独創哲学の仮メニュー/2023年9月版


先月8月6日に作った仮メニューをブラッシュアップした。1か月半も経つと明らかに変わる。3の各種理論については暫定的な項目なので、今後、大きく変わる可能性がある。1の構造原理と2の意味原理については、ほぼ確定的。

****************

『人間原理論』
The Theory of Humanity

--〈哲学的探究からの独自の洞察と創造知〉--
Original Insights and Creative Wisdom from Philosophical Inquiry

1.構造原理(Structural Principles)

 (a) 認識原理論(インプット・表象・解釈・思考・直観・直感・心的勘)
   Principle of Cognition (Input, Representation, Interpretation, Thinking, Intuition, Sences, Hunch)

 (b) 欲求原理論(判断・感情・志向性・意志・欲求)
   Principle of Disire (Judgement, Emotion, Orientation, Will, Disire) 

 (c) 表現原理論(アウトプット・行動・実践・創造・社会的活動)
   Principle of Expression (Output, Action, Practice, Creation, Social activety)

2.意味原理(Principles of Meaning)

 (a) 概念原理論(イメージ・言語)
   Principle of Concept (Imagery, Language)

 (b) 価値観原理論(価値・価値観の確立原理)
   Principle of Value and Belief (Establishing Values and Beliefs)

3.各種理論(Diverse Theories)

 〇 思考理論
   Theory of Thinking

 〇 直観理論
   Theory of Intuition

 〇 判断理論
   Theory of Judgment

 〇 欲求理論
   Theory of Desire

 〇 感情理論
   Theory of Emotion

 〇 志向性理論
   Theory of Orientation

 〇 意志理論
   Theory of Will

 〇 社会関係理論
   Theory of Social Relations

 〇 思想理論
   Theory of Thought

 〇 倫理理論
   Theory of Ethics

 〇 宗教理論
   Theory of Religion

 〇 自然理論
   Theory of Nature

 〇 時間理論
   Theory of Time

 

 

サイト記事を振り返って


長く書かない期間があったり、毎日書いていたり、なんの法則性もなく行きあたりばったりに書いている。調べてみると、今年7月23日以前の記事は約9か月前の2022年10月15~17日に、その前は6か月前の2022年4月11日~16日、その前は約1年間前の2021年4月23日だった。書いたほうが自分のためになることは経験上わかってる。過去には3年間休まずにブログを書いたこともあるし、書くことはストレスにはならない。じゃあ書けよってことなんだが、Twitterにちょこちょこ書き出してからそちらのほうが主になってしまってさ。でも最近、Twitterがブランドチェンジして「X」となり、なんとなくコンセプトに居心地が悪くなり自分のサイトに戻ってきたって感じかな。

だから私にとっては「X」になって良かったのかもしれない。ここが私の「基地」だからねえ。

あぁそうだ。主観的な記事を書く時には「俺」の一人称を使うんだった。けれども、なんとなく軽いエッセー風の場合は「私」のほうが合う感じがある。だから今回は「私」を使おう。

固定ページはすべて常体の文体で書いているんだけども、断想の投稿記事は敬体で書いたり常体で書いたり、今回や前回のようにフランクな文体で書いたり、そのときの気分と記事内容で、自然に文体を変えている。意図はないよ。

書いても書いても、読み直すと消しゴムで全部消したくなる。1年前の記事とか3年前の記事とか、君は何を書いているんだねと言いたくなる。過去の自分は私なのかと同一性を疑いたくもなる。だからね、断想記事は本当は残すのは嫌なんだ。でもなかには、ああそうだったと、過去の自分に気づかされる記事もある。

最近は、本当に哲学している。

8月17日の記事『「思考の方法論」についての探究』は、大きなステップになった。「思考理論」の固定ページを早めにつくろう。概念原理も価値観原理も認識原理も、あの思考方法で構造的に考えれば良い。どういうふうに考えれば、綺麗な論理としてすべてを網羅できるのか、このことは最初に考えるべき課題だった。もちろん、あの分類は思考の方法論としては未だ一部であるし、まだまだ改善の余地が大きいことはわかってる。しかしたたき台としてはこの上ないものができた。

