古くて新しい価値観「美しく貴き心」


昨日の記事につづき日本的美学観に入っていきますが、意識しているのは深層心理です。常に無意識を念頭においています。

本記事の前半では、次の記事で扱う『幽玄とあはれ』の著者である大西克禮の経歴と時代環境、学問的系譜、現代における彼の美学論の価値について簡単に記します。

 

1888年(明治21年)大西克禮(おおにしよしのり)は東京に生まれ、1913年に東京帝国大学文科大学(現在の文学部)哲学科を卒業します。1927年に東大助教授になりドイツ・イタリア・フランスに留学。1931年に東大教授。1949年(昭和24年)に退官し東大名誉教授の称号を授かる。その後は福岡に隠棲し個人的に美学研究を続け1959年に没します。享年71歳。

九鬼周三とは同い年、和辻哲郎は一つ年下です。美学者と言えば日本的美学を『茶の本』として欧米に紹介した岡倉天心(1863-1913)が有名です。大西と岡倉に接点があったか否かはわかりませんが、当然、大西は岡倉の著書を読んでいたはずです。

大西の美学論は難解のためか研究する人が少なく資料も乏しいのですが、田中久文著『日本美を哲学する』で扱っています。同書より美学についての記述を、「はじめに」から引用します。いい文章だと思います。

「あはれ」「幽玄」「さび」「いき」といった言葉は、西洋の「美」よりも広がりをもった概念ともいえる。それらは、ある場合には「美」的概念というよりも「倫理」的概念であったり、「存在」論的概念であったり、さらには「宗教」的概念であったりする。しかし、だからこそ、限定的な「美」の概念に制約されない豊かな内容をもったものとして今日の私たちには映るのである。

むしろ、近代以前の日本人は、「あはれ」「幽玄」「さび」「いき」といった概念によって、広い意味で「哲学」していたといってもよいのではなかろうか。中江兆民が述べたように、「わが日本、古より今に至るまで哲学なし」といった見方が一般化している。もちろん、日本でも仏教や儒教の領域に於いて独創的な思索を展開した者は少なからずいた。しかし、それらは何といっても特定の経典や教義に制約されたものであり、世界や他者と素手で格闘しながら考え出されたものではない。それに対して、「あはれ」「幽玄」「さび」「いき」といった概念をめぐって展開された思索は、今日的にいえば芸術論・文学論・芸能論・演劇論などといわれる形をとりながらも、実際には人間や世界のあり方全体に関わるものであり、しかも、何ものをも前提とせずに世界を考えようとする、まさに「哲学」的なものであったといっても過言ではない。

(中略)

そうしたことを最も体系的に考えたのが大西であった。(略)こうして彼は日本の伝統的美学をその閉鎖性から解放し、普遍的な美学のなかでその意義を明らかにしようとした。

これほど体系的ではないにしても、日本の伝統的美学を捉えるこうした基本的な姿勢は和辻や九鬼などにも共通している。彼らが日本の美学の独自性を説く場合にも、その背景には常に西洋へのまなざし、さらにはそれを超えて普遍性へのまなざしが存在していた。

(中略)

こうして、日本の伝統的美学は、近代の哲学者たちのまなざしを介することによって、日本人が「哲学」する際の格好の指標として甦ったといえよう。

(青土社版 田中久文著『日本美を哲学する』)

 

美学という名称やその領域に囚われず、大西克禮を含めた近代の哲学者たちが日本伝統の美しさ観について掘り起こしてきた、考えてきたことがよくわかる言説です。

 

さてここからは心の構えを「情」に転調します。

徐々に。

上記の美しさ観についてですが、大きく分ければ、自分の心を外へ映してゆく外向的テーマと、外の世界を感受し自分の心のなかで練ろうとする内向的テーマとに分かれます。後者ですが、なぜ、私たちはそれを美しいものとして感受できるのだろうか。あるいは、なぜ、まだ美しいものとして感受できないのであろうか。

