理知の学問
現代の世情をながめれば、政治の軽薄化、格差社会、経済偏重主義、心無き時代、人々の無表情化、核戦争の危機、宗教活動テロ、地球温暖化など、「人類の危機」が訪れている感さえあります。
現実に対処していくことは大切です。しかしそれだけでは根本的治療にはならず、表面的かつ場当たり的でつぎはぎだらけの、原型をとどめない醜い人類文化がどんどん歪んでゆくばかりです。
人類の延命治療をするのではなく根治を目指し、我々の子孫たちにより良い世界を残すためにどうしたら良いのでしょうか。
宗教や社会思想はどうでしょうか。
異教徒との争いが世界各地で起こり、信仰依存によって信徒の心は隷属化し、宗教教団の多くが権力化するのはなぜでしょう。現に今もそうなっているのではありませんか。どんな宗教も必ず「派」が生じます。純化する原理主義によって排他性が強くなり、紛争や戦争、テロの源にもなってしまう性格をもちます。社会はこうあるべきと正義の理想を振りかざす社会思想についても同様のことがいえます。
教育はどうでしょうか。
教えるおとなの先生の人格資質が現代社会のままであれば、子どももそのままです。まずおとなの人格教育から始めなければならない。ではそのおとなの教育を誰がすると言うのでしょう。国家(文部科学省)も人で出来ている限りレベルは変わりません。人間性を養うには、トップダウン型では無理だということに早く気づくべきだと思います。学校は知識を教えることに特化し、道徳には手を出さない方が良い。教育はその名のとおり、教えて育てることです。そこには必ず教えて育てる側の問題があるのです。
科学はどうでしょうか。
物理科学がどれほど発展しようと、それによって更に心無き時代となることはあっても、心の幸せにはつながることはありません。テクノロジーの進化は後戻りができない。この後戻りができないことを軽視し過ぎていると思います。更に科学的水準を上げていく欲求に人類は勝てません。争いには科学の兵器が使われます。核兵器だけでなく、それ以上に世界を大きく破壊する物理学的および生物学的な科学兵器のレベルは天井知らずに上がってゆきます。人類が兵器を作れなくなることはもう無いのです。地球という星自体を消滅させる水準の兵器は、間違いなく今世紀中に開発されるでしょう。
では、どうしたら良いのか。
私には、ひとりびとりが「哲学する」ことによるほかはないように思えます。じわじわと数十年、数百年、数千年かけて地道に、地球人類の見識がおのずから変わっていくほかに、人類の希望への道は無いと思っています。
自分ひとりが沈潜しても微々たるもので、何の直接的影響を与えることはありません。しかしながら、「一燈照隅、万燈照国」という言葉があります。
この言葉の意味は、一隅を照らし続けていれば、それを陰から見て、どこかの誰かが自分もと思って一隅を照らしてくれるかもしれない。やがてそれが万燈となって国を照らすことにつながるということです。地道に一つの隅を照らしていくことを念頭に、私は自己研鑽に精進します。
ここでは、理知の学問に接することでの気づきを書いていきます。
なお、ニーチェの『ツァラトゥストラ』にかんしては特別コンテンツとして、そのすべての主観的解釈をこころみます。
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