雑感。 このウェブサイトに触るのは先の投稿が半年ぶりとなった。コンテンツ整理をしなければと思いつつ、正直に言えば目を背けた。その膨大な作業の重さから逃避していたわけだ。その影響で、毎日のように書くつもりのブログも億劫になってしまっていた。 しかし私に残されている時間はそう長くはない。と思う。特に健康に問題があるわけではないが、年齢的に、いつ大病に襲われるか... Read More
コンテンツ構造と内容の変更について
今までは、ほぼ「個人的なこと」の範疇を出る内容ではありませんでしたが、今後は、新しい「人類哲学」の普遍的な理論を体系的に独創していくことをメインコンテンツとします。 人間とは、という問いは認識論と価値論に収斂されると考えています。ここから派生して欲求と感情が生まれる。大枠は二つの理論を体系的に分類し、理論構造を新しく基礎から建設することで、人間のすべてを語... Read More
無意識の調律(2)
暗中模索のまま進む「無意識の調律」ですが、調律を行うのはあくまで無意識であって、意識上の私はそのサポートをするしかない。意図的な調律はできない。 意識上に生じる「私」は私全体の主人公ではないのだ。 私全体の主人公は無意識であり、意識は無意識の出先機関のようなもの。これを意識上の私が感覚にまで落としこめるかどうか。無意識が主人公であることを頭でわかるだけでな... Read More
無意識の調律(1)
「無意識の“調律”」をライフワークにしていこうと思う。 科学にはならないとは思うけれど、普遍的な何かを目指してみよう。 “調律”することが「良い」のではない。「良い」は“調律”のなかに含まれなければならない。この点は哲学的な精確さを追求する。“調律”の意義があるとすれば、進めながら発見できるのかもしれない。要は私の好奇心というだけなのだが。 論理を組み立て... Read More
〈自然〉について改めて考えてみる(2)
〈自然〉について考察するということは、「生きる」ことについて考察することとほぼ同じだと思います。なぜ人は生きるのか。 “生くる目的は生くること也” 前回のコラムで野口晴哉氏の言葉を引用しましたが、この一文をどのように解釈すれば良いのか。その次の段落で彼が述べているとおり、ヒントは〈自然〉を知ることにあります。 ところで、私たちは昭和以降の教育を受けています... Read More