2025年 元旦。
多くの人は一年の抱負を考え決める日である。一年のうち、心機一転を図り昨日までの過去をできる限り断絶し、新たに心を切り替える日の代表は元旦と誕生日である。しかし心機一転と言っても一カ月もたてば忘れてしまう人が殆どのような気もする。そうならないように、元旦ということもあるので「新生」について考えてみよう。
ハンナ・アーレント
女性の哲学者として最も光を放ったドイツ生まれのハンナ・アーレントは、人が生まれることに人間たる本質があると述べている。人の生は不可逆的であり死をもって終わる。誕生した瞬間、その子には何の目的もなく予測可能性も一切ない。人生において最も可能性の自由度が高い瞬間が出生時である。やがて自由度は失われていき雁字搦めとなる。そんな自縛を解き再び新生することは可能だろうか。アーレントの言葉を引用してみよう。
新たに始めるというこの力能なしには、つまり中断し干渉するという力能なしには、人間の生のように誕生から死へと「急ぐ」生は、特異に人間的なことの一切を、何度も繰り返し引き裂いては朽ちさせ没落に追いやるべく宣告されている、ということになろう。(略)しかしだからといって人間は、なにも死ぬために生まれてきたのではない。そうではなく、何か新しいことを始めるためにこそである。生まれてきた人間とともに世界にもたらされた真に人格的―人間的な基層が、生のプロセスによって摩滅してしまわないかぎりは、これが事実なのである。(みすず書房 『活動的生』34節)
アーレントは死が目的であるかのようなニヒリズムを力強く否定する。人間が主体的に社会へ「行為」することは、網の目のような関係性を構成している人間社会に波紋を広げ偶然性を生成する。そうでなければ人間も人間社会も機械のように閉じた必然性の中で無意味な活動を繰り返すだけになる。偶然性の象徴である出生は人間の奇蹟であり、一人の子の偶然の出生によって人間社会に別の力動が生まれる。これこそが人間の実存の現れだとアーレントは述べる。
なるほど。それならば人生のある時点で、中断し新しく始めることで死への一直線の機械的プロセスから解放され人間らしさを取り戻すことが出来るのではないか。もちろん出生時のような最も高い可能性の自由度はないにせよ。或いはどれほど老いたとしても。
例えば、これまでに全く経験のないボランティア活動に参加することも、新しい道を切り拓く一歩となるかもしれない。アーレントが指摘するように、私たちには「中断し新しく始める」力が備わっている。
目的と手段の価値転換
「手段が目的になってしまっている」という批判がよくある。これは本来の目的を忘れ、手段それ自体が目的となってしまった状態である。例えば、教育の本来の目的は、個人の知識やスキルを深め、思考力や創造性を育むことにある。しかし、しばしば「テストで良い点を取ること」が目的化されることがある。結果として、生徒がテストで問われる知識に偏り、本質的な学びや創造性を失ってしまうという問題が生じる。
私の新たな発想は、上述のような手段の目的化ではなく、手段を目的化するために目的をつくって新たに始めるというものだ。例えば、良い人との出会いを求めたい、良い縁をもちたいと、多くの人は望んでいるだろう。そのために出会えそうな場へ自らが踏み込んでいこうとする。しかしなかなかそうはいかない。なぜなら、良い出会いは意図的よりも偶発的に起きることがほとんどだからだ。
仮に、世界中の貧しい子どもたちに教育的な絵本を創るという目的でボランティアで参加してくれる人を集めるとしよう。または参加することにしよう。そこでの偶発的な出会いに良縁が生まれる可能性が考えられる。この場合は手段が目的化され、本来の目的は目的かつ手段になる。これにより、一生の親友となった人と出会えたり、やがて結婚し子どもを授かった人と出会えたならば、結果的に本来の目的は手段となり、手段は目的となったという逆転現象が起きる。
そのようにして新しいことを始める、自分自身を新生させることは、アーレントが「行為」として述べているとおり、偶然性と予測不可能性の海にみずからを投げ入れることであり、真に人格的で人間的な活動であると言えよう。
大きな偶然性が期待できること、過去の自分の経験が通用しない予測不可能性が高い道を目指すことが新生となる。必要なのは能力ではなく、固い信念と逞しい勇気だけである。
2025年が新生した。彼はこれから一年間、時間の場を提供してくれる。この場に、現存する人類全員が自分自身の物語をつくる。私は、上述の目的と手段の価値転換を応用し、2025年という場の全体をプロセスとして、偶然性の物語化を新春の抱負として考え、実践することにした。
もしあなたが共感してくれるのならば、
これからの一年間、あなたはどんな偶然を探しに行きますか?
どのような新しい挑戦を始めますか?
偶然の波紋を広げるために、まず一歩を踏み出す場所はどこでしょうか?