男らしさ、女らしさ


男らしさ、女らしさは必要だと思いますか?

昨今、このような問いかけ自体がタブー化しています。特に女らしさについて男性が語るのは完全タブーですね。タブー化していない時代でも、男性が女らしさについて語ることはほとんどないと思いますし、私も例外ではなく、男性同士の酒席であっても人生を通して触れたことはありません。

確か1990年代後半だと思いますが、教育上でも男らしさ、女らしさは禁句になったことがあると記憶しています。

今日は確かなエビデンスをもとに、男らしさ、女らしさがタブーのままで良いのかについて、真正面から切り込みます。

 

2004年に、(現名称)一般財団法人 日本教育振興財団 日本青少年研究所によって、日米中韓の高校生に対するアンケート調査が行われました。

右図のとおり、サンプル数1000以上の意識調査です。

興味深い他の解答もありますが、ここでは男らしさ女らしさの総合面だけをとりあげます。

 

当時は、「男らしさ、女らしさ」についてのジェンダーボーダー(境界)をできるだけ無くした教育をすべきであるという風潮がありました。もちろんその風潮は今も強くありますが、世界的な運動が始まった時代でもありました。

以下が、男らしさ女らしさについての意識調査結果です。

トータル平均を米国と比較してみると、男らしくすべき(全くそう思うとまあそう思うの合計平均)は、日本が43.4% 米国が63.5%、女らしくすべきは、日本が28.4% 米国が58.0%です。大きな差がありますね。

男女とも日本の高校生の、男らしさ女らしさに対する意識がボーダーレス化している特徴がみてとれます。

メディアリテラシーがなく同調圧力に弱い体質の日本人(親、学校、先生)の、マスメディアからの影響が、直接的に子どもの人間教育に反映してしまう結果かもしれません。この理由は次に述べます。

 

さて、2004年に高校生だった人も含め、成人に対する同様の意識調査が行われています。この調査は少子化対策の一環として、厚生労働省管轄の国立社会保障・人口問題研究所という公的機関が5年ごとに実施している大掛かりな調査です。

2015年には、18~34歳の男女未婚者の調査結果(サンプル合計5276)は以下になります。

 

第15回出生動向基本調査結果(の一部)

 

左から4つ目が、男らしさ女らしさは必要だと答えた割合です。

意外に思うかもしれませんが、男性未婚者で84.4%、女性未婚者で82.5%という非常に高いジェンダー意識がうかがえます。

そして、結婚後の妻(初婚同士で50歳未満)の意識調査結果(サンプル数5335)が以下です。

 

 

なんと、未婚女性と比較して、85.3% に増加しています。

高校生の時には、男らしくが43.4%、女らしくが28.4% であったことを思うと驚くべき結果であり、いかに高校生までのジェンダー教育が的外れなのかが、これで明確にわかりました。

既婚者男性の意識調査結果がないのは残念ですが、おそらく更に高率になるのではないでしょうか。82%~85%の人たちが、男には男らしさが必要であり、女には女らしさが必要であると、内心ではそう思っているのです。

数字は冷徹に事実を示します。

 

ポリティカルコレクトネスを標榜し推進するマスメディアにとって、上記の結果は隠すべきことですので一切報道されません。ゆえにこの情報はなかなか一般人の目には触れません。

マスメディアの誘導によってリテラシーの無い人は簡単に洗脳され、ジェンダーフリーで男女の垣根など無いのが新しい時代感覚であり、日本国民の多くの人がそう考えていると思い込んでしまう。

内心では、男らしく女らしくが必要だと思っている人にとっては、マスメディアのこうした活動によって、「男らしさ女らしさが必要だと思う私は時代遅れなのか」「男らしさ女らしさについては言わない方が無難だな」と、表面上のタテマエではジェンダーフリーに賛成する発言をしてしまう。

よって、男は男らしくあれ、女は女らしくあれ、という本音は圧殺されています。

 

これだけの高率でジェンダー意識があるということは、少子化および晩婚化の原因には、自分が惚れこむような、「男らしい魅力に溢れた男に出会える機会がない」「女らしい魅力に溢れた女に出会える機会がない」ということがありそうですが、一度調査してみてほしいところですね。

18歳~34歳の未婚者の皆さんは、男らしくありたい、女らしくありたいと内心では思いつつも、どうしたら男らしくなれるのか、どうしたら女らしくなれるのかが解らない。あの人のように男らしく(女らしく)なりたいと思うようなロールモデルが身近にいないというのが近年の実情ではないでしょうか。

 

ちなみに、高校生調査では以下の解答もあります。

日本の女子高生はさすがに、たぶんお母さんからでしょう、「女らしくしなさい」と言われるようですが、男子高生はわずか11.4%で(米国も15.3%で高くはないですが)、男らしい父親が男の子に男らしさを教えることができていないのです。(ちなみに私も息子に対してそうでした) 母親では、「女性からみた男らしさ」を教えるのがせいぜいで、それは男性からみた男らしさとは異なりますし、男性同士の場では通用しない。

よく勘違いされることがありますが、男っぽいと男らしいは違います。

 

男の子の状況は深刻で、男らしくなりたいのにどうしたらいいかわからない、教えてもらおうにもジェンダーフリーの世の中でそれを口に出すのは憚られる、となるのは当然の流れであります。

 

「男らしさ」は国の文化によって内容が若干異なります。「女らしさ」はもっとそうでしょう。

古来より承継されてきた武士道精神や「粋(いき)」の文化、「日本男児」という文化があるのだから、他の国々の男らしさを真似るよりも、堂々と日本流の男らしさを学んで実践していけば良いのです。40代以降の男らしいことが良いと思っている成人男性は、遠慮することなく、男らしさとはこうだということを10代~30代の男子に教えてゆけばいい。彼らはそれを待ち望んでいるのです。

よく言われることですが、男に惚れられる男らしい男こそ最高の男なのです。そんな男に当たった女性は幸運ですね。

かくいう私もこれからは以前にもまして、男は男らしい男になれと主張してゆくことにします。

他方、女らしさのやまとなでしこについては、私は絶対に語りません。
男の口からそれが出るのは野暮ってもんでございます(苦笑)

 

 

 

「日本」という個性(9)


毎年この時期になると先の大戦が話題になります。特に神風特攻隊については、マイナス評価として語られている文章をよく目にします。空の神風よりも先に、人間魚雷として実用化された海の回天で散っていった英雄も忘れてはなりません。

作戦についての是非、賛否は横に措きまして、まさに体当たりで玉砕していった英雄たちの精神とはどういうものであったかについて考えます。

軍の命令で仕方なく(内心では玉砕したくないのに)志願した英雄もいるでしょう。

みずから一番槍となることを目指して果敢に志願した英雄もいるでしょう。

彼らの動機付けは、日本国のためであり、日本に残してきた親族など愛する人のためでもあり、日本国民全員のためでもあり、日本男児としての矜恃を発揮したものでもあったと思います。なかには戦場で友人や親族の死を目にし憎悪感情で任務にあたったかたもいたでしょう。

私は無条件で、手放しで、特攻で玉砕した英雄を男として最高の生きざまだったと讃えたい。

彼らのおかげで現代の平和な日本があるという感謝ももちろんありますが、それよりも、『葉隠』にみられる日本伝統の武士道精神を体現した、男としてこれ以上ない死に場所であり死にざまだと断言したい。

「公」のために、或いは他者のためにいざという時には命を惜しまないという覚悟は素晴らしいの一語に尽きる。

 