サイトがいい感じになってきた。

 

 

 

断想


雑感。

このウェブサイトに触るのは先の投稿が半年ぶりとなった。コンテンツ整理をしなければと思いつつ、正直に言えば目を背けた。その膨大な作業の重さから逃避していたわけだ。その影響で、毎日のように書くつもりのブログも億劫になってしまっていた。

しかし私に残されている時間はそう長くはない。と思う。特に健康に問題があるわけではないが、年齢的に、いつ大病に襲われるかはわからない。それに加え、頭脳が衰えていく恐れもある。なにより、ブログ投稿が億劫になってしまったことが、知的持久力の衰えを物語っている。

記事投稿のコンテンツを最初は「ブログ」にしていた。いつだったか、それを「コラム」に替えた。しかし過去投稿を読み直してみると、日々の生活日記的なブログはほとんどなく、社会情勢など世間のことにかんする論評コラムもあまりない。

というわけで、ここの「わりと気軽に日々の思いつきを書くコンテンツ」の名称を「断想」とした。過去には案外本格的な数万字の論考を幾つも書いてみたけれども、これからは長くても千文字程度の断想にしたい。断想の内容を深化させたいときは「研鑽の足跡」コンテンツに書く。または移動する。

それにしても、投稿記事と固定コンテンツページを再読してみると浅薄でチープな内容の論考が多々あり、恥ずかしくなる。他方、数年前の自分の方が高い見識だったのではないかと思う論考もある。過去の自分という他人の文章を読むのもおもしろい。

 

 

根拠なき自信?


新春二発目のコラムっていうか、コラム書き始める前の殴り書きなので、どーーーーせ、消すからね、消すんだよ、消す消す必ず消す(笑)

根拠なき自信を持てってたまに聞くんですが、あれってなんですか?自信って必要なの?要らなくない?邪魔でしょ?

だって順番がちゃうよね。実績ができて、そこから自信が芽生えていくっていう順序でしょ。先に自信を持てって言ったってどう持って良いかわからんでしょ。ふつうに考えて。

んでもって、自信なんて簡単に吹っ飛ぶもんだよ。そうでしょ。だいたい傲慢さが自信にはもれなくおまけで付いてくるし。だよね?

自分に可能性を持て、が正しいと思うんだな。人間なんて可能性のかたまりじゃん。小さければ小さいほど時間がたっぷりあって可能性は大きいし。でもいつ死んじゃうかわからんからね。そういう意味では10才の子も80才のおばあちゃんも可能性は同等だとも言える。言えるだけだけど(笑)

言葉を少し変えれば、自分の可能性を信じ切ろ!だね。信じるだけじゃ足りない。信じ切らないとね。

私は何回すっころんで何回恥かいても、自分の可能性だけは信じ切ってますよ。年令とか関係なく、20年前の自分の可能性も今の可能性も同じって感じる。

でさ。自分の可能性を信じ切るというのは、自分だけじゃなくて何に対しても、たとえば未来に起きることとか、他人との関係とか、他者の人格や能力とか、出会いだとか、あらゆることにたいして可能性をみる、ってことの習性によって自分にも可能性を常にみられるってことだと思うんだ。

可能性への志向。心が可能性へ向くイメージなんだけど、じゃあなんで志向性が生まれるんだってところは、未だわかっていないんだ。私もわからないし世界の哲学も科学もわからない。それを考察していくのが私のひとつのテーマでもあるんだけどね。

ま、とりあえずさ。根拠なき自信を持てよりも、自分の可能性を信じ切ろのほうが圧倒的に健全だと私は考えるけど。傲慢にならないし、むしろ謙虚になると思うよ。

君はどう考えるかな?

