subject(10)客観世界(改)


 

1.内面認識と外部認識

前の記事まででは、subject と object について「異なる視座」からの考察を基本としました。今回は「認識の流れ」「実在世界と客観世界の差異」に重点を置き、意識と無意識の中で何が起きてどうなっているのかについて、その構造を論理的に解明しようとする試みです。

下の図を参照してください。内面認識は自分の内部のみで起きていることで、外部認識は自分の外部がどう自分にかかわってくるか、その振り分けです。

 

2.「実在世界」「客観世界」とは何か

「実在世界」とは世界の全てです。物理的宇宙的世界(空間と時間)のみならず、概念化された意味の世界と価値の世界を含みます。実在世界には事実もありますが虚構もあります。

「客観世界」とは「自分の外部の世界はこうなっている」というふうに、客体として対象化した外部世界を主体の自分が“仮定的”事実として、または想定的に信じる世界です。「仮定的」は無自覚です。

 

3.「客観世界」をつくる目的は何か

人類は、他者や他家族と群居生活を送るようになりました。危険から身を守ることや食糧確保が主な目的です。そこでは人間同士が互いに危険分子とならないように、一定のルールを決めねばならなかった。守るべき掟(おきて)があり罰則も設けられたでしょう。

そうすると自然に「同じ世界観の共有」を目指します。他者の感情を害さないように、どういう場合に他者はどういう感情を抱くのかを元にした「共感」と、それに伴って「理性的価値観の共有」が必要になったと推測します。当然、数百年、数千年の長い期間をかけて確立していったのだと思います。

(ほぼ)「同じ世界観」を望んだ結果として、「客観世界」を自分の認識につくることは必要不可欠になります。

 

4.「実在世界」から「客観世界」への流れ

人は生まれたばかりの頃は何も知りません。親が子どもに教えてゆく。子どもは「実在世界」の情報を親から与えられ、学習し、認識していきます。疑うことなしに。

子どもの内面では、実在世界のわずかな情報を積み上げながら、“自分の内面に”「客観世界」を構築していく。膨大な無意識の貯蔵庫内部にです。そしてどんどん更新していく。童話などの虚構をもそのまま信じ、客観世界をつくっていく。その内面の客観世界を自分の外部に、確かに存在する客観世界として投影します。

意識からの要請に応じて、無意識内部の客観世界から必要な情報を取り出します。以上までをまとめたのが下の図になります。

 

5.自我の芽生え

疑いをもたないまっさらな幼な子の時期を過ぎると、自我が芽生え始めます。

自我論にかんしては、自我生成論、無意識と意識の関係性、主観との関係性などテーマが多岐にわたり拡散してしまいますので、ここでは立ち入りません。前の記事 で触れたように「メインテーマの一つ」として自我論は別にやります。

下の図は自我が芽生えたところです。

 

6.「主観」の誕生と先入見

自我はどんどん大きくなります。不安感、期待感、願望、さまざまな感情、身体的体調、遺伝的性格、価値観、倫理観などの理性、欲求などの要素が分化していき、「私の感情はこうだ」「私はこうしたい」「私はこうなったら嫌だ」など、「私」という「主観」の「主語」を会得します。「私」を対象化します。object としての「subject」が誕生する。

同時に、虚構を見抜いたり、みずから虚構で遊んだり、不安感を払しょくするために、あるいは「こうなったらいいな」という願望のために、無自覚に、無意識内に構築する客観世界へ色付けを始めます。

そこでは必然的に先入見が生じます。

実在世界と(観念的)客観世界にズレが生じ差異が生まれ、その差異を認識できるようにもなる。子どもから大人への成長段階が下の図です。

 

7.「客観世界」の修正

大人へと成長し、さらに社会に揉まれだすと経験量が増え、ますます自我は増大化します。しかし同時に、自我をメタ認知できるようにもなり、自分の価値観や欲求、感情はどうなっているのかについての内省もできるようになります。

まず第一に、自分の主観は「客観世界」を外部の実在世界だと信じます。そうしないと社会生活ができないのです。しかし実在世界との差異にも気づき、無知、事実誤認、自分の推測や妄想、未来の想定などで間違え、自分がいかに愚かであるかを理解する。

「まず事実を確認しよう」「他者の客観世界と自分の客観世界のすり合わせをしよう」「事実が不確定ならばマジョリティーはどちらだろうか」「なぜ自分は間違えたのだろうか」「自分の自我やエゴ、性格が間違えにどう影響したのか」などをほぼ自動的に無意識内で修正処理するか、もしくは意識的な内省によって修正し、実在世界と客観世界の差異を埋めようとするはずです。

 

 

今日の記事はここまでとします。

冒頭に述べたとおり、相当荒っぽい仮説概論であることは承知の上ですが、ここまで相応の熟慮を重ねています。上述の「構造」にはある程度自信もあります。フッサールは他者の主観をすり合わせようとする「相互主観性(間主観性)」によって「客観世界」ができているとしましたが、私は、「客観世界」をすりあわせる「相互客観性」(私的造語です)によって、人間は社会生活を営んでいると考えました。

最後に少し逸れますが、メディアや政治家は、個人の内面の、無意識内に構築し絶えず更新されてゆく「客観世界」を彼らの利のための方向に誘導し歪めようと、報道テクニックを駆使していると思います。また個人のレベルでも他人の客観世界に関与しようとする。自分への一人の賛同者を得ようとするために有利な情報をピックアップし、或いは切り取ったりバレないように改ざんしたり、口頭でもインターネット上でも偏った情報を流すことを無自覚にやったりする。人間の習性として仕方のない面もありますが、見極める能力を身につけねばなりませんし、自分自身も無反省であってはならないと思います。

 

subject シリーズは一旦ここで終了し、principle シリーズへ展開します。