《断想》はプラクシス


《断想》を書くのはひさしぶりだ。約三か月ぶり。最近はインプットがほとんどでアウトプットが出来ていなかった。サボりだ。インプットは楽だからねえ。でもインプットだけでは全然身につかない。忘れてしまう。あまり意味がない。本来、アウトプットのためのインプットのはずだ。読書で学んだことを使っていくことで、はじめて身についていく。そういうものだろう。

ところで、このウェブサイト全域をリフレッシュしようと思い立ち、ひとつひとつの記事について見直しをしている。今ここに書いている《断想》は「投稿ページ」になり、サイト全域の記事は「投稿ページ」と「固定ページ」の二種類に分かれる。この一週間で、「投稿ページ」のすべてにチェックを入れ、リンク切れや誤字脱字の修正、文字の大きさやカラーの統一、ページURL統一のための変更、ごみ記事の削除などを行いすっきりした。「固定ページ」のほうは創造と変革が随時行うことになり自然に修正される。

「投稿ページ」コンテンツは《断想》であり、その日その日に想ったことについて書く。《断想》がブログと異なるのは、ブログの場合は日常の具体的な日記のような感じになるのに対し、《断想》は主に抽象的で論考的な文章になるか、詩作的文章になる。ほとんど詩はまだ書いていないけれど。コラムは社会的なことにたいする論考なのでこれも違う。とはいえ、今日のようなブログ的なエッセイを書くこともあるし、コラム的なことを書くこともある。それも含めて《断想》ということで。

過去7年間での《断想》は250記事でそれほど多くはない。でも一記事ずつチェックを入れていく作業はけっこうハードだった。集中したので時間を忘れフロー状態となりいつのまにか朝になっていた日が何度もあった。数年前に書いた記事は、未熟な見識のものもあったが熱意に溢れていた記事もあり、概ね、よく頭を使って書いていたなと過去の自分に感心したりもした。リベラリズムや subject の連作は力が入っていたし、日本の個性や日本文化の連作も忘れていたことを思い出させてくれた。星の王子さまの連作は「固定ページ」に移そうかなと考えている。「固定ページ」は現在150記事。どちらのページも増え続け、減ることはないだろう。

言うまでもなく、私の集大成は「固定ページ」にまとめられる。「固定ページ」全域を「人生の作品」とすることがライフワークである。

《断想》は「人生の作品」を創造するためのプラクシス(練習的実践)だと言ってよいだろう。どんどんプラクシスを行っていこうと改めて思う。

 

 

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