 

 

 

新しい発信スタイル


5月1日に日本では「令和の時代」が始まり、2か月が経ちました。「令和」の意味について賛否いろいろあったけれど、さすが飽きっぽい日本人らしく、もうその話題は消えました。「令和」の呼び名にどんどん馴染んでいく。「平成」はどんどん古くさくなる。これは「昭和」で体験済みですね。

「令和」を日本政府は「Beautiful Harmony」として海外に紹介しました。しかし考案者とされる中西進教授によれば、「令」は「うるわしい」とされています。

「令」はうるわしい 新元号「考案者」中西進氏が語る

一般的に訓読みをしない漢字だからなじみが薄かったのですが、『令(うるわ)しい』という概念です。『善』と並び、美しさの最上級の言葉です。

中西教授の言わんとしていることを汲み取れば、Beauty とは日本語のコンテクストが異なると思うのです。「令人」や「令婦人」「令息」などに使用される「令」のイメージは、美しいというよりも「上品」ではないでしょうか。

私が海外に紹介するとすれば、「令」は Elegance であり、「令和」は Elegant Harmony としたい。

 

ところで、「令和の時代」は情報の国際的共有が庶民レベルで本格化すると予想しています。このウェブサイトも、今回の元号変更を機に、と言っても2か月遅れなのですが、国際化することにしました。

まず手始めとして、英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)の6か国語、日本語を含めると7か国語で発信していくことにしました。アラビア語他は今後の課題とします。

Google の翻訳アプリにお世話になりますが、同じページの全文自動変換ではなく、1ページずつ(作業としては1文章ずつ)翻訳し、別のページを手作業で作っていくことになります。この理由は検索にかかりやすくするためです。

 

7か国語で発信していく準備として、プライバシーポリシーや、 Google の翻訳アプリを利用する上での遵守すべき帰属表示や免責表示などを、7か国語で別々に表示しておかねばならないことを学びました。プロフィールも重要です。

コンプライアンスを最初に強化しておくことはビジネスもプライベートも基本です。表現の自由を実現する社会は、他者の知的所有権を尊重した上で、社会を構成する者が相互に努力し続けることで成立し保たれます。

 

作業量が膨大なので、コツコツと増やしていくしかありません。翻訳の精度はたぶん低いです。でも、Google の翻訳精度は下がることはなく上がりつづけますし、自動で翻訳ページ自体が作成されていくのも時間の問題でしょう。

まず日本語の原文を、Google の翻訳アプリを使用し英訳します。ところがその英文のままでは、ほとんどの場合、意味が全然異なってしまいます。そのため、日本文を変更しつつ英文を変更していくという作業をします。英文が完成したら、英文をその他の言語に翻訳していきます。

世界の使用言語数上、72億人のうち30億人以上の部分はカヴァーできているはずです。しかしここは個人のウェブサイトでアフィリエイトもありません。書いているのは学問的探究がほとんどで、7か国語でここまでやる人も珍しいかもしれません。

ウェブサイトの新しい発信スタイルの試みは、非目的的です。何か自分に対する利益があるとか、他人に対して利益を提供するとか、そういう功利目的の考えは一切なく、目的はありません。「なんとなく、このスタイル」のイメージです。

何も起こらないのかもしれませんし、海外からサイト内容へのコメントや問い合わせなどの、外の世界からのアクションがあるかもしれませんし、このスタイルで発信していくことで自分自身の内面の何かが変わるかもしれません。

また、このサイトの全体構造を構想し直しています。各ページのコメント欄を解放することにしました。サイトから削ったリンクもあります。マルチリンガルヴァージョンの投稿記事は、今日のこの記事からスタートです。翻訳作業は次の日になることがあるかもしれません。

 

※ サイトのマルチリンガル化にチャレンジしましたが、固定ページと断想ページを合わせると500ページを超えることになり、6か国語で3000ページについて翻訳機能を使うにしてもページ制作は自動ではなく手作業なので、あまりに労力が大きく他のことができなくなってしまい、断念しました。

