問題解決でなく希望と憧憬の創造(1)


2020年が始まった。

現代日本では、少子高齢化問題、長期デフレによる貧困格差問題、政財官民の癒着構造による人心腐敗、犯罪の異質化、鬱など心の病気の増加など、さまざまな社会問題を抱え込んでいる。こうした社会問題にかんし対症療法的に解決しようとする試みは必要である。しかし、対症療法だけでは根治は無い。日本国と日本国民の「体質」を、長期間をかけて改善していく工夫が必要であるのに、根治療法のほうは見事に無視されている。要するに、体質とは国民の人間的欲求であり、欲求に根ざすのは個々人の自己愛(自己保存および利己心の快を求めるもの)であり、自己愛の基盤には価値観が横たわっており、価値観を変えてゆくことが根治療法であって、且つそれは、未来への「希望」や「憧憬」に結びつく。

99%以上の人々は対症療法に熱心なので、そちらの方は大多数の方々に任せ、私は(今までもそうだが)、1%未満の「根治」について考察し続けてゆく。

現代日本を生きる人々の価値観はどのように培われてきたか。これについて深く掘り下げ、その思想的大河の流れの「全体像」を俯瞰することなしに、未来への大きな流れを修整することはできない。

愛国主義者や民族主義者のなかには、戦前と戦後とを分け、戦前の道徳教育の復権が必要であると考えている人も多い。「教育勅語」の復活を望む声は一部政治家からも上がっているようだが、まず、あまりに浅い。明治後期の修身まで遡っても浅い。

そして、少し逸れるけれども、現代の世界的に情報化された社会は、既に「上から与える教育」の時代ではなくなっている。教育では情報が遅く、すぐに古くなってしまうため時代に追いつけない。子どもたちは今後ますます、インターネットを使って自主的に新しい世界基準の学問情報を手に入れ、個々に学び考える。一方、文科省と教育委員会を数年かけて通って、学校の先生から教えられる古びた学問情報は、子どもたちから馬鹿にされる未来がすぐそこに見えている。上の立場から教える「教育」はもう終わっているのだ。「自分は教えることができる上の立場」と思っている多くの大人たち及び教育者は、時代の潮流に鈍感な大いなる勘違いの人たちなのである。必要とされるのは各学問の専門研究者であり、教育者ではない。

 

閑話休題。

本題に戻すと、明治維新直前より日本が取り入れた西洋型(当初はフランスがモデル)の近代教育は、日本人に思想の大転換をもたらした。小中高の学校、大学の制度、細分化された教科、内容を学ぶにも概念言語が少なかったため大量の和製漢語が造られた。子どもたちへの学問は、当時の大人たちにとっても学問となった。歴史的に、それまでは中国から輸入した思想と、そこに日本人らしく改良を加えた思想および学問しかなかった。それが一挙に、まるでオセロゲームのごとく、形而上学を中心とした西洋思想にひっくり返されたのだ。

 

 

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