動きのあるものごと
(4)形容詞的: ものごとの特徴や状態
(5)現象的: 外面や表層へのものごとの現れ
(6)本質的: ものごとを固有に成立させている深層の根本要素や原理
(7)内包的: その概念の内部に有するもの、抽象的な意味内容
(8)外延的: その概念を適用できる全範囲、具体的なものごと
(9)イメージ的: 非言語的な概念イメージ

5.価値観で分類

(1)道徳倫理的: 人徳、人格、正義、罪と罰、法、善悪的な価値
(2)美的: 美と醜、芸術的な価値、人生美学的な価値
(3)実用的: 有用性、損得の功利性、効率性、実利的な価値
(4)知能的: 知識、学問、教育、学術的な価値
(5)感情的: 喜怒哀楽、幸福、精神的な充足、内的な価値
(6)環境的: 気候環境、風土、生物、地球、大自然の価値
(7)社会的: 公平、協力、共同体、社会的利益の価値
(8)文化的: 伝統、文化、歴史の価値
(9)思想的: 西洋思想、イデオロギー、東洋思想、日本思想、個人思想的価値
(10)その他: 利己的と利他的、自己実現欲求的、幸運と不運の価値

6.個別性質で分類

(1)定常性: 変化しない性質、秩序、安定性
(2)動的性: 変化する性質、高い自由度、流動性、変容
(3)整合性: 普遍性、統合、順応
(4)矛盾性: 止揚可能性、反発、創発
(5)不確実性: 予測が難しい性質、不確定性
(6)予測可能性: 予測が可能な性質、確定性
(7)指向性: 志向性を含む、対象へ向かう性質と対象
(8)持続性: 継続、発展、持続期間の予測
(9)目的性: 目的的性格を有するもの及びその目的、または無目的
(10)その他: 共有可能性

7.関係性で分類

(1)主従: 支配と服従、上下関係
(2)主客: 主体と客体、観察者と観察されるもの
(3)相互: 相互作用や相互影響、引力と斥力
(4)対立: 競合や対立、対立する側面
(5)協力: 協力や連携、共同作業
(6)依存: 依存や相互依存、相互に影響しあう関係
(7)等価: 平等な関係、同じレベルでの対等性
(8)内外: 内部と外部の関係、境界
(9)類似: 類似性やアナロジー、共通の特性
(10)その他: 全体性、統合、融和、求心性と拡張性

8.人間心理で分類

(1)目的的志向: 効率性、焦点、決定力
(2)非目的的志向: 創造性の促進、柔軟性
(3)無意識的な心理: 直感、インスピレーション
(4)自己意識: 自己認識、自己評価、自己受容、自己肯定、自己成長
(5)欲求: 自然欲求、価値観による欲求、向上心
(6)モチベーション: 動機付け、情熱、心意気、目標
(7)判断と意志決定: 選択のプロセス、決定の根拠
(8)リテラシー: 事実誤認や虚構、危険の察知、情報管理
(9)社会的影響: 他者との関わり、影響の受容と発信
(10)その他: 愛、夢とファンタジー憧憬、安心と不安、依存心

 


上記分類については過不足は当然あるしジャンル分けも試行錯誤していくことになると思う。あくまでたたき台である。たたき台にしてはやり過ぎの感があるけれども。

思考方法の第一段階の分類後、次の段階に進む。それぞれの分類内容の相対比較検討と関連性、相互影響性、アナロジー、組み合わせ、表現に使うメタファーの研究、具体事例の調査と検証、逆説的批判思考、フィードバックと議論、無意識領域の活用、仮説の立案、実行、イマジネーション、哲学的な価値創造、表現・発現全般、文学や芸術の創作など、多岐にわたる思考方法が待つ。

なお、今気づいたのだが、上記メタ分類のひとつひとつが、「思考」と同等かそれ以上に重要な、私の哲学的な原理探究のテーマになっている。1から順に、存在原理論、時間原理論、認識原理論、概念原理論、価値観原理論、性質原理論、関係性原理論、人間心理原理論。

なんだか人類の知的活動全域を、体系的かつ網羅的にフォローするようなことになってきた。

 

 

宗教と価値観形成(4)


8月14日の断想記事『宗教と価値観形成(2)』で、宗教の哲学的探究についてのアウトラインをつくることができた。一つ一つの項目に入ることはいつでも可能となった。それはそれとして、課題の主たるテーマは価値観原理の理論化であり、その一つの要因として宗教がどのように価値観形成および価値観変容に関与するかである。

