このページでは、安岡正篤氏の著書および講演録からさまざまな言説を引用し、私が気づいたことを綴っていきます。安岡正篤氏についてご存知ない方にも親しんでいただけるよう、人物とその思想についてもご紹介します。
はじめに、私は安岡正篤先生(以降、「安岡先生」)に私淑しているのですが、その理由を簡単に記しておきます。
安岡先生の本と出会ったのは 2009年頃だと記憶しています。書店で何気なく手に取った本は、三笠書房の『「こころ」に書き写す言葉』でした。当時はリーマンショック(米国サブプライムローン危機が発端)が起き、私のビジネスに大きな影響があり、今思えば、私の人生の転機になりました。安岡先生のその本はきっかけの一つになりました。この本の副題は『天籟の妙音から』で、「天籟」という概念と響きが気に入ってしまい、このWebサイトのタイトルの一部に「天籟の風」を使っているほどです。
以降、安岡先生の本を何冊も買い込み、片っ端から読み始めました。「こんな立派な人がいたんだ」これが私の第一印象です。もっとも、安岡先生の政治的な活動や皇室との関係などには全く興味がなく、ただただ、「人間とはどうあるべきか」について、言わば「喝」の気概に惚れこんでしまったのです。以来、17年にわたり倦むことなく、今も気がつけば安岡先生の本を開き、修養につとめています。安岡先生の言葉に触れると、背筋が伸びるのです。
以上、簡単ですが、私が安岡先生に私淑する理由です。
安岡正篤氏とその思想についての紹介
私淑する私のような者にとって、安岡正篤氏はまさに「人生の師」であり、日常の修養を支える存在です。安岡先生を全くご存じない方でも、この紹介をお読みいただければ、「ああ、こんな人がいたのか」と心を惹かれることでしょう。安岡先生は、単なる思想家ではなく、人間としてどう生きるべきかを、力強く、時には厳しく教えてくれる「喝の声」を持った人でした。以下では、安岡先生の生涯、思想、著作、そしてその影響を、できるだけわかりやすくお伝えします。まるで古い友人のように、親しみを持って読み進めてくだされば幸いです。
生涯:東洋の叡智を追い求めた求道者
安岡正篤(やすおか まさひろ)氏は、1898年(明治31年)2月13日に大阪市で生まれました。父は漢学者で、幼少期から厳しい教育を受け、漢籍に親しみました。1916年、18歳で大阪府立第一中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)を経て、第三高等学校(現・京都大学)に進学しました。1921年に東京帝国大学法学部を卒業後、官吏として内務省や大阪府に勤務しますが、すぐに辞職しました。なぜなら、安岡先生は「官吏の道ではなく、思想の道を歩みたい」と感じたからです。この決断は、後の人生を象徴するものです。 20代半ばで、陽明学(王陽明の心学)を深く研究し、『王陽明研究』(1926年)を著して一躍注目を集めました。陽明学とは、「知行合一」(知ったことを即行動する)という実践的な思想で、安岡先生の「人間とはどうあるべきか」という問いの原点です。
大正末期、1920年代後半に東京小石川で私塾「東洋思想研究会」を開講。東洋の古典——儒教、道教、仏教、易経——を講じ、後進を育て始めます。1930年代には、右翼運動に関わり、青年将校らに影響を与えましたが、安岡先生自身は「政治は手段、思想が本質」と位置づけ、過激な活動を避けました。戦時中は治安維持法違反で投獄されるなど、苦難を味わいますが、獄中でさらに易経を研究しました。1945年の敗戦後、GHQの検閲を逃れつつ、思想の普及に努めました。 戦後、1950年代に私塾を「金鶏学院」と改め、政財界のリーダーを輩出しています。池田勇人元首相や松下幸之助氏らに師事され、「東洋の宰相」と呼ばれました。安岡先生は、歴代の総理大臣に助言を与え、1989年の「平成」改元に際して元号選定に関わったとされています(故竹下元総理らの証言/元号法規定外のため立案者としては公表されませんでした)。
晩年は執筆と講話に専念し、1983年(昭和58年)12月13日、85歳で没しました。安岡先生の人生は、「日本主義」および「人間とは何か」を追い求めた軌跡です。政治や経済の荒波の中で、変わらぬ「日本人の道」を説き続けた姿に心打たれます。
思想:陽明学を基盤とした人間学——「喝」の精神
安岡先生の思想は、東洋思想の粋を集めた「人間学」です。核心は、王陽明の陽明学にあり、「致良知」(良心を極める)という教えを、日常の修養に落とし込みました。安岡先生は、「人間とは、ただ生きるだけでなく、立派に生きるべき存在である」と説きました。たとえば、「不惜身命 但惜身命」という言葉について、仏教の「身命を惜しまない献身」を、陽明学の「真の身命を愛惜するからこそ命がけになる」という解釈で深めました。これは、私が冒頭で触れた「喝」の気概そのものです。無謀な犠牲ではなく、目的意識を持って全力で生きる姿勢を、厳しくも優しく諭すのです。
儒教の「君子」の理想も、安岡先生の人物像に重なります。『論語』を基に、「君子は仁を修め、義を重んじ、礼を以て身を正す」と説き、現代のビジネスパーソンに「スピードが出るほど、君子像を忘れぬこと」を勧めました。 また、易経の研究では、「天人合一」(天と人が一体)を強調。人生の盛衰を「陰陽の変転」として受け入れ、柔軟に適応する智慧を教えました。仏教の影響も強く、『法華経』や禅の精神を織り交ぜ、「天籟の妙音」——自然の調べから得る悟り——を象徴します。私が本の副題に惹かれたのも、この響きです。安岡先生の思想は、抽象的ではなく実践的です。政財界の指導者たちに「知行合一」を説き、企業倫理やリーダーシップの基盤を提供しました。戦後の日本復興期に、「日本精神の研究」(1937年)で国粋主義を提唱しつつ、平和主義を貫いた点も、深い洞察を示しています。
