ツァラトゥストラはこう語った
《 このページ内 INDEX 》
1.ニーチェ自身による本書紹介
私の著作の中では私のツァラトゥストラが独自の位置を占めている。
私はこの一作を以って、人類に対し、これまで人類に与えられた中での最大の贈り物を捧げたことになるであろう。
数千年の彼方にまで響く一つの声を持つ同書は、この世に存在する最高の書、文字通り高山の空気を湛(たた)えた書というだけにとどまらない。
――人間という事実全体がこの書の途轍(とてつ)もなくはるか下の方に横たわっているのだが――これはまた、真理の奥底にひそむ豊饒(ほうじょう)潤沢の中から誕生した最深の書であり、その中へ鶴瓶(つるべ)を下ろせば、必ずや黄金と善きものとが満載して汲(く)み上げられて来る一つの無尽蔵の泉である。
ここで語り出しているのは「予言者」ではない。宗団の教祖と呼ばれる、あのおぞましい病気と権力意志の合いの子の類いではない。
人はすべからくツァラトゥストラの口から洩れ出る調子、長閑(のどか)な凪日和(なぎびより)の(halkyonisch)調子に、正しく耳を傾けなければならない。
彼の叡知(えいち)の示す意味を乱暴に取り違えることがないように。
(西尾幹二訳 ニーチェ著 『この人を見よ』 新潮文庫p7-8)
ニーチェの代表作である『ツァラトゥストラ』は、さまざまなレトリック技法が駆使されている作品であり、解釈は容易ではありません。専門的な哲学用語は無いのでごく一般の人でも読めますが、どのように解釈するかについては読者に委ねられる部分が大半です。ニーチェは読者を選んでいます。
『この人を見よ』を翻訳した西尾幹二さんは日本におけるニーチェ哲学研究の第一人者かと思いますが、西尾さんの著書、『ニーチェとの対話』(l講談社現代新書)において、「『ツァラトゥストラ』にはなにかわからない、不透明な謎が余りにも多い。」 と、西尾さんをしてそう言わしめているほどです。
この書の謎をどのように解釈するかは一つの目的になりますが、それよりも、みずからの心でこの書を照らし、書から何を自分に吸い上げてくるのか、考えることによって無意識内の価値観や心がどう練られていくかに、読む価値を置くことが大切だと思います。
2.テーマは何か
ニーチェの主たる哲学テーマは、「超人」、「力への意志」、「永遠回帰」、「ディオニュソス」の四つだと私は考えています。
『ツァラトゥストラ』には、上記四つすべてが凝縮され散りばめられています。
四つのメインテーマにたどり着くためには、「没落」、「道化師」、「深淵の思想」、「大いなる正午」、「重力の霊」、「偶然性」、「救済」、「自由な精神」、「創造者」、「鷲と蛇」、「高貴とは何か」 などのサブテーマをどのように解釈していくか、謎を解いていくかが求められます。
また、「ニヒリズムの克服」「アンチクリスト(キリスト教の否定)」「ルサンチマン」のテーマは言葉として本書にはほぼ見られませんが、ニーチェが哲学論を構築していく原初動機となっていることは言うまでもありません。「神の死」や「運命愛」なども含め、これらについては、四つのメインテーマへ収斂されていることをもって特別に取り上げませんが、解釈のなかで触れてまいります。
3.ツァラトゥストラは体験の書
……かつてハインリヒ・フォン・シュタイン博士が私の『ツァラトゥストラ』を読んで、一語も分からなかった、と正直に苦情を洩らしたことがあるが、そのとき私は彼に、それでいいんですよ、あの中の六つの文章が分かったなら、ということは体験したなら、ということですが、そのときには「近代的」人間の到達できるよりも一段と高い人間の階梯(かいてい)へとわれわれを高めたことになるのですから、と語ったものだった。
(中略)
……それだけに一層、私は一つの説明をしておきたい。――結局、書物を含めてあらゆる物事からは、誰にしても、自分がすでに知っていること以上を聴き出すことは出来ない相談だ。
体験から近づいて行く道を持ち合わせていないような事柄には、誰も聞く耳を持たない。
(西尾幹二訳 ニーチェ著 『この人を見よ』 新潮文庫p83-85)
ニーチェが著書『この人を見よ』にて、『ツァラトゥストラ』を「体験の書」と述べているのですが、「体験」とはどのようなことをいうのでしょうか。
ニーチェ自身が体験したことを綴った書であることは解ります。では読者はどうしたら良いのかを考えてみます。この書が思想哲学書であるのならば、ニーチェが体験したのは外的環境によってではなく、内的に体験したことに間違いありません。