子どもに「もののあはれ」を感受しなさいと言ったってできません。私だって「幽玄」を感受してみろと言われても自信がない。こんなに生きてきても、世阿弥が晩年に著した『花鏡』の「幽玄の境に入ること」を、本質的な体感として解ってはいないし、幽玄の美を未だ浅くしか感受できない己れの未熟さを自覚しています。

 

もっと身近なところで「愛」はどうでしょうか。

子どもの頃の歌に「かあさんの歌」がありますよね。「かあさんが夜なべをして手ぶくろ編んでくれた…」の歌詞とメロディを思い浮かべてください。YouTubeで聴いてみてください。子どもが自分のこととして歌って母の愛を感受できていると思いますか。自分の子どもの頃を思い浮かべて、小学校3年生のときにこの歌を聞いて歌って感動しましたか。

子どものときに、母の愛を感受できなくていいのです。感動しなくてもいいのです。でも歌っておくのです。たくさん歌っておく。

やがて自分が母になった時に、ようやく母が自分に与えてくれた愛の深さに感動するのです。20年、30年かけて、母の愛情がわかる。母もおばあちゃんからそうして、愛情を教わってきたのです。子どものことをひたすら思って、夜を徹して編んでくれた手ぶくろ。暖かくないわけがないじゃないですか。その暖かさを、心の温もりを、20年かけてようやく感じとるのです。

今すぐに子どもが母である自分の愛情を、真の愛情を感じとれることはない。でも、ずーっと後になって感じとれてくれたらいいなあ。娘に子どもができた時に、その思いを自分の子どもに伝えてくれたらいいなあ。そんなふうに、母親は子どもに、或いは間接的に孫に、20年、30年と、その後も引き継がれる愛情の大事業を行っているのです。

そうした心の構えが自分の無意識の中にできれば、「かあさんの歌」を聴いて歌ってみたときに、胸にぐっときて、落涙しないことがあり得ない。

 

自分の母が自分に手ぶくろを編んでくれたかどうかなんて関係ない。自分の境遇にフィードバックしなくても想像力があれば感動してしまう。母の子どもに対する愛情はほかにもたくさんある。子どものことを思って料理して、ほうれん草を茹ですぎておひたしがやわらかくなってしまっても、おいしくないわけがないのです。おいしいに決まってるじゃないですか。どんな高級料理よりもおいしいに決まってます。母子に限ったことではありません。父子でもそうですし夫婦や恋人どうしでも、そんなことはあたりまえなのです。

 

愛情を感受できるこころ、愛情いっぱいの真ごころ、そんな貴い心よりも価値のあるものなどこの世にあるものか!と。

経済的に富裕であること、科学による様々な恩恵、それを幸せだとし、裕福になることが成功だと言われて久しい世の中ですが、美しく貴き心にまさるものなどこの世にはありません。過去にも未来にも永遠にありません。綺麗ごとですか。いえ、もしこれが綺麗ごとに聞こえるのならば本当に汚い世界や暴力と利権にまみれた世界を深く体験してこなかったからです。真っ暗で絶望的な悪と闇の世界を体で知れば知るほどに、そうした世界でもキラリと光って通用する、美しく貴き心にまさるものなど何もないと言い切れるのです。

古くからあるこの日本の、いや日本だけじゃなくて世界中にその素はあると思う。美しく貴き心のすばらしさを掘り起こすだけなく、更に磨きをかけ日本から世界へと発信し、新しい価値として台頭させることができたなら、どうですか。素晴らしいこととは思いませんか。子どもたちの目に希望の光が灯るとは思いませんか。100年200年かかっても1000年かかってもいい。個人の手柄なんていらない。何世代も超えた有志のつながりで、人間の最も大切なまごころを、美しく貴き心を第一等の価値にしようじゃないかと、少なくとも私ひとりはそう思ってます。

想像してみてください。人の美しく貴き心に触れて、感動して、自分も美しい心をもちたいな、あたしも、ぼくもと、その連鎖が起きる社会を想像してみてください。経済や科学は人のまごころの営みを支えるために存在しているのです。

 

 

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