サイト雑感


前の記事で「人類哲学の独創」についての最新MENUをアップした。MainTitleとSubTitleを決めた。構造原理における認識と表現とのあいだに「欲求」を加えた。この原理の中核は意志がどのようにして生成されるかにある。

それにしても、1年9か月ぶりに復活した断想7月24日から8月30日までの記事を再度読んでいくと、自分でいうのもなんだが充実している。概念、価値観、思考、宗教、日本の忍、物語化と神話、これらについての探究がいい感じになっている。考察したそれぞれについては、整理しながら固定ページへ移していこう。固定ページの構造も変えなくてはならないのだが、これが面倒で二の足を踏んでいる。

「人類哲学の独創」だけでなく、「私の美学建設」のほうもブラッシュアップしたい。これらは「断想」とともに、このウェブサイト内だけの創造知である。誰に読んでもらおうとも誰に理解してもらおうとも思わない。だいたい物好きの変人くらいしか読まない(読めない)ものを書いているから。ウェブサイトに記事として投稿するというのは一つの表現ではあるが、実質的には整理の意味が強い。

表現の本命は「小説の創作」である。これは「5000年後の未来の子どもたち」が想定読者であり、その内容は、「人類哲学の独創」と「私の美学建設」のすべてを小説というレトリック手法によって、《子どもたち自身が考えてゆくためのコンテンツ》として創る。要するに、「人類哲学の独創」と「私の美学建設」がある程度進まないと、小説の全体構成ができず、話を始められない。

とはいえ、そんなことではきりがない。なにしろ「人類哲学の独創」と「私の美学建設」は、構造も内容も常にブラッシュアップされていく、つまり変化し続けていくので永遠に確定することはない。私の死後も確定するものであってはならない。【永遠の未完成】として「完成」させる。やる限りは、永遠に世界一なるコンテンツを開発する。

もはや俺の体は俺のための体ではない。腹を括ろう。

そういえば、8月19日にも「サイト記事を振り返って」という雑感を書いていたなあ。月に一度くらい、既に他者となった自分が書いた1か月分を読み直すことは有意義なことのようだ。

9月は断想を20日間休んだ。途中で、毎日必ず書くという縛りはやめようと思った。自縄自縛で追われる心理になるのは馬鹿らしい。そもそもルーティンワークは大の苦手である。他のことで忙しかったり気分が乗らなかったりしたときに、無理に書く必要はない。それよりも、充実した内容の記事を書いていくこと、これに尽きる。

哲学にしても美学にしても、それを網羅的に体系化するには考えなくてはならない。つまり「思考」が必要で、思考理論の一部として思考の「技術論」を先に創るほうが良さそうだ。概念や価値観について哲学的探究をするのにも、思考の技術は欠かせない。思考技術に伴って必要になるのは判断理論。思考は解るために。判断は判るために。

雑感にしてはずいぶん重くなってしまって、今日はエッセー感ないな。

 

 

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