今後、自動的にマルチリンガルのページが生成されるようになる時期が必ずやってくると思いますので、そのときに再チャレンジすることにします。

 

 

哲学メニューの中間整理


テーマが拡散してしまいましたので、ここで一旦整理することにします。今後、このサイトで何について考察し書いてゆくのか、です。定期的に整理していくことにします。

 

〇 価値論

このテーマが構想のど真ん中です。扱う領域が広いので中テーマと小テーマに区分けします。

1.認識論――構造論

(ⅰ)実在論、観念論、直観論の「ディオ・トレビスタ」

(ⅱ)主観、客観、相互主観性、相互客観性

(ⅲ)解釈と表現

2.自我論――生成論

(ⅰ)自我の生成メカニズム

(ⅱ)無意識の生成

(ⅲ)無意識から意識の生成

3.欲求論――生命体論

(ⅰ)細胞の養分吸収原理解明から個体欲求へ

(ⅱ)細胞の次世代継承システム(生殖や受精の“存在”の謎)解明から個体欲求へ

4.共感論――他者との価値共有論

(ⅰ)理性的共感――論理

(ⅱ)感情的共感――愛、情、侠

(ⅲ)倫理

5.美学論――純日本的情趣論

(ⅰ)悲哀美の情趣

(ⅱ)大西克禮の美学論に学ぶ

6.人生意義論――幸福論

(ⅰ)自己実現

(ⅱ)志

(ⅲ)愛、情、生きかたの美学

7.新価値観生成論――世界の永遠改革論

(ⅰ)目的的創造

(ⅱ)偶発的産出

(ⅲ)自然的生成

(ⅳ)常時生成のための承継システム

 

〇 世界論

人間の造る社会論のなかでとりわけ自由について扱います。次に多次元的(多文脈的)なそれぞれの世界観からのアプローチ。最後に時空的物理世界および人類には永久に発見できない世界の可能性について考察対象とします。

1.自由理論

まず、リベラリズムについて広範囲を網羅的にまとめ、根源へ深く沈潜します。独自のフリーダム理論(リベラルではない)の建設にチャレンジします。

2.多次元的世界観からのアプローチ

地理的国家区分、グローバル経済、宗教・思想とイデオロギー、メディア、科学、インターネット。

3.世界概念論

(ⅰ)空間と時間による物理的世界

(ⅱ)意味と価値による世界

(ⅲ)人類には発見不能な世界の可能性

 

現段階で思いつくままの整理ですが、当然、柔軟に改変していきます。

おおよその羅針盤ができた。

さあ、再出航しよう。

 

 

今夜はライトに


2017年スタートとともに始めたこのブログですが、当初は、4年間アメーバブログで書いてきたような堅調なスタイルではなく、もっとライトで軽はずみな冗談をふんだんに書き散らかしていこうと思っていたのですよ。

ところがどっこい、なんでだろうな、なんでかなー、ほとんどの記事が、ディープで堅い話題になってしまっているではありませんか。

 

すみませんね、ほんとに。

読んでいただく人に忍耐を強いる、ヘビーで長文の記事が多くてすみません。

 

反省してます。

反省してますので、今日もヘビーな内容で長文の固定ページをアップしております(苦笑)

『副題の「5000年」について』

 

 

雑学せず。故に明らかなり。


あちこちに手を付けまくって、さらにそのほとんどについて深く掘り下げ手を加えなければならない、そうした課題が山積している、この宙ぶらりん状態が創造力を生み出す状態として相応しい。というのはひらめきを体験している経験上なのですが、それでも抱え込み過ぎてしまって積載オーバーかなあ、と感じることがあります。それが昨日までの状態、ということに気づいたのが昨日でした。