8月1日の記事 『「日本」という個性(3)』 で『葉隠』の武士道について触れました。武士道には『葉隠』の武士道と新渡戸稲造の『武士道』があると書きました。

ところが先日、書店で相良亨氏(1921-2000 倫理学者・東京大学名誉教授/このブログでたびたび引用)が書いた『武士道』という文庫本を発見し、今も味読中なのですが、著者によれば新渡戸稲造の『武士道』は儒学的士道であるというのです。武士道ではなく士道であると。また、『葉隠』からさかのぼること約200年、戦国時代の甲州武田家には『甲陽軍艦』という葉隠に近い精神論で武士道について著わされた書があるそうで、機会をみつけて読んでみたいと思っています。

『葉隠』冒頭の有名な、

武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。

 

上記一連の文章には以下の文言があります。

我人、生くるほうが好きなり。多分好きのほうに理が付くべし。
若し、図にはづれて生きたらば腰抜けなり。この堺危うきなり。

 

これについて著者の相良氏はこう述べます。

それは一部の人の理解するように死への憧憬ではない。少なくとも直接的に死への憧憬を示すものではない。死はともかく、武士にとっても、好ましからざること、我人は生きる方が好きなのである。が、その死への道をえらべというのである。それは悲壮ですらある。しかし、その死への決断によって、武士としてもっともかけがえなく貴重なものを確保しうるというのが死ぬ事と見付けたりなのである。

(講談社学術文庫版 相良亨著『武士道』)

 

また、哲学者であり相良氏の師である和辻哲郎氏の、「死の覚悟」を「死生を超えた立場」と比較して、覚悟を「まだ自分の身命にこだわっている」・「こだわるのはまだ私を残した立場である」 との言及に、覚悟とは悲哀を踏まえたものであると言います。むしろ内心に悲哀なくしてそれを振り切る覚悟はない。そして、死の覚悟はあらかじめ心に定めておくのが武士道であると述べます。

覚悟を「死の覚悟」に限定して考えると、死を覚悟するということは、死において自己が無になるという事実から目をそむけることなく、しかもその死をおそれず毅然と事に処し、あるいは敢然と死地に突入すべく心にきめることである。あらかじめ心に定めるところがあって死に直面してもなお毅然たる態度をとりうる武士、あるいは事に望んで敢然と死に突入しうる武士が死の覚悟ある武士であり、かかる生き方を可能ならしめるかねての心の姿勢が覚悟なのである。

(同書)

 

前の文章とともに要約すれば、武士道といふは死ぬ事と見付けたりとは、生を軽視し死を最上とするのではなく、また、生からの逃げのための死は軽蔑すべきであって、人は誰でも生きることが好きであり、否、生を好きでなくてはならない。その好きな生に対し、断固とした決意で死を覚悟する。この決意はその時その場で決めるのではなく、あらかじめ決めておき、毎日毎日が、死への覚悟をいつ実行してもよいという精神生活である。

他方、無駄死にはしないということも説かれています。

 

「死ぬ覚悟」を毎日常に持ちつづける精神状態というのは尋常ではありません。

武士は仕える殿様のために死ぬというのは間違いで、そうした上下関係は死の動機としては薄く、あくまでも武士としての自分個人の矜恃の問題であります。

死ぬ覚悟を実行するためには必ず「大義」が必要だったという一面も忘れてはなりません。公けのために、多くの民を救うためならば喜び勇んで命を捨てるのです。

戦国時代、江戸時代、明治維新、大正昭和と連綿として受け継がれてきた、こうした武士道精神が日本男児の血に流れているからこそ、日露戦争で大国ロシアに勝ち、日清戦争で大国中国(清)に勝てた。第二次世界大戦においては、武器力・科学力・財力において圧倒的に優位であった欧米列強に対し、アメリカ以外の英、仏、蘭を粉砕し東南アジアから追い出しました。

ロシアに日本が占領統治されていたらどうなっていたでしょう。中国(清)に占領統治されていたらどうなっていたでしょう。おそらく日本という国家は消滅していたと思います。北方領土やチベットのようになっていたに違いない。

アメリカ軍が強引に日本本土に上陸し地上戦を行わなかったのは、特攻を受けた心理的ダメージが大きな要因だったというアメリカ人の分析を読みました。また、アメリカが大きく優位にたった後の、沖縄での日本軍および現地の抵抗、硫黄島での日本兵の戦いぶり(死者・日本兵約2万、アメリカ兵約7千)も、地上戦占領を断念した要因でした。

 

多大な犠牲を払った戦争を、すべて「悪」だと教育されてきたのが戦後の日本人です。

しかしそれは反知性的で単純な表層であって、国の存亡がかかるいざというときに、敵国の軍隊が日本に地上戦を仕掛けてきたらどうでしょう。国を守るために、婦女子を守るために、わが命などくれてやると覚悟し進んで戦いに出るのが日本男児でありましょう。自衛隊にすべてお願いしますなどというのは、男の風上にも置けない。

そうして人民軍兵士と戦って相手を殺さなければ自分が殺されるという事態において、殺人は「悪」でしょうか。亡国に抵抗する自衛戦争は「悪」ですか。

単純に「暴力は悪い」とは口が裂けても言えない筈です。暴力を暴力によって抑え込むのが警察です。自衛隊は暴力装置と言って叩かれた政治家がいましたが、日常の平和な治安があるのも、警察という暴力装置があるから安心できるわけです。

アメリカが世界一の大国になったのも、量的にも技術的にも圧倒的な軍事力という暴力装置があるからです。

暴力を軽視してはなりません。根底で、経済を支えているのも平和を支えているのも暴力であって知性ではありません。北朝鮮の暴力に対し知性のなすすべはありません。アメリカの軍事力という暴力に日本は頼り切っています。平和ボケとよく言われますが、現代日本人が知性を過信しているのは事実でしょう。

 

「戦争を繰り返さない」とは、みずからは戦争を仕掛けないということであって、戦争を仕掛けられ攻撃を受けたら、国を守るために、多くの人を守るために、婦女や子どもを守るために、死を覚悟し、暴力によって闘うのが男としては当然ではないですか。

まさに、「今そこにある危機」に対して腹を括っておかねばなりません。いざ有事になったときに右往左往して逃げたり命乞いするようでは、武士道精神で散っていった先人の英雄たちにどう顔向けができましょうか。

相良亨氏の『武士道』を読んだうえでこうしてアウトプットしていくと、男として生きること、実際にいま男として生きていることを考えさせられます。相良氏は暴力とは無縁の倫理学者であるのに、彼もまた儒学的士道よりも『葉隠』の武士道のほうに男として刺激を受けていたことがありありとわかります。

 

男とはなにか。
男の生きざま、男の死にざまとはなにか。

 

余計なお世話ですが、女性のかたは、女とはなにか、女の生きざまとはなにかというテーマで、一度じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。もしかすると女としての人生がさらに豊かになるかもしれません。

 

 

「日本」という個性(8)


今回のテーマは「いき」です。

「いき」は漢字で「粋」とも書きますが、前者はもともと江戸っ子の「意気」であり、後者は上方(京都)の「粋(すい)」で異質なものでした。語源とその変遷についての知識的なものはインターネット上に転がっていますので、ここでは語りません。

おそらく京都のかたの「粋(すい)」、江戸っ子の「いき」にはそれぞれ誇りがあると思うので「一緒にしてくれるな」という人もなかにはいらっしゃると思います。

現代ではほとんど使われなくなっていますし、「いきな後ろ姿だねえ」だとか、「こいきな柄だねえ」などの言葉を聞いても、イメージが沸かない人が多いのではないでしょうか。

