『日本』という個性(5)


 

桜の人モード

前回記事からの続きです。

幽玄の美しさとはどのようなイメージなのかを考えます。

幽玄という観念が中国から輸入されて約1200年余。日本特有の幽玄へとおそらく変化していると思います。平安王朝時代に主に歌論で見られる幽玄、世阿弥が活躍した室町時代の幽玄、安土桃山時代に茶道を極めた千利休の頃の幽玄、江戸時代の幽玄、明治維新からの近代の幽玄、そして現代の幽玄。

 

まずは辞書を引いてみます。
「幽」と「玄」の字源も参考にしたいので、以下は三省堂新明解漢和辞典第四版からの引用となります。

 

【幽玄】(ゆうげん)

1.奥深く微妙で、たやすくはかり知ることができないこと。

2.趣が深く味わいが尽きない。ことばや形に表現されないものに深い情趣があること。余情余韻があること。

 

「幽」も「玄」も会意文字で、どちらにも「幺」が入っています。「幺」は糸の先のイメージで微かな、ごくごく小さな意味を表します。

「幽」は微かが二つ(奥深い)山に囲まれている様子で、ほのか、ほんのり、人の知覚に触れにくい、もの静か、ひそむ、暗い、あの世、陰気などの意味があります。

「玄」は微かが蓋をされて覆い隠されてしまっている様子で、黒、北、空、天、奥深い道理、道徳、もと、枢要、微妙、静か、きらめくなど、幅広い意味があります。

 

「玄」のもともとの中国の意味を確かめられる古典があります。

 

老子 第一章

道の道とす可(べ)きは、常の道に非(あら)ず
名の名とす可(べ)きは、常の名に非(あら)ず

無名は天地の始めなり 有名は萬物(ばんぶつ)の母なり
故に常(じょう)無(む)以(も)って其の妙を観んと欲し、
常(じょう)有(ゆう)以(も)って其の激(けふ)を観んと欲す

此の両者は、同出にして名を異(こと)にす

同じく之(これ)をと謂(い)ふ
の又は、衆妙(しゅみょう)の門なり

(大修館書店 諸橋轍次著 『老子の講義』 p3-5 )

 

老子は八十一章によって成り立っていますが、「玄」という概念は、その一番最初の第一章に登場します。

無と有の始まり、つまり宇宙の始まりについて説いています。

無と有は、「玄」から生まれました。
その「玄」はこれも(もっと奥深い)「玄」から生まれた。そこは衆妙の門(森羅万象、あらゆるものの根源)であると。2500年前の中国の壮大な思想です。

この「玄」の使われ方を考えますと、人間には知覚できない奥深くに隠された「本源」であり、最も重要な価値だと考えられます。

『三国志』に登場する劉備玄徳の名前は凄い意味だったのですね。

 

漢字の字源や中国の古典から追いますと、中国での幽玄は果たして「美しさ」を表していたのかどうか疑問が残ります。むしろ哲学的な意味が強かったのかもしれません。

日本文化は、「幽玄」を美の極致にまで高めました。

 

幽玄之入堺事(ゆうげんのさかいにいること)

幽玄の風体(ふうてい)の事。諸道・諸事において、幽玄なるをもて上果とせり。
ことさら当芸において、幽玄の風体、第一とせり。

まづおほかたは、幽玄の風体、目前にあらはれて、これをのみ見所(けんじょ)の人も賞翫(しょうかん)すれども、幽玄なる為手(して)、左右なくなし。これ、まことに幽玄の味はひを知らざるゆゑなり。さるほどにその堺へ入る為手なし。

そもそも幽玄の堺とは、まことにはいかなるところにてあるべきやらん。まづ世上の有様をもて、人の品々を見るに、公家の御たたずまひの位高く、人ばう余に変はれる御有様、これ、幽玄なる位と申すべきやらん。しからばただ美しく柔和なる体(てい)、幽玄の本体なり。

(中略)

この理(ことわり)をわれと工夫して、その主になり入るを、幽玄の堺に入る者とは申すなり。
この品々を工夫もせず、ましてそれにもならで、ただ幽玄ならんとばかり思はば、生涯幽玄はあるまじきなり。

(新潮日本古典集 『世阿弥芸術論集/花鏡』 p139-142 )

 

※ 堺 ・・・ 境地
※ 上果 ・・・最上級の芸位
※ 賞翫 ・・・ほめはやすこと
※ 為手 ・・・能の演技者

※ 幽玄の芸能は日常目にふれ、観客もこればかりを尊重するというほどの流行ではあるが、真に幽玄な役者は容易に見つからない。
※ 人ばう ・・・人望か。世間の尊敬も余人と違っている御様子は、の意。「人貌(かおかたち)」とする説もある。
※ 歌論書『三五記』では幽玄を、「やさしく物柔らかなる筋」という。

(中略)のなかでは、言葉の幽玄、音楽の幽玄、舞の幽玄、役柄それぞれの幽玄について語られています。最後の文章に見るように、幽玄を表現しようとばかり考えてしまうと一生涯幽玄は達成できないとダメを押しています。

 

同書の解説では幽玄について詳細に述べられています。一部を抜粋引用します。

しかし幽玄、あるいは花の審美性は、いつまでもこの域にとどまっていたわけではなく、(中略)『花鏡』に進むと、「さびさびとしたる」「冷えたる」ものを最上とし、またこの方向で考えられる窮極の芸位を「妙所」とよんで、「およそ幽玄の風体の闌(た)けたらんは、この妙所に少し近き風にてやあるべき」と説くに至っている。

「妙」とは仏教用語で、言語を絶するありようをさすのであるから、「妙所」とは限りなく接近はできても、所詮到達不可能な場所でなければならない。(中略)この妙所からほど近い「幽玄の風体の闌けたらん」には、およそ幽玄について考えられる限り最上の状態が含意されていたはずである。

そして、以下に述べるような「妙所の事」の条の説明から推せば、その審美的内容は、もはや感覚や官能の域にとどまるものではなく、たとえそれを離れることはないとしても、遥かにぬきんでた境位にあったことは疑われない。

(上記同書 p288-289 )

※ 闌けたらん ・・・「長ける」に近い。至高の段階に達して自在の境地になること。

タチバナ教養文庫版の現代語訳文では、幽玄を「優美」と訳しているのみで、幽玄自体の解説はありません。ちょっと残念です。世阿弥と言えば「花」と「幽玄」だと思うのですが。

世阿弥の『風姿花伝』や『花鏡』を、単なる能のための文献だとして読むならば、私にはなんの学びにもなりません。世阿弥が追及した究極の美に幽玄を据えたのは、中国古典での「玄」という「人知でははかれない不明な本源」を、役者が魅せようとするのではなく、役者みずからが不明な本源を仮象として心に置く境地に至ることで、至高の表現がおのずと生まれると考えたのではないでしょうか。

とても難しいことだと思いますが。

現代を生き抜いていこうとするときに、私たちの心の深層の「玄」を意識できるかどうか。あるいは無意識下に洗練された「玄」を根付かせるためにはどのように修養したらよいのか。

 

私の抱く幽玄の美しさにかんするイメージは、幻想的で、吸い込まれそうで、ふわっとしていて、はかない命の美しさを感じ、もの哀しくて、未知への勇気、時が止まったのではなくそこに時のすべてが集約されていて息をのむ感じ、空をつかむような手ごたえのない美しさ、などです。