こうしたときに、その解決方法も心得ています。

昭和の碩学、安岡正篤(1898-1983)の書を読むというのが私のその方法です。

ちょうど良い訓戒の文章がありました。

タイトルの「雑学せず。故に明らかなり」は、中国の『文中子』から安岡先生が引用した言葉の一部です。

広く求めるとどうしても散漫になる。その一例が雑学であります。雑学すると、頭がこんがらがって雑駁になる。生命の一つの重要な特質は純一ということ、統一調和ということであります。

だからわれわれの栄養にしても、よく消化するということが第一で、消化するとは、食物が身体や生命に統一調和することでありますから、消化を無視して摂取すれば、胃腸障害を起こして却って生命をおびやかすことになります。

それと同じで、雑学は精神の消化不良を起こす。過ぎると脳酸過多、脳潰瘍を起こす。酷くなると人格破産、精神分裂ということになる。

(PHP文庫版 安岡正篤著『人生と陽明学』)

 

散漫になって脳が疲れ、忘れてしまうことを脳が強制し、忘れてから数日後に雷光のように閃くのがクリエイションなのですが、20代のときと同じように何でもかんでもどんどん情報を入れ込み、次から次へとどんどん消化してくれると過信していたのでしょう。悔しいけれど、脳の疲労回復に少し時間がかかるようになりました。

さて、宙ぶらりんに散らかしまくった作業テーマの、どこから手を付けようかと全体的に俯瞰するとうんざりしてどうでもいいかとなる。いやまあ、どうでもいいんですけどね(苦笑) いやどうでもよくない!他人さまが絡んでいることは先行してちゃんとやらないとと、深く反省したふりをしている次第です(苦笑)

それは冗談としてまじめにちゃんとやります。

 

21世紀は情報が洪水のようにあふれていて、なおも洪水の量が増えている感じがします。情報の取捨選択というよりも、強い意志をもって「好奇心よ、静まれ!」と。

特に、自分の魂が汚れてしまうようなイメージの情報は避けた方が良い。

雑事に思考を使わない。節約し、その分を大切なところに注力する。

言うは易く行うは難し。自力では難しい時があります。

ここ数日は一日20分くらい安岡先生にお世話になり、改めて自分に一本の筋を通そうと思っている次第です。同時に、鼓舞されようと。

 

 

多人格考察におけるメタ認知


人類文明は、分解、細分化という高等な知能を必要とする作業能力を獲得してから急速に進歩しました。ヨーロッパ発の近代科学が世界を席巻したのも、分解、分析、変革、統合、分解・・・という繰り返しによってであり、手元にあるスマートフォンも、そうして現在のように小型で高性能のものになってきたのです。

この、分解、分析、変革、統合の円環的な高等作業を「人間の性質」や「人間の能力」「人間の世界」に当てはめることについては、古代より東洋のほうが先進的であり、中国には儒教の五常(仁、義、礼、智、信)、孟子の四端、五行、三徳なとがあり、インド仏教では、十二支縁起、六道、四諦、八正道、唯識の八識、五蘊(色、受、想、行、識)、三学、三法、三毒などなど、こうして眺めてみても、いかに東洋文明が「人間とは何か」について探求してきたかが解ります。

西洋においては、個人主義をインディヴィデュアリズム(それ以上分解できない)と形容するように、つい最近まで「1」として捉える以外の考え方はなかったのです。それを分解しだしたのは、ニーチェ~フロイト~ユングの流れでした。(アードラー心理学は従来どおり分解せずに「1」としたため個人心理学と呼ばれています)

フロイトは深層心理と表層意識の二極にこだわったのですが、ユングはタイプ論において8つの性向に分け、なおそれを2分割したので16の性向への分解となりました。そして50代後半からの円熟期には、アニマ、老賢者、グレートマザー、永遠の少年、トリックスターなどの人的モチーフをレトリックとして用いました。ユング心理学は分析心理学と呼ばれます。