考えやすくするために分類していこう。まず、宗教が影響を与える対象を個人と社会の二つに分類する。最も基礎的な対象範囲についての分類。

次は時間軸。現在を含め過去はどうであったか、未来はどうなると予測できるか、過去未来を問わず普遍的な影響はどうか。時間軸では三つに分類する。

3点目は、宗教の目的から主体としての宗教が価値観に与える影響を、宗教の意義からは価値観が客体としての宗教に与える影響を考察する。宗教を主体の場合と客体の場合に分け、主従関係性上で二つに分類する。

主体としての宗教の性質が価値観に与える影響は、宗教教義による価値観、社会集団的な共同体意識の価値観、個人のアイデンティティの帰属価値観などがある。

価値観が客体としての宗教に与える影響について。まず個人的価値観および社会的価値観による宗教の解釈と評価である。宗教は価値観によって評価され、その内容が変化していくことも多い。また、為政者による政治的価値観によって宗教が道具として利用されることや、新興宗教の教祖や教団幹部の利益目的のために宗教が道具として利用されることもある。

4点目は、宗教の拡張性と求心性による価値観への影響を考える。宗教は信徒を増やし拡張する傾向をもつ場合があり、多くの信徒を繋ぎとめるために求心力を必要とし、内部への求心力を高める方法として、他の宗教に対する排他性を教義に盛り込む場合がある。その拡張性と求心性が、信徒および非信徒の心理に対してどのような影響を与えるか、社会に対してどのような影響を与えるかについて考察する。

5点目は、宗教教義の論理性と超越性について議論し、宗教自体、信仰者、布教に対してどのような影響を与えているかを考える。超越性は神秘性として、宗教のブランディングに有効となる可能性がある。

6点目は、5の論理性と超越性のように知性のみで宗教に接することと、身体的行為を含めた宗教の実体験とでは、宗教の影響はどう変わるのかについて議論する。例えば前の記事で触れた「祈る」行為による価値観への影響。

そのほかにも、価値観の視座による分類もある。宗教の真実面と虚構面、利益と損失、保守性と革新性など。4日間にわたっての断想記事「宗教と価値観形成」の整理にかんしては少し空白の時間をおき、私の無意識内に醸成されるのを待つことにする。あらたな閃きが突然現れる期待も込めて。

 

 

宗教と価値観形成(3)


「祈り」について。

祈りは宗教的行為である。科学的根拠は何もない。日本人は無宗教というけれど、寺社へ参拝し祈りの行為を行う人々がとても多い。祈る際には厳粛な心持ちになる。神であれ仏であれ天であれ、なんらかの超自然的存在を想定して祈るのだろう。祈ることで願望を叶えようとする。自分ではどうにもならないことに、祈るのである。或いは、感謝の意を超自然的存在に対し伝えようとして、祈る。

自己の価値観が祈るという行為を生みだす。自己に内在している宗教的価値観が祈るという行為によって刺激され、超自然的存在を信じるのである。それが一時的であるにしても。

はっきりと特定の宗教を意識せずとも、「宗教的なもの」がある可能性を私たちは信じる。この「宗教的なもの」という曖昧な観念は、どのような影響から自己内に生成され定着したものだろうか。

宗教と宗教的なもの、この違いについても考えてみたい。

 

 

宗教と価値観形成(2)


前の断想記事で、宗教についての探究構想と、人類にとっての宗教の意義についての探究構想の二つを考えるために、ChatGPTに意見を出してもらった。それについて、いったん仮のカタチとしてまとめておこう。タイトルは「宗教と価値観形成」であるが、価値観形成はいったん横におき、宗教の哲学的探究のアウトラインをつくってみよう。

 