哲学者の九鬼周造(1888-1941)は『「いき」の構造』を書いていますが、文部官僚でもあった九鬼男爵の、貴族の子息として育った九鬼周造の「いき」は、花街・花柳界で遊ぶ「いき」が主体となっており、東京下町で暮らしたこともないお坊ちゃんだった彼には、実感として町人文化を肌で感じることはできなかったと思います。媚態以外の町人文化のほうの「いき」については、文献研究での、机上の理論しか組み立てていません。みずから下町を見た、下町の風情を感じたというふうな、主観体験的なことが伝わってくる文章は一行もないのです。媚態のほうはあるのにです。

 

同書で九鬼は、「いき」の内包的構造として三つの要素を挙げます。

ひとつめは「媚態」で、要するに異性を誘惑するための色気であり、意図的な媚態演技であるというわけです。九鬼の頭にあったのは、もちろんプロの女性です。

ふたつめは「意気地」で、江戸の意気張りや辰巳の俠骨がなければならないとあって、武士道の理想にその源泉をみています。

みっつめは「諦め」で、「つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢ぬけした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心である」とし、仏教の諦念に源泉をみています。

九鬼の議論では「意気地」も「諦め」も、「媚態」であるための内面価値としています。

 

私は、花街・花柳界における「いき」と、町人文化の「いき」は別物だと思います。無理して関連付けなくても良いと思うのです。

いきな遊び人は、花街・花柳界でいきな遊び方を心得ている、というだけです。現代への延長上で、例えばクラブやラウンジでの遊び方などの心得があると客としてモテるわけですが、これは、遊び慣れた先輩に教えてもらうことと慣れ以外のなにものでもありません。

九鬼の場合は、遊び人としてのこちら側の心得よりも、プロの女性の媚態に「いき」をみる比重が高かったのだと思いますが、はたして、演技である媚態に「粋」でも「意気」でも感じられるものなのか。やはりその女性の内面からおのずと滲み出てくる「艶」こそ「いき」なのではないかと思うのですが。

 

一方、町人文化での「いき」は、九鬼が「意気地」と「諦め」で述べている内容に一部同感します。「俠」がある、気風(きっぷ)がいい、さっぱりしている、さわやかである、はっきりしている、垢ぬけている(野暮ではない)、竹を割ったような気質、根に持たない、くよくよしない、引きずらない、くどくない、けじめが速断、腰が軽い、勇み肌で喧嘩っ早い(「いなせ」と被る部分がある)、流麗さがある(着流しの粋な人)、労苦や努力を隠す、金銭に執着しない(宵越しの金はもたない)などのイメージが次々と浮かんできます。

今思えば、私の父はまさに「いき」な男でした。父だけでなくその姉ふたり(伯母たち)も「いき」でしたね。着るもの身に着ける装飾、色あいなどへのこだわり(「いき」だねえ~という言葉がよく使われてました)、生き方や性格が「いき」だった。

 

九鬼の「意気地」を私なりに言い換えれば「心意気(気概)」になります。消極的な「諦め」ではなく積極的な「けじめ」によって自分の心を自傷しながら断絶していく印象があります。

洒脱さは都会的な感性の洗練です。

使う言葉、身のこなし、立ち居振る舞い、髪、化粧、衣服や装飾小物(色や柄を含む)、お金の支払いかた、別れかた、そうした表現のなかに洒脱な「いき」があるわけです。

 

花街・花柳界における「媚態」について思うのは、こちらは他者からの承認欲求オンリーで、町人文化の「いき」も他者からの承認欲求も含みますが、自己承認欲求も強いと思います。

世阿弥の「花(秘すれば花なり)」、『葉隠』の武士道と同様に「いき」にも言えるのは、生きかたの美学には、他者からの承認欲求とともに、ナルシシズム(自己陶酔)があると思うのです。

ここでの承認欲求は大きく分けて4つあると考えました。

1.人間価値として

2.同性に対するもの

3.異性に対するもの

4.職にかんするもの

たとえば「男らしさ」は、男性社会の中での男らしさと、女性が男性に思いえがく男らしさは異なります。これを「女らしさ」に言い換えれば、女性にとっては大変わかりやすいでしょう。(女性社会の「女らしさ」のチェック、つまり女性の女性に対するチェックは、男性には想像もつかないほど細かい観察があり、そして闘争的です、苦笑)

 

他方、ナルシシズムというのは、内省を含む自己人格の二重性だと思います。

「性」にかんして男性を例にとれば、意識上に現れる自我が、無意識のなかで自分がえがく男性に、男として惚れられるかどうか、自分がえがく女性に、男として惚れられるかどうかの二つがある。

「人間」としての価値では、その人がどれくらいの水準を生き方としてのモデルにしているかによって個人差は大きく、ここでのナルシシズムはまさに内省とセットになる。「職」にかんしても同様ですね。

こうしてみてくると、それぞれの立場としての内面的な「矜恃」に支えられています。

 

 

「日本」という個性(7)


小学生のときに学校主催の「高原教室」があって、何泊か忘れたけれども山奥の小学校へ出向きキャンプファイヤーを楽しんだ。

『もえろよ、もえろ』などの歌をみなで歌った。

特に記憶に鮮明なのは、「星かげさやかに、しずかにふけぬ」を歌いながら見上げた夜空の美しさ。空気が澄みきって灯りがなにもないなかでの星空に感動した。

今回はこの、「さやか」という感覚から入ります。

人間の生き方について基本的な自覚は、民族によって異なるものがある。世界史の代表的な民族をみると、歴史のはじめから、ギリシア人やインド人は宇宙を貫く理法の実現を考え、ヘブライ人は、人格的な神の命令としての立法の実現を考え、中国人は、天の道の地上での実現を考えている。

これらはいずれも何らかの客観的な理法・規範の存在を認め、それに従い、それを実現することを人間の生き方の基本とするものである。

ところが、これに対して日本人は、歴史のそのはじめから、ひたすら主観的な無私清明な心を追求し、それを十全な人間関係を実現する倫理として捉えてきた。客観的な理法・規範を追求する姿勢は、今日なお、十分な成熟を見ないでいる。

ひたすら心情の純粋性を追求する日本人の倫理意識は、諸民族との比較においてきわめて特殊なものであることが理解される。

(中略)

伝統的な純粋、無私の追求は、今日は、おもに「誠実」という言葉で捉えられている。

(中略)

誠実、あるいは誠という言葉で生き方の核心をおさえることになったのは、さほど古いことではない。おもに近世以降のことである。しかしそれは、近世以前から、さらにいえば歴史はじまって以来、日本人が求めつづけてきた心である。

古くは「清き明(あか)き心」として捉えられ、中世においては「正直(せいちょく)の心」として捉えられていた。そしてそれが近世以降において「誠」さらに「誠実」として捉えられたのである。捉える言葉が違うように、「清き明き心」と「正直の心」と「誠」とが、まったく同じ心であるということはできない。時とともにある変化を示している。

しかし、変化の底に、それを貫くものがある。貫くものをわれわれは明らかにしなくてはならない。

(ペリカン社版 相良亨著作集 相良亨著『日本人論』 第三章 純粋性の追求)

※相良亨 (1921-2000) 金沢出身の倫理学者。東京大学文学部卒。東京大学文学部名誉教授。和辻哲郎に師事した。

 

