根拠なき自信をもてってなに?


新春二発目のコラムっていうか、コラム書き始める前の殴り書きなので、どーーーーせ、消すからね、消すんだよ、消す消す必ず消す(笑)

根拠なき自信を持てってたまに聞くんですが、あれってなんですか?自信って必要なの?要らなくない?邪魔でしょ?

だって順番がちゃうよね。実績ができて、そこから自信が芽生えていくっていう順序でしょ。先に自信を持てって言ったってどう持って良いかわからんでしょ。ふつうに考えて。

んでもって、自信なんて簡単に吹っ飛ぶもんだよ。そうでしょ。だいたい傲慢さが自信にはもれなくおまけで付いてくるし。だよね?

自分に可能性を持て、が正しいと思うんだな。人間なんて可能性のかたまりじゃん。小さければ小さいほど時間がたっぷりあって可能性は大きいし。でもいつ死んじゃうかわからんからね。そういう意味では10才の子も80才のおばあちゃんも可能性は同等だとも言える。言えるだけだけど(笑)

言葉を少し変えれば、自分の可能性を信じ切ろ!だね。信じるだけじゃ足りない。信じ切らないとね。

私は何回すっころんで何回恥かいても、自分の可能性だけは信じ切ってますよ。年令とか関係なく、20年前の自分の可能性も今の可能性も同じって感じる。

でさ。自分の可能性を信じ切るというのは、自分だけじゃなくて何に対しても、たとえば未来に起きることとか、他人との関係とか、他者の人格や能力とか、出会いだとか、あらゆることにたいして可能性をみる、ってことの習性によって自分にも可能性を常にみられるってことだと思うんだ。

可能性への志向。心が可能性へ向くイメージなんだけど、じゃあなんで志向性が生まれるんだってところは、未だわかっていないんだ。私もわからないし世界の哲学も科学もわからない。それを考察していくのが私のひとつのテーマでもあるんだけどね。

ま、とりあえずさ。根拠なき自信を持てよりも、自分の可能性を信じ切ろのほうが圧倒的に健全だと私は考えるけど。傲慢にならないし、むしろ謙虚になると思うよ。

君はどう考えるかな?

 

 

 

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