ライティングについて(2)


・・・つづきから。

ということで、ブログ上で自分の問題点を書きながら整理していきます。と同時に、こんなふうな問題が私のブログにはあるので大目に見てね、という読者さんへのほのかな釈明が隠されていたりもします。

 

1.単語の語義を正しく記憶していない可能性がある。

まずは上記のことをしかと心得ておくことにします。

他にどのような問題があるのだろうと、ちょっと悪乗りというか興味が湧いてきたので、最新のWEBライティングについて30代後半の人が書いてる本をアマゾンで発注して買ってみました。

うん。漫画がちょっと入ってます。こういうのって気楽に読めるからいいよね?

けっこうためになりましたよ。

「SEO」は、Search Engine Optimization の略で、要は、どうすれば Google などの検索サイトで上位に表示されるかというテーマです。このテーマ化によってSEOが既に職業ジャンルにもなっていて、携わる人は高収入を得ているらしい。もちろん私はSEOの職に携わろうなんて爪の先ほども思っていませんし、この「永遠の未完成を奏でる天籟の風」サイトを検索上位にしようだとか、アクセス数を伸ばしたいだとか、そういう目的で読んだわけではありません。

仕事のウェブサイトも、一般消費者向けに何かを販売しようとか、インターネットで顧客を集めようとか、そういう類のものではないのでSEOはあまり関係ないのですが、「なぜ理解されないのか」というポイントの発見にはなるかなと思って、・・・・・・実際、なりました!

2.論理をショートカットしてしまっている。

3.一般の人が単語の意味を調べなければならない言葉を使っている。

4.論点が拡散してしまっている。(多くのことを伝えたいと思い過ぎている)

まだまだテクニカル的には他にも指摘はあるのですが、自分の悪癖関連で目立つのは上記の3点でした。

いかに私が他人に対し誤解を与える文章を書いてきたのかが、けっこうあぶり出されてきたように思います。誤解を与えてしまったことが明確になっていても、「ま、しゃあない」で放置してしまう悪癖もあるのですが。

特に論理のショートカットについて、自分が書いた文章を2度3度と読み直しても気づくことのできないケースが多いのです。途中を平気ですっ飛ばして、そういうときって書き手である自分の内面に読者不在なんですよね。

 

私のここ最近のブログでは他律批判を書いてきましたが、このWebライティングの本では一切が他律、すなわちウェブを読んだ人の視点がすべてです。いかに読者に合わせるか、いかに読者を「誘導するか」というテクニカル書です。ビジネスなんだからあたりまえ、なのかもしれません。ま、そこには私の異論というか持論が反論としてあるのですが、それはそれとして。

仕事のほうのサイトでは、素直に取り入れるべきところは取り入れてみようと、さっそく手を入れ始めたところです。

 

こうやって自然にSEOスキルや文章表現スキルが上がっていくんでしょうね!

そうそう、「マインドマップ」についても書いてあって、これにも興味が湧いたので、これから当たってみることにします。

 

ライティングについて(1)


言語の意味(語義)って皆さんどうやって覚えますか?

「辞書をひいて」が普通なんでしょうか。

むかし英単語カードってのがありました。今もあるかどうかわかりませんが。表側にスペルを裏側に意味を「自分で書いて、何度もそれを見て記憶して覚える」というタイプの、100語くらい束になっている感じだったかなあ。あれね、私、ぜーんぜん!まったく覚えられなかったんです。だから放り出した。ちなみに中1でIQ170超えてましたけど、結局知能指数っていうのは「ある特定の能力(たぶん法則性の発見が中心)しか測っていない」んですよね。IQ高い=知性が高いのではない!

私の言語の覚え方は、文脈でどのように使われているかでのイマジネーションでしかなかったんです。これね、すっごい悪い癖で、他人が話してたり文章に書いてたりしているのを聞いたり読んだりして、「辞書で確認せずに」覚えているんです。(私もそうだ、って人いるんじゃないかな?)

インターネット用語でいえば、「IT」という言葉が使われ出してしばらく私はずっと、「InTernet」の略だと思っていたんです。ああ、恥ずかしい。Information Technology ですよねー。次に「ICT」が登場して、これについては Information and Communication Technology だとすぐに確認した。

一昨年、昨年あたりから「IoT」という言葉が氾濫しだしました。ソフトバンクの孫さんなんかが「これからはIoTの時代だ」と言っていた。これ見て私は愚かにも、「新しい顔文字だ」として意味を調べることをしなかったんですよ。なんか電柱の陰から顔を少し覗かせ、こっちを見て泣いている感じ、そうか、陰で悲しむ時代がやってきたのか!と。それでずっと放置してました。馬鹿でしょう?ほんっと馬鹿。調べれば一分もかからないのに。Internet of Things の略だと気づいたのは昨年年末あたりだったという。