5月の記事で、「きよきあかきこころ」について少し触れました。相良氏の同書から別の引用文もあります。

日本人の「きよし(清し)」「さやか(清か)」の根源は、大自然の神聖なありかたにあります。自分も大自然の一部であると捉え、わが身のありかたとして生き方の規範とした。ここから日本人の純粋性の追求が始まりました。

中世の「正直(せいちょく)の心」は現代で言う「正直(しょうじき)」とは異なります。偽らない、嘘をつかないという現代の正直(しょうじき)よりも広い語義が正直(せいちょく)にはある。

相良氏の言葉を幾つか抜粋して借ります。

「正直は単なる無私ではなく、その無私無欲は状況状況の是非善悪を捉え、そこに生きる心としての無私無欲である。」

「無私無欲としての正直は、是非善悪の決断、慈悲、したがってまた情(なさけ)の根本に求められるものだったのである。」

「中世の人々が、道理にかなった生き方を求める時、彼らはひたすら自己の内面の無私性としての正直の心の確立を求めた。」

「正直は、“正直の頭に神やどる”という仕方でしばしば登場する。これは正直が神に随順する心であることを意味するものではない。正直は根源的には天地と一体の心である。」

(同書)

 

以上が「正直(せいちょく)の心」のイメージとなります。

「誠実」「まこと(誠)」については今回立ち入りません。

「無私」と「無欲」が登場してきますが、清明心や正直心での無私は仏教の無私ではありません。俗にいう「私情をはさまない」や「理法をすべてとする仏教」、「自己を空として達観する無私」ではない。むしろ大いに、その人自身の「情」が入るのが日本の清明心です。

「情(なさけ)の根本に求められるもの」とあるとおり、日本人が扱う「道理」や「道義」には、相手の心情をおもんばかることのできる「私」が必要であり、同書では「ときと場合によっては悪事を知って知らぬふりをすることも道理である」という北条家家訓の例を挙げつつ解説しています。

 

「理」や「法」に普遍性をもたせ、これに従うべしとしたのが(今もそうですが)、欧米の価値観であり、インド哲学から仏教への流れ(すべての情は煩悩)、そして中国の人民支配です。日本にも理や法が根付きましたが、情(なさけ)の比重が高かった。その情は清明心から生まれるものだった。時代劇でみる「大岡裁き」に、すかっとするだけでなく罪人に情けをかけるシーンに心の潤いを感じるのは私だけではない筈です。

単純に理や法に従うだけならばロポットと同じです。白か黒か、イエスかノーしかない。そこに情を絡めて統合的判断をする、しかも道理にかなっているというのは、非常に高度な人間の営みだとは思いませんか。

 

インフラが整備され自動電化製品に囲まれ、宅急便がすぐに物を運んでくれる。手紙を書いてポストに入れずメールで済ませられる。電話での声のやり取りも少なくなり、何かあればすぐに法に訴えればいい。何もかもが便利になって、人間が自力で行うことがどんどん少なくなる。疲れることの回避、労力を使うことの回避、面倒なことの回避、人間力を使うことの回避、最近では結婚リスクの回避もあります。確かに、生きることが次から次へと楽になっていって良いことなのかもしれません。

しかし反面、自己の人間力を使って自力で解決する能力、依存なく自立していく能力、忍耐力や反骨心といった人間の底力はどんどんやせ細っていきます。

欧米発のグローバルスタンダードが本当に優れているのか。合理的で楽なことは人間にとって本当に良いことなのか。むしろ日本人が培ってきた、高度な、情を絡めた道理が世に染み渡るほうがグローバルスタンダードとなるべきではないか、という問いを常に持ちつづけたい。楽の道ではなく、相当に人間力を養い発揮せねばならぬ困難な道をあえて歩むことについて、どう思いますか。嫌ですか。

文明の進化によってモノが便利になるのは歓迎しますが、人間が便利になっては駄目だと思うのです。

 

日本人の純粋性の追求は、スポーツの国際大会におけるフェアプレーの精神によく現れています。ともすれば勝利至上主義で結果ばかりを追う欧米や東アジア他国の価値観に感化されそうになりますが、目に見えない本当に大切なことをこれからも大切にしていきたい。

個人的な「情」ありきのちょっと変わった日本流の無私の道理は、「いき」という文化を編み出しました。次回は「いき」について考えてみたいと思います。

 

最後に岡倉天心の言葉に純粋性の追求をみます。

It is the icy purism of the sword-soul before which Shinto-Japan prostrates herself even to-day. The mystic fire consumes our weakness, the sacred sword cleaves the bondage of desire. From our ashes springs the phoenix of celestial hope, out of the freedom comes a higher realization of manhood.

今日でも、神道日本がその前にひれふすのは、剣の魂の氷のような純粋主義である。
その神秘の火はわれわれの弱点を焼きほろぼし、その聖なる剣は欲望の奴隷を斬る。
われわれの屍灰(しかい)から天上の希望の不死鳥が翔(と)び立ち、欲望から解き放たれた自由から、より高い人間らしさの自覚が生まれる。

(講談社学術文庫版 岡倉天心著 桶谷英昭訳 『茶の本』 英文p149-148 和文p85 )

 

読んでお解りのとおり、悟り達観した純粋主義ではなく、熱情に満ち、気合の入った純粋性の追求であり、求めるところは「より高い人間らしさ」です。

 

※岡倉天心(1862-1913)は日本の思想家(個人的には美学者と位置づけています)。アメリカ留学中、街の中を闊歩していた際に1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ?チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返したという逸話をもつ。(wikiより)

※『茶の本』は1906年5月にニューヨークで出版された。引用した講談社学術文庫版は岡倉の英文を桶谷が翻訳したものである。それ以前にも1903年に『東洋の理想』をロンドンで、1904年に『日本の覚醒』をロンドンとニューヨークで、いずれも英文で出版している。

※同時代に活躍した新渡戸稲造(1862-1933)の『Bushido(武士道)』は1900年にアメリカで出版されている。アメリカに渡った仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)は、1900年にアメリカで仏教書(主に禅について)を英文で出版し禅文化を広めた。

21世紀の軽佻浮薄な日本政府は「クールジャパン」などと言って表面上だけの「型」や「形」、「単なる流行」「自己礼賛的思い込みの文化自慢」を海外に紹介し恥をかいているがその恥にも気づいていないようだ。例えば「おもてなし」を宣伝することがいかに恥ずかしい行為なのか解っていない。

 

 

「日本」という個性(6)


結局、幽玄に美しさを感じるのは、けっして見えない「玄」をわれわれの想像の中に置くことで、全体観が、心の中におのずと描き出されるということでしょう。

例えば今日のアイキャッチ画像の、雲海の下に別の世界があることを、無意識のうちに想像(補完)しながら全体観をとらえているはずです。

「秘すれば花なり」にも通底する、「不完全、未完成のものゆえに美しい」という日本特有の美学を、岡倉天心(1862-1913)は『茶の本』で次のように述べています。

「数奇家(アンシンメトリカル)」はわが国の装飾大系のさらに別の側面を暗示している。日本の美術品が左右対称性(シンメトリー)を欠いていることは、西洋の批評家がしばしば指摘してきた。これはまた、道教の諸理想が禅道を通じて現れた世界である。

(中略)

それらの哲学の弾力性は、完全そのものよりも完全を求める過程に重きを置いた。
真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる。
人生と芸術の力強さは、伸びようとする可能性の中にある。
茶室では、全体の効果を自分とのかかわりの中で完全なものにすることが、客めいめいの想像力にゆだねられている。禅道が世に広まった思考様式となって以来、極東の芸術は、完成だけでなく反復をも、左右対称の表現として故意に避けてきた。
意匠の画一性は、想像力の新鮮さにとって致命的と見做された。