マズローは人間の欲求を五段階に分けました(とされています)。が、正確には芸術的欲求については未解明と述べており、円熟期以降には自己超越の創造的欲求が最も高度なレベルにあると修正しています。ピラミッド型の図はマズローが作ったものではなく、マズローの理論とは若干異なっており、多くの人が誤解していると思われます。

 

さて、こうした人間の心についてですが、自分自身で「自分個人」を客観的に観察し分析していくというのは、「人間」という普遍的なものを観察するよりもはるかに高度な作業になります。これを『メタ認知』と言います。

客観というと、自分の外部に視点を置いて自分を観察する、或いは神の視点で天から観察するように思われるかもしれません。けれど実際には、自分の表象世界(自分の内部にあらわれている世界)を、(できるだけ自我を排除した)自分で観察することが本来の客観です。(※内観と客観は異なりますが、わき道に逸れ長くなるのでまた別の機会に)

表象世界には空間があるわけでも言語があるわけでもない。よってユングは老賢者やトリックスターが個人の中にいるというふうに、イメージで表したわけです。イメージ人格になりきり言語によってアウトプットすることで、多人格である自分の、それぞれのモチーフを客観分析するチャンスが生まれます。

私がこのブログで試みているのは、風、炎、水、山、桜、黄昏などの、なんとなくそういうイメージで表すことができる個性的多人格の、メタ認知のアウトプットです。当初は赤や青という色彩で始めましたが、色はどれほどあいまいな中間色でも平面的であり、それ自体が「動かない」、世界としての広がりがなく単純すぎると思い、現在のモチーフにしました。

自分をできるだけ正確にメタ認知するという作業は大変難しいのですが、始めてみて思うのは、それぞれの自分のすがたが明瞭に表れてくる、輪郭がはっきりしてくる、それを理解して自己変革できる(かもしれないと思える)という利点があることです。もちろん光の人格の裏には影の人格が、水の人格の裏には鉄の人格があるのだと思いますが、影では書くものじゃないと思っています。影のニヒリズムで、もうどうでもいいよ、どうせ死ぬんだからという投げやりな気持ちがもわ~っと浮き上がってくることがたまにあるのは事実です。私はそういう自分がいても良いと受け容れていますが、特にアウトプットする必要はない。読者さんの気分を害するのもなんだか気が引けます。

こうして自分のパーソナリティ=人格(気質、キャラクター、個性、感情、欲求など)を分解しモチーフとして分析してみると、一つ一つのモチーフの延長線上すべてに、別々の、「創造」(自己価値に限らず社会価値の創造も)への道が開けていることに気づきました。これは私にとって画期的な発見です。

 

少なくとも私は80歳までは自己創造し続け完成させません。80になってもちゃんと本が読めて考える気力があって、生きていたらそのときは延長するかもしれませんが、80にしてようやく一つの人間となったことにしてみようと、そんなふうにずっと思っています。

社会的に威張る立場の老害にはなりませんので、まあ安心してください。加齢によって気が短く頑固になる人もいればやわらかくまあるくなる人もいるのです。反動なのかもしれせんが。
娘いわく、「お父さんは老人性痴ほう症になったらきっと可愛いお爺ちゃんになるね」とのこと(苦笑)

 

 

セブンのティーン


「(DANZA)さん、何言ってるのかさっぱりわからない」というのが私の仕事のホームページを見ていただいた人たちほとんどの感想で、ちょっと悲しい2017年の船出ですが、、、2017だし、、、まいっか、セブンのティーン、ふふふんふん・・・と開き直りのスルーしてる場合じゃない!

去年10月くらいに制作したホームページから(その時も難しすぎてわからないという悪評だらけ)、がっつり7割くらい文章を切り捨てたのですが、それでもわかってもらえないということで、要は私の表現力の乏しさなんですけど。アメブロで書いてきたような、ここで書いているようなプライベートの個人ブログであれば唯我独尊でよいと思うのですが、仕事はやっぱりまずいだろと、でもどうしたらよいんだろうかと悩んでおります。もともと他人に教えるとか言語で説明するとか、苦手なんですよねえ、というかやる気がない。めんどくさい。

どうしたらよい?