宗教の哲学的探究

1.はじめに

(1)宗教の重要性と影響について
(2)哲学的探究の目的とアプローチ

2.宗教の定義

(1)概念の幅広さと多様性
(2)宗教と思想の違いを検討

3.宗教の目的

(1)個人と社会に対する宗教の目的
(2)宗教的活動と政治的意図

4.宗教の意義

(1)個人的な信仰の意義と宗教の道具的価値
(2)宗教的体験と成長の関係

5.宗教の役割と機能

(1)社会的結束力と共有される価値観
(2)個人の信仰と宗教的経験の役割

6.宗教の哲学的基盤

(1)宗教の信念と論理の関係
(2)知識と信仰の相互作用

7.宗教と倫理

(1)宗教的価値観と倫理的行動の関係
(2)宗教が倫理を形成する方法

8.宗教と科学

(1)宗教と科学の対立と調和
(2)信仰と証拠のバランス

9.宗教がつくる文化

(1)宗教の文化的影響と変容
(2)宗教とアイデンティティの関係

10.宗教の威力とそれによる幸不幸

(1)宗教の威力が人々の幸不幸に与える影響
(2)宗教的信仰による充足感と束縛

11.宗教に対する批判

(1)個人が宗教信仰することによる悪弊と硬直性
(2)人類社会に対する宗教の悪影響

12.宗教の未来と多様性

(1)宗教の変遷と新たな宗教の創成
(2)無宗教と宗教の共存および多様な宗教の共存

13.結論

(1)宗教の哲学的意義と継続的な探究の重要性
(2)個人的な信仰と大局的な視座の調和

 

以上の項目と流れを、宗教にかんする哲学的探究の、仮のではあるがアウトラインとする。

 

 

宗教と価値観形成(1)


宗教が人間一個人に与える影響は途方もなく大きい。前の記事で「神話」について少し調べてみたけれども、人類は原初的に神話を必要としてきた。死への不安もあっただろうし、集団での善悪観を確立させ平和に集団生活を営む上でも必要不可欠だったであろう。神話は多くの場合、宗教となった。逆説的に言えば神話のない宗教は無い。

宗教と価値観の関係を考えてゆく前段として、宗教をどのような視点から多角的にとらえたらよいのかを検討してみよう。

まず、大枠としては、社会集団秩序としての善悪観や文化の共有と、個人の心理面での充実と安定、成長の、全体と個の二つになりそうだ。

以下は、「宗教」そのものの探求についてChatGPTの意見。


1.宗教の起源と歴史的背景

宗教は歴史的な背景や文化的な脈絡に深く関わっています。宗教の起源や歴史的変遷を追求することで、その宗教がどのように形成され、発展してきたのかを理解できます。

2.宗教の哲学的基盤

宗教はしばしば哲学的な問いに取り組むものです。宗教の教義や信仰は、存在、意義、倫理などの根本的な哲学的問いと結びついています。宗教がどのように哲学的な問いにアプローチするのかを考察できます。

3.宗教と知識

宗教は信仰や神秘的な要素を含む一方で、知識や理性との関係も考えられます。宗教が知識の源泉としてどのように位置付けられているのか、また宗教的な信仰と知識の関係性について考察できます。

4.宗教と道徳

宗教はしばしば倫理的な指針を提供しますが、その指針がどのように形成されるのか、宗教が倫理にどのように影響を与えるのかを探求できます。また、宗教的な道徳が社会全体にどのような影響を及ぼすのかも考慮します。

5.宗教と個人の成長

宗教は個人の成長や深化に寄与する場合があります。宗教的な実践や経験が人間の意識やアイデンティティにどのような影響を与えるのかを考えます。

6.宗教と社会の関係

宗教は社会と密接に結びついており、文化、政治、経済などの側面に影響を与えることがあります。宗教が社会とどのような関わりを持ち、社会的変革や対立とどのように結びついているのかを検討します。

 


次は人類にとっての宗教の意義についてChatGPTの意見。


1.社会的調和と規範の提供

宗教は共有された価値観や倫理規範を提供することで、集団内の調和を保つ役割を果たすことがあります。宗教的な教えや信仰が個人や集団の行動を規制し、善悪観を共有することで社会的な秩序や平和を維持する手段となることがあります。

2.死生観と安心感の提供

宗教は死への不安感や未知への恐れと向き合うための枠組みを提供する場合があります。宗教的な信仰体系や神話は、死後の世界や存在の意義についての考えを提供し、個人に安心感や希望を与える役割を果たすことがあります。

3.個人の成長と発展

宗教的な実践や精神的な探求は、個人の成長や深化を促進する場合があります。宗教的な実践によって、個人は自己の内面に向き合い、精神的な平和や洞察を得ることができるとされています。

4.共感と共同体の形成

宗教は共感や共同体の形成を促進する場合があります。宗教的な儀式や祭りは、人々を一つにまとめ、共通の体験や信念によって結びつける役割を果たすことがあります。宗教は共通の信仰を通じて集団内での結びつきや共感を促進する役割を果たすことがあります。宗教的な儀式や祭りは共同体の一体感を醸成する要素となり得ます。

5.文化的アイデンティティと歴史的継承

宗教は文化的なアイデンティティや歴史的な継承とも関連しています。宗教的な伝統や儀式は、特定の文化や民族のアイデンティティを形成し、過去から未来へのつながりを保つ役割を果たすことがあります。

