問題解決でなく希望と憧憬の創造(2)


世界で最も先進的な科学文明を誇っていた西洋であるから、日本人が全面的にそれを是として「信仰状態」になったのは必然で、それは結果的に大成功をもたらした。当時の日本がアジアで唯一、世界の先進国入りを果たせたのは、科学文明のモノ真似よりも、西洋の形而上学的(概念的)な考え方を学び、教育に取り入れた学問的意義が大きい。

「社会」「意識」「経済」「主観」「客観」「義務」「空間」「公立」「計画」「環境」「思想」「民族」「分析」「抽象」「理想」、これらは和製漢語のわずか一部である。言葉がなかっただけでなく概念がなかった。(似た観念があったものもある) こうした概念を組み合わせて思考する、新しい大脳新皮質の誕生的変化が起こった。

明治初期に、どれほどドラスティックな知性革命が日本人を襲ったか、想像を絶する。

これによって日本人の思想的価値観は、古き良き日本道徳の伝統を残しながらも、西洋的価値観へ大きく舵を切った。昭和の敗戦後はアメリカ的価値観を強烈に押しつけられ(アメリカの国家的占領政策であるWGIP。日本人の堕落的洗脳。)、現代の日本人においても、アメリカの価値観に右へならえしようとする「習性」から脱却できていない。

日本人にとって、しかし、欧米の文化や思想、価値観、道徳を学べたことは非常に有意義だった。ところが、この欧米価値観依存によって、前の記事の冒頭に書いた多くの社会問題を抱え込むことになった。

否、日本だけではない。日本が先行しているだけで、他の先進国や東アジアの少子高齢化は進んでおり、先進国国民のニヒリズム(無力感、虚無主義)は世界中に蔓延しだしている。鬱病患者は世界的に増加の一途をたどっている。

なぜそれが欧米価値観依存に原因があると言えるのか。

我々の意識上(観念上)では、人間の「モノ」化、人間の物質化が急速に進んだ。社会を構成する「数」という考え方、政界では「議員」、行政雇用では「公務員」、会社雇用では「社員」、役に立つ人を「人材」と呼ぶ。或いは「学者」「経営者」「作者」などの「者」。ごく一般的で、何の抵抗もなく使用しているこうした言葉は、我々の無意識の深層にこびりついている。「員」は「数」であり、「材」は「役立つ材料」であり、「者」は「物」と同語源である。「自分は数だ」「自分は材料だ」と、もっと言えば「自分は数になりたい」「自分は材料になりたい」と、多くの人々が、自分自身でも自分を「モノ」化し、「モノ」として役に立つことを目指してしまっていることに無自覚なのである。

その上、あらゆる知性のAI化を前に、人間のモノ化は更に加速する。

人間が「人間」を失いつつある。

これは、欧米の「言語(インド・ヨーロッパ言語)」構造と、「一神教的な価値観」に、原因と原理がある。倫理観や道徳観にも大きな影響を与えている。

この原理を超克することなしに、現代の病いの根治は無い。そして、これを乗り越える最も高い可能性を秘めるのが、日本人だと思う。なんとしてもこれを超克し、明治維新の時の「西洋文明からの恩義」に対するささやかな回向と為すことを、日本人の使命として考えてみてはどうだろうか。

次の記事では上記の「原理」から入る。

 

 

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