教えてください、お願いします。

あれ以上どうすれば?という私の限界なのですが。

 

仕事のホームページの位置づけは「詳細についてはホームページ見てね」という営業ツールの一つとして考えているのですが、詳細を見てみたら何が何だかわからなくなったというのでは困るわけですよね。そんなんじゃHP無いほうがいいよね。

 

結局、私の目指す、労働や雇用、正社員といった概念の破壊、すべての個人がファウンダーまたは業務受託で収入を得ていく社会の仕組みを小さなところから創り始めること、ということを打ち出すべきではないのかもしれないですね。

だって一般的には正社員が上流階級なわけでしょ、組織の中にいるインサーダーの人たちにとっては。なかなかね、インサイダーにいながらにしてアウトサイダーの視点で自分を客観視し、「奴隷のように雇われている立場から脱却したい」と考えられる人は稀なのだと思います。

これって経営者にとっても大歓迎だと思うんですよ。ふつう一人の正社員を雇うと支払う給与の3倍は覚悟しなくちゃいけないと言われてきました。一社員が占有する会社の不動産的価値、かかる経費や保険、退職金、さまざまなリスクや気づかいする経営者の心理的人件費、特に最近ではブラックだと内部告発されないかとびくびくしなくちゃいけないとか、ちょっとのことでもハラスメントと言われてしまうとか、ほんと経営者にとってはめんどくさい時代で、正社員じゃなくて業務委託で2倍支払ってもそっちのほうが得なのではないかと。いわゆる会社への奉仕の精神だとか、社員一丸となってとか、アウトソーシングに転換してのマイナス面はあるけれど、今どきそういう意識をもっている社員ってどれほどいるんでしょうか。

そうして考えてゆくと、私の目指す方向は必然性があると思っているんですけどどうですか。

 

で、そうしたときに個人の所属欲求が満たされなくなる。バックボーンを持てなくて不安になるわけです。私のような一匹狼ならぬ一匹野良猫タイプで、バックボーンなんて必要ねーぜ、老後に金なくても不安なんかなんにもねーよ、という人は1%くらいしかいないんじゃないの?日本人の85%以上が天皇制を支持しているというし。ああ、国民の依存心に縛られ自由のない哀れな天皇がかわいそう。とのぶつぶつはあとで削除対象かな。

バックボーンをプライベートの個人に当てはめると「宗教」が浮かび上がってくる。欧米やアラブの人たちが強い個人主義(インディビデュアリズム)を発揮し社会で活躍できるのは、キリスト教やイスラム教という宗教のバックボーンがあるからです。ユダヤ人もそう。日本人にも一部には創価学会なんかがあるけれど、ほとんどの国民は安心できる「所属」に宗教を使っていないと思います。

ゆえに私は、日本人こそが世界で最も早く「ポスト宗教」を実現できる国民だと、その可能性に大いに期待しているわけです。このポイントも、うっすら仕事に反映させてしまっている。その辺りも今は要らんことなんでしょうね。書いてるとだんだん気づいてきますね、自分で。

そっか、こういう全体像を表したいという自分の無意識の欲求が仕事のホームページににじみ出てしまっているわけか。それに加えて価値や目的を固定化せず、水に浮かぶように常にフロー(浮いて流れている自然体)の状態でいようという信条もありますから、さらに話をややこしくしているのかもしれませんね。

 

だいたいここのホームページご覧になっていただいてるかたがたにしても、私の悪文に(特に昨日のブログは酷くさすがに自分でもうんざりしながら修正しました)、「は?何言ってんだろ」と思いながらもおつきあいくださって、まいどありがとうございます。また明日のご来場をこころよりお待ちいたしております。

セブンのティーン。

 

TOP
Copyright © 2017-2025 永遠の未完成を奏でる 天籟の風 All Rights Reserved.