(講談社学術文庫版 岡倉天心著『茶の本』)

 

完全なものをわざと作らない。左右対称にしない。同じ模様を繰り返さない。
「伸びようとする可能性」に、私たちはオーラのようなものを感じるのです。

子どもや若者のなかには強いオーラを放つ子がいます。すべてがそうではなりませんが、可能性を強く感じさせる子がいる。

余力、余情の可能性があることを、思考することによって安心したり希望や自信をもつのではない。感覚的感性が言葉にならないなにかを自然に捉え、個人的想像力を駆使して、今ある全体像を飛躍させ新しい全体像の完成を目指そうと欲する。

日本人が結果よりもプロセスを重視する傾向があることも、同根ではあるまいか。

生きているプロセスひとつひとつが、プロセスが連なっている姿が、これからそのプロセス上に生を創ろうと意欲する心が、その「さま」が、美しいかどうかの対象になってくる。

われわれが人生と呼ぶ、愚かしい労苦の狂瀾怒濤に浮かぶ自分自身の存在を、正しく律する秘訣を知らない人びとは、幸福と自足の外観をよそおうことにむなしく努めながらも、いつも悲惨な状態にいる。

われわれは、精神の平静を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶどの雲にも、嵐の前兆をみる。
しかし、永遠にむかってうねって行く大波の中に、喜びと美がある。
なぜ、大波の霊に共鳴しないのか。あるいは列子のように、つむじ風に跨って行こうとしないのか。

(同書)

 

※列子 ・・・古代中国で老子や荘子と同じ流れをくむ思想家。風に乗るような自由な気風。

世間体、体裁、他人からの承認欲求、そうした人格の浅い部分での人生活動が人間の生きる(あるいは生きた)値打ちではない。承認欲求を満たすための見栄や虚栄心は、常に不安や嫉妬感情を抱え込む。私たちの生命活動とは、もっともっと人格の深い層にある本源が活性化してゆくことではないか。

自分の過去や現実の評価、それもくだらない世間の評価に固執してはならぬ。

ここから未来へ向かう道は可能性に満ちており、そこにこそ喜びと美がある。その喜びと美を追い求める者だけが、光のオーラを身にまとい、美しい人生を歩みつづける。

 

人生のはかなさを、仕方のないものとして消極的に受け容れるのではなく、はかなさの美を積極的に認識するとき、残る生に内蔵される喜びの可能性は最大となる。

 

 

「日本」という個性(5)


幽玄の美しさとはどのようなイメージなのかを考えます。

幽玄という観念が中国から輸入されて約1200年余。日本特有の幽玄へとおそらく変化していると思います。平安王朝時代に主に歌論で見られる幽玄、世阿弥が活躍した室町時代の幽玄、安土桃山時代に茶道を極めた千利休の頃の幽玄、江戸時代の幽玄、明治維新からの近代の幽玄、そして現代の幽玄。

 

まずは辞書を引いてみます。
「幽」と「玄」の字源も参考にしたいので、以下は三省堂版『新明解漢和辞典』第四版からの引用となります。

【幽玄】(ゆうげん)

1.奥深く微妙で、たやすくはかり知ることができないこと。

2.趣が深く味わいが尽きない。ことばや形に表現されないものに深い情趣があること。余情余韻があること。

 

「幽」も「玄」も会意文字で、どちらにも「幺」が入っています。「幺」は糸の先のイメージで微かな、ごくごく小さな意味を表します。

「幽」は微かが二つ(奥深い)山に囲まれている様子で、ほのか、ほんのり、人の知覚に触れにくい、もの静か、ひそむ、暗い、あの世、陰気などの意味があります。

「玄」は微かが蓋をされて覆い隠されてしまっている様子で、黒、北、空、天、奥深い道理、道徳、もと、枢要、微妙、静か、きらめくなど、幅広い意味があります。

 

「玄」のもともとの中国の意味を確かめられる古典に『老子』があります。第一章から引用してみます。

道の道とす可(べ)きは、常の道に非(あら)ず
名の名とす可(べ)きは、常の名に非(あら)ず

無名は天地の始めなり 有名は萬物(ばんぶつ)の母なり
故に常(じょう)無(む)以(も)って其の妙を観んと欲し、
常(じょう)有(ゆう)以(も)って其の激(けふ)を観んと欲す

此の両者は、同出にして名を異(こと)にす

同じく之(これ)を玄と謂(い)ふ
玄の又玄は、衆妙(しゅみょう)の門なり

(大修館書店版 諸橋轍次著『老子の講義』 )

 

『老子』は八十一章によって成り立っていますが、「玄」という概念は最初の章に登場します。

無と有の始まり、つまり宇宙の始まりについて説いています。

無と有は、「玄」から生まれました。
その「玄」はこれも(もっと奥深い)「玄」から生まれた。そこは衆妙の門(森羅万象、あらゆるものの根源)であると。2500年前の中国の壮大な思想です。

この「玄」の使われ方を考えますと、人間には知覚できない奥深くに隠された「本源」であり、最も重要な価値だと考えられます。

『三国志』に登場する劉備玄徳の名前は凄い意味だったのですね。

 

漢字の字源や中国の古典から追いますと、中国での幽玄は果たして「美しさ」を表していたのかどうか疑問が残ります。むしろ哲学的な意味が強かったのかもしれません。

世阿弥は「幽玄」を美の極致に位置付けました。

【幽玄之入堺事(ゆうげんのさかいにいること)】

幽玄の風体(ふうてい)の事。諸道・諸事において、幽玄なるをもて上果とせり。ことさら当芸において、幽玄の風体、第一とせり。

まづおほかたは、幽玄の風体、目前にあらはれて、これをのみ見所(けんじょ)の人も賞翫(しょうかん)すれども、幽玄なる為手(して)、左右なくなし。これ、まことに幽玄の味はひを知らざるゆゑなり。さるほどにその堺へ入る為手なし。

そもそも幽玄の堺とは、まことにはいかなるところにてあるべきやらん。まづ世上の有様をもて、人の品々を見るに、公家の御たたずまひの位高く、人ばう余に変はれる御有様、これ、幽玄なる位と申すべきやらん。しからばただ美しく柔和なる体(てい)、幽玄の本体なり。

(中略)

この理(ことわり)をわれと工夫して、その主になり入るを、幽玄の堺に入る者とは申すなり。
この品々を工夫もせず、ましてそれにもならで、ただ幽玄ならんとばかり思はば、生涯幽玄はあるまじきなり。

(新潮日本古典集 『世阿弥芸術論集/花鏡』)

※ 堺 ・・・ 境地
※ 上果 ・・・最上級の芸位
※ 賞翫 ・・・ほめはやすこと
※ 為手 ・・・能の演技者

※ 幽玄の芸能は日常目にふれ、観客もこればかりを尊重するというほどの流行ではあるが、真に幽玄な役者は容易に見つからない。
※ 人ばう ・・・人望か。世間の尊敬も余人と違っている御様子は、の意。「人貌(かおかたち)」とする説もある。
※ 歌論書『三五記』では幽玄を、「やさしく物柔らかなる筋」という。

(中略)のなかでは、言葉の幽玄、音楽の幽玄、舞の幽玄、役柄それぞれの幽玄について語られています。最後の文章に見るように、幽玄を表現しようとばかり考えてしまうと一生涯幽玄は達成できないとダメを押しています。

