subject(8)―中核となる個人価値観の解体


 

山の人モード

もののあはれとは、自分の志向の先にあるその世界と自分の心が溶けあった、全体感の哀情だと前の記事で書きました。こちらの方向へ論理を展開していきたい誘惑を、今の時点では振り切ります。考察の羅針盤は、できるだけ「心」や「意識」という観念的で不確かな“モノ”を避ける方向を示しているように思います。

また、西洋と東洋の文化比較、インド・ヨーロッパ言語とウラル・アルタイ言語の比較が目的ではない。ヨーロッパや東洋という括り、ウラル・アルタイという括りも大雑把過ぎて、ステレオタイプで精確性を欠きます。それに、あくまでこれらは手段の一つでしかない。

しかし、母国語によって世界を認識する視座や解釈の角度が変化しますし、表現することも変化するのは見てきたとおりです。現代人が生まれてくる遥か昔から、長い年月をかけて醸成されてきた母国語視座による世界観がある。異なる母国語の異なる視座に無自覚無反省のまま、つまりヨーロッパ人と日本人は同じ視座で世界を解釈していると思い込んで生きているのですが、この誤認は、未来の新しい価値への可能性を孕んでいると考えています。

 

さて、D視座での直接世界の図をもう一度見てみます。

 

直接世界Oは実在世界、直接世界Iは観念世界で、それぞれ Object(対象) だけが自分の感覚上に広がっているのですが、いずれも「無意識の Core-Personality に支えられる」と書きました。ここを掘り下げます。

 

前の記事に登場したケーキに再登場願いましょう。

直接世界Oで「ケーキの存在を認識」します。と同時にそのケーキに付随している情報もあります。また、店員さんが笑顔で勧めてくれる。が、これだけでは駄目で、直接世界Iで「美味しそう(生唾ごくり)」が絡まって初めて「食べたいな」という欲求が生まれます。

無意識の Core-Personality はO視座で「それがケーキであること」の名辞と意味とを知っていないとなりません。その知識は私たち個人が内面から獲得したものではなく、実在世界で先人ら他者がケーキの意味を確立させ名付けたものを、後から自分が知り得たということ。あたりまえのことを書いていますが重要ポイントです。自分が認識する以前にそのケーキは存在していた。

ケーキを食べるという経験を通じて「これは自分にとって美味しく、食べる価値が高いものだ」という価値を自分の無意識の中に確立させます。これがI視座のなかで起こっていることです。情報が観念化されており、お勧めしてくれる店員さんの気持ちにも応えたいと思う。食べたことのないケーキについては、食べたことのあるケーキの価値を無意識の中で参考にし、美味しそうか、あまり美味しくなさそうかどうかを判断しています。知性で考えもせずに無自覚に。

急いで付け加えておきますが、ここには身体的状態(体調含)と比較相対的価値変化の二つの要因が、無意識内の価値変動に関与します。I視座内は複雑構造で個体差もありますが、深慮沈潜し解体を試みます。

 

以上の手順を踏んで、「食べたいな」という欲求に繋がる。

そこで初めて、ケーキを手に入れるにはどうしたら良いか、手に入れるべきかどうかをI視座の内部で知性を使って考え始めるわけです。金額が妥当かどうか、手荷物となることはどうか、幾つ手に入れようか、順番待ちは何分くらいかなどを考え、迷いなく買うこともあれば迷って買わないこともある。

次に、「よし、〇〇個買おう」と意思決定をし、行動に移ります。

 

欲求までの過程を解体します。これはケーキに限らない。普遍的に成立するロジックを根源から原理として組み立てていきます。なお、先に書いておきますが、以降に書く分に関してはまだ頭の中で整理できておらず、この場で仮説の叩き台として考えつつアウトプットしてゆきます。

全体的な仮総論としては、O視座(外部実在論的)で意味や価値を学び、それをI視座(内部観念論的)へ表象する。I視座では自分なりに考え価値を与える。自分のなかに定立させた価値を、O視座へ実在化する。価値は変動するので表象も実在もその都度書き換えられる(次の記事で詳述します)。このOとIの連動によってCore-Personalityが造られてゆき、D視座を支える。大まかなダイナミズムは以上のように考えています。

参考図。ディオ・トレビスタ(DIO-Tre-Vista)

 

次の記事では、O視座とI視座の関係性と連動を明らかにしていきたい。予告編になりますが、O視座の解体については以下のチャートを新しく作成しました。

 

 

subject(9)―実在と観念 へつづく。