多人格考察におけるメタ認知


人類文明は、分解、細分化という高等な知能を必要とする作業能力を獲得してから急速に進歩しました。ヨーロッパ発の近代科学が世界を席巻したのも、分解、分析、変革、統合、分解・・・という繰り返しによってであり、手元にあるスマートフォンも、そうして現在のように小型で高性能のものになってきたのです。

この、分解、分析、変革、統合の円環的な高等作業を「人間の性質」や「人間の能力」「人間の世界」に当てはめることについては、古代より東洋のほうが先進的であり、中国には儒教の五常(仁、義、礼、智、信)、孟子の四端、五行、三徳なとがあり、インド仏教では、十二支縁起、六道、四諦、八正道、唯識の八識、五蘊(色、受、想、行、識)、三学、三法、三毒などなど、こうして眺めてみても、いかに東洋文明が「人間とは何か」について探求してきたかが解ります。

西洋においては、個人主義をインディヴィデュアリズム(それ以上分解できない)と形容するように、つい最近まで「1」として捉える以外の考え方はなかったのです。それを分解しだしたのは、ニーチェ~フロイト~ユングの流れでした。(アードラー心理学は従来どおり分解せずに「1」としたため個人心理学と呼ばれています)

フロイトは深層心理と表層意識の二極にこだわったのですが、ユングはタイプ論において8つの性向に分け、なおそれを2分割したので16の性向への分解となりました。そして50代後半からの円熟期には、アニマ、老賢者、グレートマザー、永遠の少年、トリックスターなどの人的モチーフをレトリックとして用いました。ユング心理学は分析心理学と呼ばれます。

マズローは人間の欲求を五段階に分けました(とされています)。が、正確には芸術的欲求については未解明と述べており、円熟期以降には自己超越の創造的欲求が最も高度なレベルにあると修正しています。ピラミッド型の図はマズローが作ったものではなく、マズローの理論とは若干異なっており、多くの人が誤解していると思われます。

 

さて、こうした人間の心についてですが、自分自身で「自分個人」を客観的に観察し分析していくというのは、「人間」という普遍的なものを観察するよりもはるかに高度な作業になります。これを『メタ認知』と言います。

客観というと、自分の外部に視点を置いて自分を観察する、或いは神の視点で天から観察するように思われるかもしれません。けれど実際には、自分の表象世界(自分の内部にあらわれている世界)を、(できるだけ自我を排除した)自分で観察することが本来の客観です。(※内観と客観は異なりますが、わき道に逸れ長くなるのでまた別の機会に)

表象世界には空間があるわけでも言語があるわけでもない。よってユングは老賢者やトリックスターが個人の中にいるというふうに、イメージで表したわけです。イメージ人格になりきり言語によってアウトプットすることで、多人格である自分の、それぞれのモチーフを客観分析するチャンスが生まれます。

私がこのブログで試みているのは、風、炎、水、山、桜、黄昏などの、なんとなくそういうイメージで表すことができる個性的多人格の、メタ認知のアウトプットです。当初は赤や青という色彩で始めましたが、色はどれほどあいまいな中間色でも平面的であり、それ自体が「動かない」、世界としての広がりがなく単純すぎると思い、現在のモチーフにしました。

自分をできるだけ正確にメタ認知するという作業は大変難しいのですが、始めてみて思うのは、それぞれの自分のすがたが明瞭に表れてくる、輪郭がはっきりしてくる、それを理解して自己変革できる(かもしれないと思える)という利点があることです。もちろん光の人格の裏には影の人格が、水の人格の裏には鉄の人格があるのだと思いますが、影では書くものじゃないと思っています。影のニヒリズムで、もうどうでもいいよ、どうせ死ぬんだからという投げやりな気持ちがもわ~っと浮き上がってくることがたまにあるのは事実です。私はそういう自分がいても良いと受け容れていますが、特にアウトプットする必要はない。読者さんの気分を害するのもなんだか気が引けます。

こうして自分のパーソナリティ=人格(気質、キャラクター、個性、感情、欲求など)を分解しモチーフとして分析してみると、一つ一つのモチーフの延長線上すべてに、別々の、「創造」(自己価値に限らず社会価値の創造も)への道が開けていることに気づきました。これは私にとって画期的な発見です。

 

少なくとも私は80歳までは自己創造し続け完成させません。80になってもちゃんと本が読めて考える気力があって、生きていたらそのときは延長するかもしれませんが、80にしてようやく一つの人間となったことにしてみようと、そんなふうにずっと思っています。

社会的に威張る立場の老害にはなりませんので、まあ安心してください。加齢によって気が短く頑固になる人もいればやわらかくまあるくなる人もいるのです。反動なのかもしれせんが。
娘いわく、「お父さんは老人性痴ほう症になったらきっと可愛いお爺ちゃんになるね」とのこと(苦笑)

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


TOP