 

同書の解説では幽玄について詳細に述べられています。一部を抜粋引用します。

しかし幽玄、あるいは花の審美性は、いつまでもこの域にとどまっていたわけではなく、(中略)『花鏡』に進むと、「さびさびとしたる」「冷えたる」ものを最上とし、またこの方向で考えられる窮極の芸位を「妙所」とよんで、「およそ幽玄の風体の闌(た)けたらんは、この妙所に少し近き風にてやあるべき」と説くに至っている。

「妙」とは仏教用語で、言語を絶するありようをさすのであるから、「妙所」とは限りなく接近はできても、所詮到達不可能な場所でなければならない。(中略)この妙所からほど近い「幽玄の風体の闌けたらん」には、およそ幽玄について考えられる限り最上の状態が含意されていたはずである。

そして、以下に述べるような「妙所の事」の条の説明から推せば、その審美的内容は、もはや感覚や官能の域にとどまるものではなく、たとえそれを離れることはないとしても、遥かにぬきんでた境位にあったことは疑われない。

(同書)

※ 闌けたらん ・・・「長ける」に近い。至高の段階に達して自在の境地になること。

 

タチバナ教養文庫版の現代語訳文では、幽玄を「優美」と訳しているのみで、幽玄自体の解説はありません。ちょっと残念です。世阿弥と言えば「花」と「幽玄」だと思うのですが。

世阿弥の『風姿花伝』や『花鏡』を、単なる能のための文献だとして読むならば、私にはなんの学びにもなりません。世阿弥が追及した究極の美に幽玄を据えたのは、中国古典での「玄」という「人知でははかれない不明な本源」を、役者が魅せようとするのではなく、役者みずからが不明な本源を仮象として心に置く境地に至ることで、至高の表現がおのずと生まれると考えたのではないでしょうか。

とても難しいことだと思いますが。

現代を生き抜いていこうとするときに、私たちの心の深層の「玄」を意識できるかどうか。あるいは無意識下に洗練された「玄」を根付かせるためにはどのように修養したらよいのか。

私の抱く幽玄の美しさにかんするイメージは、幻想的で、吸い込まれそうで、ふわっとしていて、はかない命の美しさを感じ、もの哀しくて、未知への勇気、時が止まったのではなくそこに時のすべてが集約されていて息をのむ感じ、空をつかむような手ごたえのない美しさ、などです。

 

 

「日本」という個性(4)


前回の記事では『葉隠』の武士道について触れました。武士の生きざまは死にざまであり、そこに数百年以上も続いてきた「日本男児」のロールモデルを見ることができます。

前々回の記事では「慕う」という感情と、「秘すれば花なり」について触れました。いずれもおくゆかしく一歩後ろに引いた日本人の内面文化です。

こうして考えてゆくにつれ、「日本」という個性とは、「日本」という美学だと言えるのではないかと思うに至りました。そこには確かに、「美」という感性を感受しかつ表現しようとするさまがうかがえるのです。

この「美しさ」というモノサシは個人差がとても大きいのではないかと思います。

風景や絵、写真を見て、あるいは音楽を聴いて、「美しく」感じられる感性が鈍ければ「意味」を優先的に求め、、おそらくそこでは言葉の理屈が主体となるのでしょう。

もちろん理屈も大切ですし、理屈を軽んじるということではありません。

 

芸術的な「美しさ」に敏感で、みずからも着る服のお洒落を楽しむような人は、人の心の「美しさ」をごく自然にとらえていると思うのです。

そこでの「美しさ」は、対象となる人に「生きかたの美学」が確立されているかどうかを、思考ではなく直観として洞察しているのではないか。そんなふうに私は感じます。

美しくないからと言って醜いわけでも卑しいわけでもありません。生きかた的な美学での美しさの反対は、「美しくない」に集約されると思います。単に美しくないがほとんどでしょうけれども、穢れている、卑しい、醜い、煩雑、何となく不快、濁っていると感じることがあると思います。

 

欧米人やアジアを含めた海外の人たちに、生きかたの美学があるかどうかは知りません。ただひとつ言えることは、日本の歴史をさかのぼれば、日本独特の美学がそこかしこに在ったことが確認できるのです。

現代日本は欧米化の波にさらされ、「日本」という美学を失いつつあるのではないでしょうか。言語に始まり、身のこなしかた、色彩、音楽、食事、他人との接し方、大自然との関係、価値観、心もち、信条など挙げればきりがありませんが、「欧米文化のほうが先進的で優れている」という盲信、明治の文明開化から始まった「日本の非個性化」が今も進んでいるような気がしてなりません。

欧米の文化や思想、哲学、価値観のほうが日本のそれよりも優れている(または劣っている)という相対化は、無意味だと思うようになりました。なぜならば、人には長所と短所が同じ部分にあって、それをおそらく我々は個性と呼び、短所を削れば長所も削られる、そうなると人間の画一化が始まるわけです。同様に、日本文化の長所と短所も同じ部分にあるのではないでしょうか。もし、日本のほうが劣っていると思う短所を削り欧米的価値観に塗り替えるのならば、それは、さて、どういうことになりましょうか。

 

前々回の(2)で触れました、

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

は、世阿弥の『風姿花伝』にある言葉です。(※「秘せずば」と「秘せずは」の二つの原文出典があり、私は「秘せずば」のほうを使っています。語呂的にも意味的にもこちらのほうがしっくりきますので。)

『風姿花伝』は世阿弥自身も観阿弥から教わった伝承的な文献です。

ほかに世阿弥には『花鏡』という文献があって、「初心忘るべからず」や「目を前に見て、心を後ろに置け(我見と離見)」などなど、生きかたの極意にもつながることが書かれています。こちらは伝承ではなく世阿弥が中年から晩年にかけて著したもので、世阿弥オリジナルです。

 

その『花鏡』から引きます。

幽玄之入境事(ゆうげんのさかいにいること)
幽玄の風体のこと。諸道・諸事において、幽玄を以って上果とせり。
ことさら、幽玄の風体、第一とせり。
・・・・・・

まだ続くのですが、次のテーマは「幽玄の美」を考えてみたいと思います。

なかなか奥深いテーマですが、「幽玄とはなにか」という定義について研究するのではありません。「幽玄」という観念が中国から日本に輸入されたのはおそらく上代(飛鳥ー奈良時代)かと思われますが、そこから約1200年ものあいだ、日本の先人先賢の人たちがどのように「幽玄の美」を捉えてきたのかを考え、大自然の幽玄だけでなく、人としての幽玄の美、あるいは心の幽玄の美、人生の美学としての幽玄といった視点で気づきを得たいと思っています。

実を言えば今日の記事のテーマは「幽玄」にしようと考え、アイキャッチ画像だけはその雰囲気となるものを準備し掲載したのですが、「美しさ」や「美学」について徒然に書き綴ってしまいました。何のために「日本」という個性を考え書いているのかを、私自身が自分に対してはっきりさせたかったのだと、今、思いました。

 

 

 

「日本」という個性(3)


武士道といふは、死ぬ事と見附けたり

『葉隠』にある言葉です。

新渡戸稲造の『武士道』は、江戸時代の徳川家の方針によって朱子学(儒教)を叩き込まれた武士たちの、「武士の文化・規範・心得」を英語によって海外に紹介したものです。

一方、上記の『葉隠』(はがくれ)は1700年代前半に佐賀鍋島藩の山本常朝(つねとも)が武士の精神を口述したものを、藩士の田代陣基(つらもと)が書き留めた心得です。

