夢を食べなければ私は死ぬ


 

光の人モード

20代最後の頃、知人と酒を酌み交わしたときに彼はこう言いました。

「夢を見続けても現実的に食っていけるもんか!」

目の前の現実に対処して稼がないと食っていくことはできないと。綺麗ごとでは生きてはいけないと。

私は彼にこう言いました。

「夢を食わないで生きていけるもんか!」

 

どっちかと言えば当時はバブル全盛期で、私のほうが現実的に脂っこい仕事をしていたのですが。

今でもまったく変わりません。

「夢を食わなければ、私は死んだも同然!」

しばらく死んだも同然の時期があって、今は夢と希望に満ち溢れて行動していますので、余計に「夢を食べる」ことがいかに自分にとって重要なことなのか、よーくわかります。もちろん人それぞれでしょうけれど。

 

気概というのは、「あるべき姿」に対して理不尽を感じ、強い怒りを覚え、それを使命感に導くものです。心意気とも言う。そこに志が生まれる。

「政治は公平・公正であるべきだ」

「貧困にあえぐシングルマザーを、本来あるべき母子の生活に」

断固とした強い意志・信念を持たねば解決はありません。流されてゆくばかりです。

時間がかかることだからと「柔軟な姿勢と思考で」、次の世代へと先送りにされてされてされて、ずっとそうされて、今の社会問題がある。少子高齢化社会もそうです。そこには何の希望も見えない。

元大阪市長・橋下徹さん、Twitterでたまに発言を読むけれど、彼の良いところは常に「~すべき!」と明確に自分が正しいと思う方向を示す姿勢。建設的なディスカッションには不可欠な「争いを怖れない提言」をバシッと述べる。(勿論間違ったことも言うし、彼は後でそれが分かった時に自分の意見は間違いだったといつも認めている)

もともと反論大歓迎なのだ。彼は「正」しいと思ったことを提言し、その意見に対して「反」論があって、そこから「合」が生みだされるトリアーデ(3価値が1組)、ヘーゲル哲学の弁証法を意識しているのだろうと、以前から私はそう見ている。

 

いろいろな性格タイプの人がいて、いろいろとエッジの効いた意見を言う人がいて、それで言論と民主主義が活性化されるのだろうと思う。なんでも緩く許容していく平らな世相では、右肩下がりの斜陽な国になっていく一方だと思います。そこに希望はない。

上野千鶴子さんは、「みんな平等に貧しくなっていく社会でいいじゃないか」と言っていますが、こういう発言があればこそ、「ふざけるんじゃねえ!」と気概をもって希望の灯をともしていこうとする志士が生まれるというもの。だと信じたい。口だけ反発するんじゃなくて行動しないとね。

 

自分で夢を創って、夢を欠かさず食べながら現実にも対処して、人生の荒波を渡っていこうではありませんか。

気概をもとう。