無意識の調律(1)


「無意識の“調律”」をライフワークにしていこうと思う。

科学にはならないとは思うけれど、普遍的な何かを目指してみよう。

“調律”することが「良い」のではない。「良い」は“調律”のなかに含まれなければならない。この点は哲学的な精確さを追求する。“調律”の意義があるとすれば、進めながら発見できるのかもしれない。要は私の好奇心というだけなのだが。

論理を組み立て常に考察し、実験してゆく。

実験体は自分自身である。

例えば、現代人の多くは「柔軟な思考がよい」という価値評価を下すことが多い。それはそれでいい。私も柔軟さはよいと思う。しかし剛直さもよいと思う。この二つは、同時に成立し得ない。対立する価値は世界にやまほどあるが、同時に成立し得ないがために、「私はこっち。あなたはどっち?」というふうに、どちらかの価値を「正しい」として定立させようとする。私はこれを定立させず常に留保状態とし、そのたびごとに無意識に決定してもらおうと思う。そのための“調律”である。

上記の例で柔軟性と剛直性を価値均等に併存させるために、例えば、老荘、淮南子から柔軟性を学び、一方で葉隠の武士道から剛直性を学ぶというふうに。

理性と野生、知性、感性、情感、それぞれをどのように活性化させていくか、どのような交響曲を無意識が奏でるようになるかのベースは、“調律”のアートにある。

 

 

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