武士道とは死ぬことなのか。

 

「武士道は死狂ひなり、一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」と直茂公仰せられ候。

本気にては大業はならず、気違ひになりて死狂ひするまでなり。
また武士道において分別出来れば、早後(おく)るるなり。
忠も孝も入らず、武道においては死狂ひなり。
このうちに忠孝はおのづから籠(こも)るべし。

(タチバナ教養文庫版 『新編 葉隠』)

常朝が仕えていた藩主・鍋島直茂が言うには、武士道とは死に物狂いになることであり、そうなった一人の武士は、数十人がかりでも討つことは難しい。

本気ではまだまだダメで、気が違ったように死に物狂いでなければ武士の本懐を遂げることにはならない。

分別を考えてしまうと、気後れするようになる。

藩主に対し忠誠を誓うことや孝行などを考えるようであってはならない。とにかく死に物狂いで生きることだ。さすればおのずと忠や孝に成っているものだ。

 

勘定者はすくたるる者なり。
仔細は、勘定は損得の考へするものなれば、常に損得の心絶えざるなり。
死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。
また学問者は才知、弁口にて、本体の臆病・欲心などを仕かくすものなり。
人の見誤る所なり。

(同書)

「すくたるる者」は臆病な者という意味です。

計算高く、何かにつけて「損か得か」を考える人は、常に損得勘定が心から離れていかず、死は損だと考え卑劣なことをしてでも死を避けようとする、臆病者だ。
また知識を頼り口達者な者は、臆病さや本心の欲を隠している者だ。

 

かの有名な『新渡戸稲造の武士道』とはまったく異なります。
男子であれば、『葉隠』のほうが共感できるのではないかと思うのです。

ここに見えるのは、死ぬ覚悟です。
武士として何をするにも、大前提に、死ぬ覚悟があること。

口先での理屈を嫌い、行動することに重きを置くことは、江戸武士が主に習った朱子学ではなく、陽明学に似ているように思います。どちらも儒教ですが。

 

物言ひの肝要は言はざる事なり。
言はずして済ますべしと思へば、一言もいはずして済むものなり。
言はで叶はざる事は言葉少なく、道理よく聞え候様いふべきなり。
むさと口を利き、恥を顕はし、見限らるる事多きなりと。

(同書 )

男子は、「能書きたれ」になってはいけません。

言い訳をしたり口先でとりつくろったりする男子は女々しい者として男社会では相手にされなかったわけです。言葉でどうのこうのと言うだけで、行動力がさっぱり伴わない者は男の風上にも置けない。
という文化があった。

昭和の終わり頃、おそらく20世紀末までですっかり廃れてしまった。
しかし数百年以上も続いた男の文化が日本にはありました。
現代では男の「勇」をすっかり見なくなりましたね。

 

今では「死に物狂い」の行動を起こせる男子はいないんじゃあないかな。
一方で「負」の物狂い的な犯罪が増えています。

 

なにか、志を胸に抱きコトを成そうとしたとき。
本気程度じゃダメなんだろうな、と痛感しています。
死ぬ覚悟がまだまだ足りていない。

沈着冷静に冴えた頭と、気が違ったような死に物狂いの行動力を併せもたないといけない。

 

 

「日本」という個性(2)


「愛してる」

小林麻央さんの最後の言葉を海老蔵さんが公表したとき、胸が熱くなったかたが多かったのではないかと思います。私もそのひとりです。

私の世代では「愛してる」は世間のそこらじゅうに溢れていて、言葉にするにはちょっと照れくさいながらも、エーイ言ってしまえ!で言える言葉になっていました。おそらく団塊の世代の人たちまでは、歯の浮くような「愛してる」を、口から出す言葉としては憚られたのではないでしょうか。

現代のように幾つかの語義を「愛」という言葉がもつようになったのは、近年になってからのようです。

倫理学者の竹内整一さんは次のように述べています。

「ぼくはかつて一度も、誰かに対して“愛する”という言葉を使ったことはない」と言ったら、「え?」という、戸惑いの反応があった。あえていえば「気の毒に」、という表情でもあったようにも思う。

勤め先の女子大で、倫理学の講義をしたときの話である。いや、むろん人を恋したことも、好きだと言ったこともあるけど、と続けたら、なアんだという顔をされた。

(春秋社版 竹内整一著 『やまと言葉で哲学する』)

 

西洋の「LOVE」は、神によって「愛しなさい」と命じられたことから始まっているらしい。もともとの日本語の「愛す」は、「相手を大切にしてかわいがる」という用法で使われてきたと、同書では述べられています。心のうちで思うというよりも、外的な表現として使われた言葉という印象を受けます。

また、仏教は愛欲や愛執、愛着を人間の煩悩として悪いものとして否定しました。仏教の源であるインド哲学では、すべての感情を棄てることが悟りだとします。同書より孫引きになりますが、「キリスト教が伝来したとき、キリシタンはキリストの愛を「愛」と訳さず、多く「ご大切」と言った」(岩波古典語辞典) という歴史を振り返っても、仏教が広まった当時の日本では、「愛」はあまり良い観念ではなかったことがわかります。

 

では、愛ではなく、どのような言葉で現代の愛を表現していたのかについてですが、同書では以下のように解説しています。

近代日本人が、かつて使われていた「惚れる」「恋する」「慕う」といった言葉に代えて、「愛する」「恋愛する」という言葉を、高邁な、しかし欺瞞的な理念を込めてふり回してきたという批判としては重要な指摘である。

ちなみに、「ほれる(惚れる)」とは、「心が朦朧となり思考力・判断力などを失う」が原義であり、「思いをかけて心を奪われる」という意味である(『岩波古語辞典』、以下同)。

また、「こふ(恋ふ)」とは、「ある、ひとりの異性に気持も身もひかれる意」で、もともとは「君に恋ふ」と助詞に「に」で受けていたものである。「君」によって「恋」という状態にまき込まれたのだという原初の事態をよく反映している(「君に恋ふ」という用法は平安以降)。

さらには、「すく(好く)」とは、「気に入ったものにむかって、ひたすら心が走る。一途になる。熱中する」ことであり、「したふ(慕ふ)」とは、「下追ヒの約か。人に隠した心の中で、ある人・物を追う」ことである。

(春秋社版 竹内整一著『やまと言葉で哲学する』)

 

相手に直接面と向かって言えるのは、「好きだ」くらいなもので、「君に惚れた」「君に恋している」「君を慕っている」という文言はほとんど使わないと思うのです。内心を表す言葉ですよね。

特に、「慕ふ」という感覚が現代では薄らいでいるのではないかと感じますがどうでしょう。

大河ドラマや時代劇では「お慕い申しております」と文(手紙)にあったりしますけれども、上記の「人に隠した心の中で」を思えば、隠しとおすことが美しさであって、本当にそういう文があったのかどうかは疑わしいところです。

 

「愛される」より「慕われたい」と思うのは私だけでしょうか。

もっと言えば、私は、愛されたくはありません。

口から出る言葉で「愛してる」ことを表現されるよりも、言葉には出さずに行動で「慕われている」ことが解る(肌で感じとるわけですが)ほうが百万倍も嬉しいと思うのですが、いかがでしょうか。