6.意味と目的の提供

宗教は人間の存在や生活に対する意味と目的を提供する役割を果たします。宗教的な信念や教えは、人生の目的や意味を探求し、個人の行動や選択に指針を与える要素となり得ます。

7.個人的な癒しと希望

宗教は困難な状況や苦しみに対する支えとなることがあります。信仰や祈りは個人の心を癒し、希望や慰めを提供することがあります。

8.道徳的な指針と倫理規範

宗教は倫理的な価値観を提供し、善悪の判断基準を提供することがあります。宗教的な教えや故事は、行動や判断における倫理的な指針となることがあります。

9.神秘体験と超越への探求

宗教は神秘的な体験や超越的な現実への探求を鼓舞する役割を果たすことがあります。このような体験は個人の精神的な成長や洞察を深めることがあります。

 


以上のChatGPTの意見を参考に、次の記事で考え、とりあえずまとめてみたい。

 

 

主体価値観と客体価値観


前の記事で予告したとおり、今回の記事では価値観の現象学的性質について、価値観を主体として扱う場合と価値観を客体として扱う場合に分け、正反対に異なる主従関係ともなりえる二つの、人間と価値観の関係を議論してみたい。

ことは簡単ではない。それどころか、現代社会に生息する人類の大多数が、価値観を主人として仰ぎ価値観に隷属している現状がある。複雑化する社会であるから、というわけでもなさそうだ。歴史を振り返ると古今東西、同様な現象に人類社会全体が覆われているように観察できる。「私は仏教徒だから」「私はリベラルだから」「私は保守主義だから」「私は実存主義だから」「私は唯物論者だから」などなど、固定された価値観と視座に、自分自身を隷属させレッテル貼りしている人間がいかに多いことか。まるで自分にレッテルを貼ることが素晴らしいことのように胸を張って。

いやいや、逆だろう。

価値観は本来、人間の知能的活動に使う道具である。人間が主人であり価値観は人間に従属している立場のはずだ。なぜこの構図が壊され逆立ちしてしまったのか。

「価値観」という概念(価値観という言葉ではなく観念的なもの)は、まず宗教に現れる。原始宗教を含めさまざまな宗教を人間は生み出し、個々それぞれの宗教は「不変の普遍的価値観」を人間に対して提供しだすようになる。ここで既に、宗教が人間の主人になっていることが分かる。

不変の普遍的価値観を多くの人間が認めることで、人間は同じ価値観を共有し、その集団への帰属欲求が満たされる。価値観の安定が安心となり安全となり、精神的不安と危険は減衰する。しかし一方では、価値観に隷属することで頭は楽を覚え、独自に考える知能を使わなくなるため、普遍的価値観による愚民政策を統治者が敷くようなものとなる。かつては政治的統治に、宗教がよく使われていたし今も使われている地域はある。宗教だけでなくイデオロギーも普遍的価値観を提示する。社会集団的に同調圧力をかけることを企図し、人間の心と行動を支配しようとする。

ところで、それに輪をかけるように、哲学は「思想」や「主義」、あらゆる価値観を主体としてテーマ化し、宗教とともに「真理」にスポットライトを当て続けてきた。これを「哲学の罪」と言っては言い過ぎだろうか。ひとつの視点として、哲学は価値観に対して「従」の立場となり、価値観に対する哲学の役割を考えてみようじゃないか。

確かに、価値観そのものについて、独立した主体として考えることは欠けてはならない考察志向である。私も8月2日の『価値観の現象学的性質』ではこの志向で考えようと試みた。できたかどうかは怪しいが。しかし改めて考え直してみると、「主体としての価値観」「客体としての価値観」のあいだにきっちりと線を引き、明確に二分割させて考えなければならないなとなった。

特に、「客体としての価値観」について考えることは、価値観に隷属的となっている人類個々の人生にとって、とても有益なヒントになるはずだ。これについては確信している。

 

 

価値観の矛盾性


8月2日の断想で『価値観の現象学的性質』について書いた。このとき、はっとした。価値観の矛盾性に。と同時に、価値観という言葉を使う際に気を付けねばならないことに気づいた。価値観そのもの(人間に内在するものではなく)と、人間または人間集団に内在する価値観は分けるということがある。価値観の現象学的性質とは、価値観そのものの性質を考えたはずが、後者の、人間プラス価値観(一体)との区別が明確にできていなかった。これについては細かく、明確に分けねば哲学にはならない。少し考える時間が必要なので、次の断想に譲ろう。