安岡先生の魅力は、この思想が「喝」として現れるところです。講話では、聴衆を叱咤激励し、「背筋が伸びる」感覚を与えます。それは、優れた師の証。現代の私たちに、「忙しない日常で、良心を忘れぬか」と問いかけます。
主要著作:言葉の宝庫、修養の糧
安岡先生の著作および関連書籍は300冊以上に及びますが、代表作は『活学選集』(全10巻、1970年代刊行)です。ここに、易経、陽明学、人生論が凝縮され、毎日の読み物として最適です。『王陽明研究』(1926年)は若き日の傑作で、陽明学の入門書。『日本精神の研究』(1937年)は、日本人の精神性を探求した大著です。 また、講演録の『百朝集』(致知出版社)は、古今東西の賢人の言葉を1日1則ずつ集め、精神の糧になるよう発刊されました。安岡先生自身が「これを読み、君子を目指せ」と勧めたのです。私が最初に手にした『「こころ」に書き写す言葉』も、この系譜の1冊で、天籟の響きが心に染みます。
影響と遺産:今も生きる「東洋の叡智」
安岡先生の影響は、今も政財界に及びます。松下幸之助氏の経営哲学や、池田勇人首相の経済政策に影を落とし、現代のビジネスパーソンに「人間学」を伝えています。金鶏学院の門下生は、数千人に及び、企業家や教育者として活躍しています。私塾の精神は、今日のセミナー文化の源流です。
安岡先生は、私にとって「最も大切な人」——人生の羅針盤です。もし読者の皆様が一冊の本から始められれば、その「喝」に触れ、背筋が伸びることがあるかもしれません。
このページにおける引用は、筆者個人の蔵書である以下の文献を参考にさせていただきました。
【参考文献】
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- 安岡正篤著『運命を開く』プレジデント社、1986年
- 安岡正篤著『人物を創る』プレジデント社、1988年
- 安岡正篤著『知命と立命』プレジデント社、1991年
- 安岡正篤著『人生の大則』プレジデント社、1995年
- 安岡正篤著『禅と陽明学(上)』プレジデント社、1997年
- 安岡正篤著『禅と陽明学(下)』プレジデント社、1999年
- 安岡正篤著『呻吟語を読む』致知出版社、1989年
- 安岡正篤著『人生、道を求め徳を愛する生き方』致知出版社、2005年
- 安岡正篤箴言集『「こころ」に書き写す言葉』三笠書房、2008年
- 安岡正篤著『人間を磨く』致知出版社、2010年
- 安岡正篤著『いかに人物を練るか』致知出版社、2017年
- 安岡正篤先生講演録『活學』全三編、致知出版社、2023年
- 安岡正篤著『活学としての東洋思想』PHP文庫、2002年
- 安岡正篤著『論語に学ぶ』PHP文庫、2002年
- 安岡正篤著『人生と陽明学』PHP文庫、2002年
- 安岡正篤著『日本の伝統精神』PHP文庫、2003年
安岡正篤先生に学ぶ
但惜身命
「但惜身命」という概念は、道元禅師の『正法眼蔵』に由来します。仏教の道に一生涯を捧げる修行僧は、そのために身命を惜しんではならない(不惜身命)。一方で、一生涯を捧げるためには、ひたすら身命を惜しまなければならない(但惜身命)。
安岡先生はこの教えを次のように述べています。
「但惜身命」ということがある。その尊い法を求め行ずるが故に身命を惜しむのである。又かるが故にこそこの空しき身命の如きは問題ではない。これを「不惜身命」と言う。
但惜身命なるが故に不惜身命である。身命を惜しまずしてただ法を求むるのである。求むるが故に身命を惜しむのである。まるで矛盾律の様であるが、民を済うという悲願のために、求道という大願のために、徹底して身命を惜しむ。徹底して身命を惜しむが故に、徹底して身命を惜しまない。
(安岡正篤先生講義録『活學 第一編』致知出版社』
この教えの精神は、現代を生きる私たちにも応用できます。
一生涯を賭けることのできる畢生の事業を見つけたならば、その事業のために身命を惜しまず尽力する。一方で、その事業を成就するためには、ひたすら身命を大切にし生き続けなければならない。
畢生の事業に大小はありません。どれほど大きな事業でも、ほんの小さな事業でも、一生涯を賭ける価値があると自分が信じれば、それがすべてです。他と比較して価値を相対化することに意味はありません。
英語でいえばライフワークです。ここでいう仕事(ワーク)には営利・非営利の別はありません。一銭にならなくても、自分が仕事と位置づければそれは立派な仕事です。ライフワークに年齢制限もありません。40歳でも80歳でも、ライフワークを始めることに制限はないのです。
また、「これを私のライフワークにしよう」と決めてその道を歩んでいる際に、もっと意義のあるものを見つけたのなら「こちらを私のライフワークにしよう」と柔軟な変更が可能です。それで誰かに批判されることもありません。
ライフワークの道を歩むということは、それだけで深い充実感と幸福をもたらします。ぜひ、あなたも自分だけのライフワークを見つけてください。
※参考記事(「日々の断想」から)
「本格的なライフワークとして」(2024-1-1)
「人生フィナーレの思想」(2024-1-3)

