チクセントミハイのフロー


 

夜の人モード

脳科学者の茂木健一郎氏が絶賛しているチクセントミハイのフロー体験とは何だろうかと思い、2冊の彼の著書『クリエイティヴィティ』(2016.10) 『フロー体験・喜びの現象学』(1996.8)を読んでみた。正直言って前者はほとんど得るところがなかった。成功者のエピソード体験が9割以上だろう。

後者の書は良かった。もう少し丁寧に読み直そうと思っている。

ちょっと拍子抜けしたのは、彼のいう「フロー体験」というのが、日本人にとっては一般的なことではないだろうかということ。柔道や剣道、弓道などで意識せずに自然に体が動いていることを、彼はフローの特殊型だと書いている。日本の忍術にも触れている。

ふつうにフローはどこにでもある。例えば卓球選手はフローの状態でなければ球を打ち返せないと思う。目で認識してから反応するのではスピードが間に合わないのだ。同様に、野球の内野手(特にサード)では、強烈なライナーやゴロが飛んできたときにフローの準備が無ければキャッチできない。特にオフェンスよりもディフェンス時には、自我意識の頭で考えてなどやっていたらスピードに間に合わない。全身を信頼して、ぜんぶを身体の反応に委ねる。

自我の「気」を全部抜く。この状態には子どもの頃から簡単に入れる。息をほとんど吐き、ごく浅い呼吸に任せる。不思議なことに相手からは自分の気配が消えるらしい。ただし私の先祖に忍者はいない。

 

逆に私が驚いたのは、西洋人の特徴なのかどうかはわからないが、常に自我がはたらいている状態にあるということだ。例えば、何も考えず目を開けていても何も感じず、ただ、ぼーーーっとしていることが彼らには無いようだ。読者の方々も、ぼーーーっと放心してることなんてしょっちゅうあるでしょう? テーブルに頬杖をついて、何も考えずに壁の一点というか全面をぼーっと見ていたり、しますよね?それの動いてる版なのですが。

常に何かしら考えていて、自我を失うということがどうやらないみたいで、しかも言語を中心に頭脳が活動しているらしい。疲れてしまわないのだろうか。日本人の「おのずから」という精神文化をたぶん彼は知らない。自我で自分をコントロールしようとする、自我で自分の感情をマネジメントしようとする、このやり方のみに拘って書かれています。

私と同じ日本人の茂木さんがフローに強い関心を抱くのも不思議だ。左脳を遮断し右脳だけがはたらいている感覚をつくるイメージですが、日本人ならば作りやすいのでは?テキストをこうして書いているときもふと気づけば時々そんなふうになっているけども。

 

皆さんはどうですか?

 

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