この悪癖は漢字の熟語などもそうで、読んだ文脈上の自分の価値観だけで語義を決めてしまい、しかもそれを平然と使ってしまうわけですね。最近はこの悪癖にだいぶ気づくようになって、今まで平然と使ってきた言葉にも「大丈夫かな?」と思って確認するようになりました。これはいかに文学と接してこなかったかってことと、IoTを顔文字だと判断してしまう馬鹿っぽさ、辞書をひく癖のない面倒くさがり屋の相乗効果ということで、天下無敵かもしれない。

 

・・・つづきます。

 

 

ダイバーシティの「次」を見て生きる


ダイバーシティ(多様性を認め活用する)の時代だと言われ、小池都知事の3つのスローガンの一つでもあるのですが、価値としてのモデルというのは時代とともに移り変わってゆきます。

多様性を認める寛容、人それぞれの自由を尊重すること、差別をしないこと、いろいろと言われる2010年代ですけれども、2020年代は、「きちんと差を認めなさい」「秩序をとりもどそう」という価値の時代になるかもしれません。あと30年たったら、ヤクザ渡世の任侠道を見直す機運が高まるかもしれない。こればかりはわからない。いろいろと反動もあるでしょうし、トランプ氏がアメリカ大統領になるほどですし。

人の社会的性質のロールモデル、或いは成功者のロールモデルにおいても、同じことが言えます。一般経済界を例にとりますと、かつては一つの会社の社員であることを終身まっとうすること、或いは会社の社長になって多くの人を雇用することなどがロールモデルとされてきましたが、現代ではすっかり変わりました。

価値観はさらに合理性を増し、「自分の時間とお金」を損しないことや科学的に検証されたものを重視し、心や経験に基づくものは軽視する、そういうタイプの人が成功者または成功者になりえる人としてロールモデルになっています。

100年前、200年前を振り返った時、その時代のロールモデルに理解は示せるけれども、現代ではモデルにしようと思わない人がほとんどではないですか。もちろん歴史に名を残した立派な人は除いて。

そうして現代的な価値観のモデルに私たちは憧れたり嫉妬したりしていることが、200年先の視点をとおしてみると、いかに馬鹿げたことなのかがわかります。その馬鹿げたことのために、成功者になるためにはああしなさいこうしなさいと、身近なことでいえば正社員として成功するため、多様性を認める社会のため、他人の自由を尊重するため、弱者を大切する社会のため、差別をなくすため、善人になるために、「こうすればよい」といった本(電子書籍を含めて)やネット上の啓蒙が巷に溢れているわけです。

そんなこと言っていても、遺伝学によって人間のさまざまなことが解明されていけば、多様性を認める社会というスローガンはもろくも崩れ去っていくことは自明と言ってよいでしょう。「白人も黒人も日本人も男性も女性も『無条件に平等』」なんていう夢の世界がいかに現実的でないかを遺伝学は示してゆくと思います。その『平等』には条件がついていくようになるのが科学の流れでしょう。誰も逆らえない。

 

こうして時代が流れるにつれて、“Good” という価値はどんどん変わってゆく。なのに私たちは今日までの “過去のGood価値” しか追いかけていないのです。ああなりたい、こうなりたいという、追いかけるモデルは過去に出来上がったモデルであって、10年先のモデルにはなっていない可能性が高い。そのことに連想が及ばなければ、10年たった時に、時代に取り残された自分にようやく気づき唖然とする、そういう想像はちゃんとしておいたほうが良いと思うんですよね。

団塊の世代の人が「俺は一つの会社で勤めあげたんだ」と胸を張っても、現代の現役世代に言わせれば「ああ、あなたたちの時代はそれで良かった、ずいぶん楽な時代でしたね。おまけに年金までちゃんと貰えて。」と批判され、「わき目を振らず一つの会社に勤めることが善だ」とアドバイスしようものなら白い目で見られることでしょう。加えて団塊世代の人たちは福祉財政で若者の足を引っ張り、今の社会のアンチロールモデルというわけです。現代における反面教師です。でも彼らは古い時代に善とされたロールモデルを目指し、辛い思いもいろいろあったでしょう、こつこつと頑張って生きてきたのです。結果としては良い循環の社会を築けなかったとしても。

このような悲劇を繰り返してはならないと思うのです。

他人や社会が(現在までの)過去の価値観に沿って、ああしなさいこうしなさいと言っていることに惑わされてはいけません。選別できる判断力を養わなくてはならない。長く続く価値は稀にありますが変わらぬ価値はない。

自分で未来を考えて、自分独自のモデルを自分で創造していかなくては。

と、自分に言い聞かせています。

 

 

 

 

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