星の王子さま(2)―Only One


今日の記事では星の王子さまの核心にいきなり踏み込む。

表題の『Only One』でなんとなく解る人はいるに違いない。しかしそのなんとなく解った人の期待を私はたぶん裏切る。

 

本題に入る前に、書を味読する際には一つの視点から理解しようとする方法と、多数の観点(視点ではなく)を混在させながら感じる方法とがあることを確認しておく。

『星の王子さま』での観点としては、地球に暮らす〈ぼく〉の観点、星の王子さまの観点、著者であるサンテグジュペリの主張にかんする観点、サンテグジュペリがなぜこう書いているかの心理学的観点、ほかの登場キャラクターの観点、作品全体の立体的観点、作品を覆う〈感じ〉の感性的観点、読者一般の成熟した成人の観点、読者である私の個人的観点、その個人的観点を観察するメタの観点。

この辺りが代表的な観点だろう。どれもこれも大切で、この観点群をひとつひとつ分断し分析しながらというのも良いと思います。まずは、全ての観点をカオスとしてごちゃ混ぜにして読むのが私のスタイルです。「なぜ」や「意味」を考えるよりも直感で感じるものを大切にしたい。

 

さて本題。

本作では Only One のテーマがある。突然空から降りてきた王子さまは僕に羊の絵を描いてくれとせがむ。僕はいくつか絵を描くが王子さまは気に入らない。もう王子さまの相手なんかしていられないやと思って箱を描いてやった。「このなかに羊がいるんだよ」と。王子さまはそれで納得したのだ。羊を描いてほしいと言った王子さまは、その箱の中に、自分自身で羊のすがたを描いたのだ。

王子さまのこころにイメージ化されている羊しか羊ではない。ここにOnly One の羊がある。

王子さまは一輪の花と一緒に小さな星で暮らしていた。この一輪の花の機嫌をとることに王子さまは面倒になって、お別れをしてしまう。そして地球に来てみると自分の星に一輪しかなかった薔薇の花が五千本も植えられていた。それを見て王子さまは、一つしかないと思って大切にしていた一輪の花が普通の薔薇に過ぎなかったことに気づき、泣いてしまう。

そうこうしているうちに狐と出会い、花との悩みについて相談する。

王子さまは狐にこう語る。

「一輪の花があってね、・・・その花がぼくを飼いならした・・・」

狐は王子さまにこう語る。

「頼むから・・・ぼくを飼いならしてよ!」
「ものごとは、飼いならして初めて知ることができるんだよ」

ここで「飼いならす」という言葉に違和感をおぼえるが、この会話の前に、狐は次のように説明している。

王子さまからの問いかけ

「『飼いならす』って、どういう意味なの」
Qu’est-ce que signifie “apprivoiser” ?

に対して、狐はこう答える。

「それはみんなが忘れすぎていることだよ。それは『絆を創る・・・』って意味だよ」
C’est une chose trop oubliée, dit le renard. Ca signifie “créer des liens…”

解説にはこうある。

「飼いならす」という通俗的な言葉に「絆を創る」という意味づけをしたのがサンテグジュペリ。apprivoiser というフランス語がここに「絆を創る」という意味を初めて獲得した。

 

狐とのお別れが近づいたころ、王子さまは自分が飼いならした狐との絆に気づき、自分の星にある一輪の薔薇と五千本の薔薇との違いにも気づいた。

狐はこう語った。

「心で見ないかぎり、ものごとはよく見えない。ものごとの本質は、眼では見えない。」

「きみの薔薇の花がそんなにも大事なものになったのは、きみがその薔薇の花のために時間を費やしてしまったからなんだよ」

「きみは、きみが飼いならしたものに対して、永久に責任があるんだ。きみは、きみの薔薇の花に責任があるんだよ・・・」

 

やがて王子さまは毒蛇に噛まれることによって一輪の薔薇の花がある自分の星へ帰ってゆく。

 

SMAPの『世界で一つだけの花』の作詞者が『星の王子さま』の物語を意識したかどうかはわかりませんが、一輪の薔薇の花は王子さまにとって Only One だと理解したのでした。

SMAPの歌に感動し、自分はオンリーワンなんだと勇気と希望をもたれたかたも多いのではないかと思います。「ナンバーワンよりオンリーワン」のコピーライトはブームにもなった。

 

思い入れのある生物や愛用品に愛着を感じる。人間でも赤の他人よりも身近かな人、親族に愛着を感じてはいるはずなのだが、空気のように当然そこにあるのでふだんはそれに気がつかない。しかも、面倒で鬱陶しくなってしまうことさえある。失ってはじめて気づく。

そうしたことは誰もが経験し、本来はもっと大切にしなければいけない絆だったのにと内省したり後悔したり。

私たちの周囲は Only One だらけで、自分自身もまた、誰かにとっての Only One なのです。

 

ここまでは、ベタ論。

 

星の王子さまの魅力とは、Only One に気づく前の彼にある。

本質的には、Only One も相対価値なのだ。その意味ではナンバーワンと何も変わらない。五千本の薔薇と比較して一本の薔薇が Only One ということであって、相対価値の基準を自らの主観に置くか普遍性に置くかの違いがあるだけだ。

王子さまは狐に理屈を教えてもらうまでは、一本の薔薇への相対評価など微塵も抱かずに絶対価値を置いた。相対価値としての Only One に彼は本心から納得したのだろうか。私にはそうは思えない。

相対評価は人間社会の理屈でしかない。

もちろん意味や価値の世界を知ることが人間社会で生きてゆくために重要であるという点は、大人の大部分が理解していることだろう。

『永遠の少年・『星の王子さま』の深層』の著者であるフランツ女史は、最初の王子さまの登場場面では、サンテグジュペリの幼児性が現われたと分析している。幼児性は社会人にとって解決しなければならない「問題」であるとし、克服すべき欠点としてレッテルを貼った。王子さまが徐々に成熟してゆく過程を良いことと評価した。

 

私は逆に、理屈を与えられたことで失ってしまった純粋性こそが「永遠の少年」というテーマの本質だと思っている。欠点ではなく生き生きとした個性。ゆえに物語の後半は、徐々にものわかりのよい星の王子さまに変わってゆくことにがっかりする。

星の王子さまが失った純粋性の一面を私は失いたくないのだ。Only One という価値は今の私の中にはないし、今後も有り得ない。自分のことを特別だとも思わないし、逆に普通だとか一般的だとも思わない。他方、愛着のある何かに唯一の意味や理屈などを付けない。なぜなら愛着の対象は絶対的なものだから。SMAPのあの歌詞は大人の理屈では「ああなんて素晴らしい詞なのだろう」となるのかもしれないが、「永遠の少年」の心にはまったく響かない。私だけかもしれませんが。

 

サンテグジュペリが企図した主旨と私の論考は異なると思います。けれど、「飼いならす」という一方的な、しかも権力的な行動を「絆」という双方向のラインへ狐が誘導し、「本質」という大人の言語をもちいていることに、フランス人特有のアイロニー(皮肉)の可能性を私は捨てきれなかった。

本記事後半では、地球上の「ぼく」の観点とも、一般的な星の王子さま評論とも、情緒的に成熟した観点とも異なる価値観で書きました。

 

 

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