principle(4)習得


 

前の記事では生得について少し触れた。本記事からは、生後まもなくから死の直前までの経験によって獲得されるあらゆることを習得として扱う。

ひとりの人格はどのようにつくられてゆくのか。

人間が意味や価値をものごとに与えるのは、実在客観世界から受容する第一次情報から始まる。私たちの身体も実在客観世界の物質からつくられている。

デカルトは「私は考える」「私は存在している」から始めたが、「私」「考える」「存在」の物質、意味、価値のすべては、言語習得も含め、実在客観世界から始まっている。親が私を誕生させなければ、思考することも私という存在もない。言わば私の全ては客観世界からの借り物でつくられている。いずれ客観世界へ返却されるのである。

習得を考えるとき、客観世界に何が実在しているか、どのようにして実在しているかを第一に分析せねばならない。今思いつくままにその要素を挙げるならば、自分が生まれ育った地域の自然風土、気候、食生活、発音言語(特に文法)、文字、国家、宗教、主要産業、家系、強い影響を与えうる人物たち(親が筆頭)、学問(教育含む)、芸術、政治経済、共同体文化、時事の出来事、多数派の意見、まだほかにもあろう。このひとつひとつの環境要因ついて考察していくことがここでの課題となる。

こうした第一次情報を受容し習慣化していくことで、これらが複雑に組み合わさって無意識のうちに価値観が形成され、その個人なりの解釈と表現が生まれてゆく。解釈と表現は「好む方向(或いは成功体験がある方向)へ無意識が欲求する」ため、その強弱は別として偏向することになる。これが個性だ。

更に、習得に対して生得が干渉している可能性も大であることを忘れてはならない。相当に複雑ではあるが「ひとりの個人」は有限であり無限ではないことを思えば、「個人固有の価値観の生成構造とそのダイナミズムを解明できない筈はない」という探究心と気概だけは持ち続けたい。

 

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