であれば、この書をヒントに読者が内的に体験から近づいていくことができるはずです。
ただしあくまで「体験」ということですから、思考の論理性のみによってではない。もちろん論理ははたらかせますが、最後は言語化できない感性的な体験をするということであります。ベートーベンやモーツァルトを聴いたときの全身体験とでも言いましょうか。
この「体験」方法については私案があり、というのも私自身が実験台となって、「成りきり」 を試みました。ツァラトゥストラと全体のイメージ、特に「意志」や「生」などの「概念」への成りきりはなかなか上手くできず手こずりましたが、十数日かけて体験率で言えば2割くらいを感性体験できたのではないかと思っています。(2017年4月)
4.解釈について
なお、念のため申し上げておきますが、ここでの解釈は私の個人的なものであって、普遍的な正しい解釈ではありません。ニーチェに確認できるはずもありません。「この書に正しい解釈はない」とすることが、おおむね、哲学研究学者の一致した見解です。
ただ、ニーチェが述べているように、「彼(ツァラトゥストラ)の叡知の示す意味を乱暴に取り違えることがないように」、注意深く考察し、全体を体験していくことが肝要であって、自己流の無茶苦茶な解釈をして良いということではない。「超人」「力への意志」が曲解され、ナチス・ドイツに教義として利用された歴史もあります。
エキセントリックな文章、辛辣な世俗的価値への批判、そうした刺激に一旦は目がくらみ惑わされます。反発心が生まれる人もいるでしょう。しかし、沈潜し熟考を重ねることによって、もしかすると、光の届かない数千メートルの海底に、光り輝くダイアモンドがごろごろ転がっていることを発見できるかもしれません。
また、私の解釈は今まで学者によってなされてきた解釈とは異なることが多いことを、このホームページの読者の方はどうかお含みください。
5.ツァラトゥストラ解釈 INDEX
(アンダーラインの項目から別ページへ移動)
〔 第二部 〕
-
- 鏡を持った幼児
- 至福の島々で
- 同情者たち
- 聖職者たち
- 賤民
- タランテラ
- 高名な賢者たち
- 夜の歌
- 舞踏の歌
- 墓の歌
- 自己克服
- 崇高な人たち
- 教養の国
- 汚れなき認識
- 学者たち
- 詩人たち
- 大いなる出来事
- 預言者
- 救済
- 処世の知恵
- 最も静かなる時
〔 第三部 〕
-
- さすらい人
- 幻影と謎
- 心外な幸福
- 日の出前
- 小さくする徳
- オリーヴ山上で
- 通過
- 変節者たち
- 帰郷
- 三つの悪
- 重力の霊
- 古い石板と新しい石板
- 快癒しつつある者
- 大いなる憧れ
- もうひとつの舞踏の歌
- 七つの封印(または、然りとアーメンの歌)
〔 第四部 〕
-
- 蜜の供え物
- 危急の叫び
- 王たちとの対話
- 蛭
- 魔術師
- 退職
- 最も醜悪な人間
- 進んで乞食になった男
- 影
- 正午
- 挨拶
- 晩餐
- 高級な人間
- 憂鬱の歌
- 学問
- 沙漠の娘たちの許で
- 覚醒
- 驢馬祭り
- 夜にさすらう者の歌
- 徴
6.注意点および参考文献
まず、各章のタイトルについてですが、副題以外の章タイトルは『序説』を含め編集者が考案したものとして捉えます。ニーチェの手稿本に章タイトルの一部が存在する部分もあるそうですが、確かなことはわかりません。独語本においても本によって章タイトルはさまざまです。私の所有している原著には章タイトルは一切ありません。
それゆえ、章タイトルによって先入観をもたないように、タイトルのイメージに拘らないよう読み進めたほうが良いと考えます。
このサイトでは下記独英対訳本よりドイツ語表記を、( )内に英訳を付記しました。
日本語和訳では、白水社版の章タイトルを引用使用します。
引用メイン
薗田宗人訳 白水社版『ニーチェ全集 第Ⅱ期 第一巻 ツァラトゥストラはこう語った』
引用サブ
JiaHu Books The Rosetta Series 『 Also sprach zarathustra Thus Spoke Zarathustra (German/English Bilingual Text)』 Friedrich Nietzsche