価値観の矛盾性は、ひとつの価値観そのものには無い。二つ以上の価値観が存在するとき、相反する価値観は当然あるが、それは矛盾とは言わない。矛盾は、人間または人間集団と価値観が一体となる場合に生じる。Aという価値観とBという価値観の二つが一個人に存在する場合に、AとBの対象が重なり合うとき、価値観の相克が起きる。法的価値観と個人の功利的価値観がそうであるし、最も単純なケースとして感情的価値観と理性的価値観が挙げられる。相克が起きやすい。

では、矛盾が起きないほうが良いのだろうか。矛盾は悪いことなのか。

個人的な信念ではあるが、私は、矛盾は起きたほうが良いと確信している。自己矛盾は歓迎すべきであると思っている。ただしこれは哲学ではなく個人的な人生美学にあたるので、ここでは、哲学として、矛盾が起きて良くも悪くもなく、無矛盾が良いわけでも悪いわけでもないとする。

矛盾を避け、常に整合性をとる方向に人間は向かいがちである。それは人間の原初的価値観に、習慣性がとっさの判断に役に立つことが生物としてのDNAに刻み込まれているからなのかもしれない。それは生物学や遺伝学といった科学の領域であるので、哲学としては、現象的心理学の推測は行わない。

今回は、価値観の矛盾性についての入り口付近での議論でしかないが、まあ、断想は「考えること」なので、これでいい。

 

 

価値観に影響を与えるすべて


価値観原理を考えるにあたって、私の関心が最も高いのは「価値観の形成と変容」である。どのようにして価値観は形成されるのか、どのようにして今ある価値観が変容していくのか。価値観原理の核となるテーマだと思う。

価値観形成と変容に影響を与えるすべての要因を網羅的に拾い出した。次に網羅した多くの要因を6つに分類した。もちろんChatGPTにアドヴァイスを求めた。

 


1.文化的影響

哲学、思想、宗教、歴史、文学、芸術、言語、食文化

2.社会的影響

教育、法、経済、政治、国際関係、他者個人、他者集団(家族、地域社会、国家、人類全体などの共同体集団)、職業、趣味、SNS

3.メディアとエンターテイメント

マスコミ報道、事件、デジタルメディア、テレビドラマ、映画、芸能、スポーツ鑑賞

4.自然と環境

大自然、自然環境、自然災害、生活環境、スポーツ活動

5.科学と技術

科学的進展、技術の影響、IT、AI、医療科学

6.健康と個人体験

自己の健康状態、身体性感覚、個人的な成長と体験


 

おそらく、まだまだ要素はあるだろうし分類の仕方も変更することになるだろう。とりあえずのフレームワークができたことで、議論はし易くなった。

 

 

「価値観原理」から議論を始める


道は全く見えず、高き山々の連なりが見えるだけだ。

前の記事で、「人類哲学の独創」についてのアウトラインをつくった。まずは4本柱となる原理のうち、価値観原理と概念原理から入っていく。予定する第一項目からスタートするつもりはない。その日その時の自分にとって最も高い関心をもつテーマから始める。まずは価値観原理論の第4章「価値観の形成と変容」から議論をスタートする。同原理論の他の章や概念原理論とも密接に関係してくるので、次の日の思い付きでどこに派生するかはわからない。哲学の議論に疲れ心が乾いてきたら、「私の美学建設」のほうへ移って、日本思想について書くかもしれない。アウトラインはあるが、計画はあるようでない。

価値観の形成と変容には、広範な構成要因と複雑な関係性を含む。

例えば歴史認識が価値観に影響を与えるのは自明の理であるけれども、歴史についての事実は瞬間的な現象記録にしかなく、事実起点および事実を恣意的に繋ぎ合わせての憶測によって、人類は歴史の物語を創作してきた。歴史の物語はほとんどが幻想であり虚像である。

そう考えてゆくと、「歴史を解釈するとはどういうことか」「歴史を信じるとはどういうことか」という哲学になってくる。まさに歴史哲学だと言える。

同様に、宗教や文学、映画、法、教育なども価値観に大きな影響を与えるが、例えば「宗教に対してどのように対峙するのか」「法に順う正義は外部価値への依存ではないのか」「教育は国家や大人の善価値観の押し付けではないのか」というふうにそれぞれが哲学になってくる。

価値観を考えること自体が哲学であり、もはや目的が何であるかさえ霧に包まれてしまうが、これでいい。そのうち視界は開けることだろう。

 

 

 

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