1.偶然性と必然性 私はこれをまず、自分が主体として捉える場合と客体として捉える場合とに分解したい。偶然性の議論をする上で、偶然と必然の対照性について考えることが糸口になると考えるからである。対比構造の議論によって理解が深化し、新しい本質的な知見が得られるのではないかという期待もある。 そしてこのテーマの向こう側に、自由意志の有無の議論がある... Read More
価値観原理論の更新
価値観原理の理論化は、どこまでも続く広大な地平を眺めるような気分ではあるが、千里の道も一歩からと、モチベーションを維持しながら進めてゆく。犀の角のようにただ独り歩みつづけよう。 今日は、私たちの価値観はどのようなところから影響を受け形成され、修正され、変容していくのかについて。また、私たちはどのような価値観を自己内に立てているのかについて。価値観をカテゴラ... Read More
存在論の解決へ
最近では物理学者が「時間は存在しない」と言っているし、「世界は存在しない」と言った哲学者もいるし、科学者の多数派のなかでは「自由意志は存在しない」というのが定説になっているらしい。 哲学には古くから「存在論」がテーマとしてある。近代ではハイデガーが有名ではあるが、彼の著書『存在と時間』は未完に終わった。「存在論」にかんしては解明できたとは言えないという評価... Read More
人間知バイアス
一般的な人がもつ人間知バイアスの一つについて書いてみよう。人間知バイアスの全部ではなく、ごく一部である。 「~のために」をほとんどの人は考えるだろう。私も考える。しかし多くの一般的な人は「~のために」が必ずあると考える。因果関係を単純に目的論に重ねてしまう。原因があるから結果がある。それを動機と目的に重ねて考える。例えば何のために生きるのかとか、その人のそ... Read More
観念世界の視点と視座
前の記事のように、人間は個人固有の想像力によって、観念世界に幾つもの空間を創造する。そして、それぞれの空間内に自分と他者など個々の「視点」をつくり、その視点から空間内を見つめる。一方では空間の外からその空間全体を俯瞰し把握する「視座」をつくる。つまり「異なる私」が空間の数だけ創られる。その空間の広さは「視角」によって「視野」が変わり、思索と想像の奥行きと議... Read More
観念世界の空間創造
前の記事を少し補足しておこう。実在世界なくして観念世界はないと書いた。なぜなら、観念世界に意味と価値をもとに表象を形成するには、「概念」「言語」「価値観」「論理」といった材料が必要であり、材料についての十分な理解も必要であるからだ。これらの材料と、その理解を手助けしてくれる他者は文献を含めて、自分の環境としての実在世界に存在している。観念世界は随時更新され... Read More
実在世界が観念世界を創る
実在世界がどのように形成されるのかについては、観念世界を分析していく後半にその場面がくる。まずは観念世界がどのように生成され、形成され、変容し、主体によって活用されているのかについて考えてみる。 観念世界は、実在世界からの信号を私たち人間が受け取るところから始まる。生後、実在世界なくして観念世界はない。実在世界は、無限空間と無限時間か、またはそれに近い膨大... Read More
実在世界と観念世界
1.「実在世界>観念世界」 物理的な宇宙空間は、物理的な私よりもはるかに大きい。塵以下の極小である。顕微鏡を使っても存在を確認できないほど極小だ。その極小な私の中に展開している観念世界は宇宙全体のことをどれだけ知っているだろうか。1%どころか0%に限りなく近い値となるだろう。よって実在世界は観念世界よりもはるかに大きい。 2.「観念世界>実在世界」 人間の... Read More
「判断する」ことの種類分解
「判断する」とはどういうことか。判断を行うことは、人間が生きる上で最も重要な行為の一つである。判断は単なる「判る」にとどまらず「決定する」という行為を含意する。私たちは、あらゆる情報を判別し決定する。常にジャッジしているんだ。判断保留も判断に含めるとすれば、判断の連続によって生きることができていると言える。例えば、その情報は正しいのか誤りなのかとか、幾つか... Read More
「学問する」と「思考する」
学問をすることや思考をすることについての哲学的探究は、今後、他のテーマを哲学的探究していく際に、同時並行的に行っていくことにする。例えば前の記事で触れた「可能性」という概念。よい議論をするためには、書籍を通じて古典や先人たちの叡智に触れ、学問をすることが大切なのは言うまでもない。このときに、「学問する」ことについての哲学的探究ができる。 【古教照心】という... Read More