リベラリズム考(1)―多義性


 

水の人モード

昨今、政治におけるリベラルとは何か、保守とは何かの定義がぐらついており、日本の政治家の自称リベラル派とマスメディアによる、リベラルという語の語義、語感についての誤った表現には看過できないところが大いにある。この機会にあらためてリベラリズムを掘り下げてみようと思う。

 

リベラリズムとは何か。

直訳すれば自由主義であるが非常に多義的である。リバティとフリーダムの違い、保守と対比されるリベラル、個人主義的リベラリズムと社会主義的リベラリズムの違い、資本主義における経済と労働のリベラリズム、政治的リベラリズム、宗教と思想におけるリベラリズム、法の正義とリベラリズム、個人の内的エリアにおける価値観を塗り替え変更してゆくリベラリズム、啓蒙主義、個人主義、改革主義、寛容主義、ダイバーシティ(多様性)、寛容と不寛容、多様なイデオロギーや価値観とリベラリズムとの関係、リベラリズムの陥穽、かかるテーマは広範囲に及ぶ。

自由主義と訳されるが、リベラリズムは社会主義や全体主義、ひいては独裁主義にも関係してくる。意外に思われるかもしれないが、独裁者はリベラリストでもあると考えることができる。

本来であれば、例えばインターネット上の掲示板等で議論できる環境があれば良いのだけれど、そういう場はもはや無くなってしまった。ロジカルな長文自体が歓迎されない。また、アカデミカルな職にあれば議論する相手に困らないのかもしれないが、私の周囲にはじっくり腰を据えて議論を続けてゆけるリアルフレンドもいない。

独りの議論になるけれど、スタートしよう。

 

■ 定説におけるリベラリズム

まず『岩波哲学思想事典』からリベラリズムについて書かれた始めのほうの一部を引用する。(相当な分量になるのでとても全文は引用できない)

自由主義 [英] liberalism [独] Liberalismus [仏] libéralisme

 【多義性】 語史的には、19世紀初頭の英国政界において、トーリー党員がホイッグ党員を侮蔑的意味合いを込めた “liberales” というスペイン語の名称で呼んだのが起源とされる。選挙法改正や穀物法廃止を経てホイッグが他の改革勢力を吸収し、19世紀中頃、自由党 (the Liberal party) として再編されると、この党派の改革主義的立場を範型にして liberalism の政治的意味が確立されるに至った。

しかし、その思想的・哲学的意味は多義的であり、それに応じて遡られる思想史的起源も、ソフィストやソクラテスなどの古代啓蒙から、ストア派のコスモポリタニズム、エピクロスの個人主義、マグナ・カルタやモナルコマキ(暴君放伐論者)などに見られる中世・近世の制限権力論・抵抗思想、宗教改革、啓蒙主義、近代自然権論・抵抗思想、進化論、ロマン主義等に至るまで、実に多様である。

「自由主義」という我が国で流通している定訳は、「自由(liberty)」を根本理念とする思想という一般理解を表現しているが、この理解はリベラリズムの複雑性を的確にとらえていない。第一に、自由そのものが多義的であり、しかも自由のどの定義にもリベラリズムを還元することはできない。(p720)

 

リベラリズムの定説を研究し理解するためには、遠くギリシャ時代まで遡らなくてはならない。私を含め一般人はそこまでの時間的余裕と労力的余裕はないだろうから、概略を理解するにとどめたい。

次に、自由主義を議論するためには、「自由」の多義性についてひとつひとつの語義を丹念に拾い出すべきなのだが、今回は自由主義を議論するなかで、自由について言及する場面があればそうしたい。

『岩波思想哲学事典』は800名以上の執筆者と41名の編集協力者、8名の編集委員によって著されているが、上記の自由主義を執筆担当したのは法哲学者の井上達夫氏である。

氏は、著書『リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください』において次のように述べている。

 

項目名は定訳にするという編集部の方針に従いました。しかし、自分としてはリベラリズムを「自由主義」とするのは誤訳だと思っているから、音読みのカタカナのまま使っています。(p10)

リベラリズムとは何か。リベラリズムには二つの歴史的起源があります。「啓蒙」「寛容」です。

啓蒙主義というのは、理性の重視ですね。理性によって蒙(もう)を啓(ひら)く。因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動です。十八世紀にフランスを中心にヨーロッパに広がり、フランス革命の推進力になったとされる。

寛容というのも、西欧の歴史の文脈から出てくる。宗教改革のあと、ヨーロッパは宗教戦争の時代を迎えました。大陸のほうでは三十年戦争、イギリスではピューリタン革命前後の宗教的内乱。血で血を洗うすさまじい戦争でした。

それがウエストファリア条約でいちおう落ち着いた、というか棲み分けができた。その経験から出てきたのが寛容の伝統です。宗教が違い、価値観が違っても、共存しましょう、という。

この「啓蒙」の伝統と「寛容」の伝統が、リベラリズムの歴史的淵源だということは、ほぼすべての研究者の共通了解です。(p11-12)

 

井上氏は、リベラリズムは「正義主義」だと言う。「正義主義」については彼の持論である「正義の概念」への派生が長大になるので(同氏著『世界正義論』に詳しいが難解)、正義の概念については別の議論をもってあたりたい。

リベラリズムの思想的淵源は「啓蒙」と「寛容」にあるというのが学者の共通了解であると言う。

であれば、「啓蒙」と「寛容」について、おさらいをしておく必要がある。

 

リベラリズム考(2)―啓蒙 へつづく。