「慕ふ」を大切にした日本文化というのは、とても知性的だと思います。

なんでもかんでも開けっぴろげにオープンにしていけば、それはそれは誰にでも解るし、誤解されないですむし、これほど単純なことはない。けれど、理解されなくてもいい、誤解されてもいい、美しくあるために隠すというなかに、知性の奥深さを感じるわけです。

 

古典で有名な言葉があります。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

 

世阿弥の『風姿花伝』にある言葉です。

ここで世阿弥は、秘することに絶大な効用があると説きます。

それは、自分自身に対する矜恃というべきものと、相手に対する心理的効果の二つが大筋なのですが、いったい、650年も前に秘することの心理的効果を考えた人は、世界のどこにいたでしょうか。

「秘せずは花なるべからず」は、人を飽きさせないこと、好奇心を失わさせないこと、探求心を豊かにさせることという、知性的な人間の生命活動にミートするものです。

人間としてもそうですが、昨今、性的欲求について語られる文脈では、肉体的欲求に対象が集中しているきらいがあって、下等動物としてあけっぴろげに皮膚接触的欲求をはたすだけという単細胞的な議論がほとんどです。男性も女性も、秘すれば花、秘せずは花なるべからず、という、高度に知性化された性的欲求について解っていない人が多いことに驚きます。男性も女性も性的魅力がどんどん失われている世相を感じます。

私の知る限りにおいては、「秘せずは花なるべからず」という古典日本文化と同質の文化は世界のどこにもありません。深く考察すればするほど、相当高度な知性的美学です。すべてをあらわにしないということは、観客(相手)の想像心のなかに個人的に芽生える趣に、つまり観客の知性に委ねるという面では、フランス映画のエンディングの美学に重なるものがあります。

 

何が良い、何が悪いと白黒をつけて深い考察を反知性的にサボタージュする価値の単純化として、「秘すれば花なり」を絶対善だと言うつもりはさらさらありません。日本人が大切にしてきた歴史文化に気づき、わが身に宿し直すことは、心が少し、豊かになる気がするのです。

 

 

「日本」という個性(1)


寒さには弱いけれど暑さには強いと自信をもっている私ですが、一昨日と昨日の暑さにはわずかに頭痛も覚え、体から熱さが引いていかない自覚があって、ムムムと思っていたのですが、久しぶりに昨夜から今日にかけて13時間ほど睡眠を摂ってスッキリしました。我ながらよく眠ります。悪い奴ほどよく眠るらしいし。

 

さて。

「多様性を認める地球人類」というテーマが、一部の人たちにとっては目標化されていますが、それに反発しているのが世界的に起こっているナショナリズムへの揺り戻しです。

多様性=ダイバーシティという「一つの目標」は、その目標の画一化をもって多様性を拒否するという、別面でのパラドックスを抱え込みます。未だに日本にもいる欧米文化信奉者は、「日本は遅れている」と日本文化を相対化し、欧米文化のほうが遅れているのかもしれないとの想像を可能性の範疇に置きません。

そもそも「遅れている」や、「ついていけてない」という価値判断は完全な他律であって、しっかりした自律の足場を確立していない未熟性から生まれる判断がほとんどだと思います。欧米の方が優れているかもしれないという価値判断は良いのです。見習うべきは見習って昇華していくことは大切です。しかし相対価値化したことを忘れ絶対価値として妄信し、「日本は遅れている」などというのは、その人の浅薄な判断だと少し考えればわかるはずですよね。何も焦ることも卑下することもない。これは人生一般についても言えることだと思います。

 

地球レベルでダイバーシティの画一化が言われている今こそ、「日本」という個性が活きる時代なのだと考えます。ただそれは、政府のやっている「クールジャパン」という薄っぺらな形式を広めることではなく、日本国民である私たちのこころのなかに、「日本」という個性をもう一度、宿し直すことではないでしょうか。「日本」という国柄にではなく、ひとりひとりの「日本人」の人柄に、誇りと言っては大げさかもしれませんが、アイデンティティを確立していくことが自律であり、ひいては、世界で「日本」という個性を活かせることにつながるのではないかとも思います。

 

以下、西尾幹二さんのブログから引用します。

若い人に期待するのは日本の歴史を取り戻すことです。今、日本の歴史は正当に語られることがなく、ほとんど消えかかっています。しかしだからといって徒らに日本の良さを主張すればよいということではありません。日本を外から眺めることがまず大事です。若いうちに外国で暮して下さい。進んで留学して下さい。

 外から日本を眺めると、他の外国でどこでも普通にやっていることが日本にだけない、というようなことが数多くあることにきっと気がつくでしょう。だから、そこだけ外国に学び、真似すればそれでよい、ということではありません。むしろ逆です。外国からは学ぶことのできないもの、どうしても真似することができないものが確実に存在します。それは何か、日本の歴史の中にさぐり、発見し、そこを基盤にもう一度日本を外から見直して下さい。そうすれば日本の欠陥も、長所や特徴もより明確に分るようになるでしょう。

 外からと内からのこうした往復運動を繰り返して下さい。貴方はきっと歴史を知ることが自分を知ることと同じだということに気がつくようになるでしょう。

(『西尾幹二のインターネット日録』七月七日の記事「若い人への言葉」より)

 

西尾さんはニーチェにかんする日本での第一人者といえるドイツ哲学研究家であり、断片的にですが幾つかの書物を通じてさまざまなことを私に教えてくださっている恩人です。価値観について共感するところが多く、西尾さんの文章に接すると心が落ち着きます。

最近、お体の状態があまり良くないのではと心配するなかで投稿された「若い人への言葉」は、私には、日本を愛し未来の日本を憂う西尾さんの、たましいからの叫びのように聞こえました。

「日本の歴史を取り戻すこと」というのは、「真実の日本の歴史はこうだ」と主張することではなく、「歴史のある日本の良さを外に向けて誇る」ということでもありません。

日本にだけしかないもの、外国からはどうしても真似できないもの、そうしたものを、日本の歴史の中から掘り起こし、まさに「日本」という個性に気づくことなのだと思います。

 

遠く離れた外国から日本を眺めること。

私には観光旅行でしか経験がありませんが、その際にヨーロッパから眺めた日本の「感じ」は、世界地図の右端に細く存在している小さな国のなかで、ごくつまらない現実に右往左往しながら忙しく蠢いている日本人、欧米化が先進的だと信じる日本人、しかし本当の欧米文化ではなくマスメディアによって脚色された欧米、つまり歪曲された欧米文化(例えばジェンダーに関する感覚など)を本当の欧米文化だと妄信してしまっている日本人、欧米には無い深みのある和の文化に誇りをもたずかえって卑下し、無くそうとまで思っている日本人、言葉は悪いですが「井の中の蛙、大海を知らず」を、自分自身の内省として感じることが多々ありました。日本人のひとりとして。

地球を外から眺めることはなかなかできませんが、日本を外から眺めることは案外容易くなった時代です。空想でも同じではないかと思うかもしれませんが、自分がヨーロッパにいる現実感は、「旅行中にたまたま事故か病気で、この地で死に、日本という地に二度と還らないかもしれない」という心境とともにあります。日本国内にいては、「祖国」を感じようとしてもなかなか感じられないのではないでしょうか。

若い人はとにかく若いうちに冒険すべきです。

西尾さんが仰っているとおり、日本を外から眺めることと、日本の歴史文化を掘り下げることの反復は、価値観の遠近法として、価値のなかのマッチングによる閃きとして、新たな価値創造の土台づくりとして優れた方法だと思います。

 

 

TOP
Copyright © 2017-2025 永遠の未完成を奏でる 天籟の風 All Rights Reserved.