実在世界と観念世界


1.「実在世界>観念世界」

物理的な宇宙空間は、物理的な私よりもはるかに大きい。塵以下の極小である。顕微鏡を使っても存在を確認できないほど極小だ。その極小な私の中に展開している観念世界は宇宙全体のことをどれだけ知っているだろうか。1%どころか0%に限りなく近い値となるだろう。よって実在世界は観念世界よりもはるかに大きい。

2.「観念世界>実在世界」

人間の観念世界は、物理的な空間をとらえるだけではない。私は想像する。宇宙空間を想像するし、人間社会の空間で関係性や価値観地図を想像する。過去を歴史や経験から想像し、その延長上から未来を想像し、「今」の流れをつかむという時間軸空間を想像する。インターネット上で仮想空間を想像する。哲学や思想を考える際には抽象概念空間を想像する。あるいはまったくの空想の、例えば小説や映画などのコンテンツからファンタジー世界を想像する。想像は無限であるので、観念世界は実在世界よりもはるかに大きい。

3.「実在世界=観念世界」

実在世界と比較してどれほど私が極小の物理的存在で、宇宙空間のすべてをほとんど何も知らないとしても、私は観念世界で知らないということを知っている。知る知らないは基準にならない。一方、私の想像は無限であり観念世界が無限であるとしても、私は実在世界に存在する物質であり、物質から観念が生じている過程を考えれば実在世界を超えることはできない。実在世界が私に投影され、私が観念世界を実在世界に投影しているので、二つの世界は等価である。

このように視点をずらせば、実在世界と観念世界を比較すること自体、私の観念ゲームである。これが本質であることは自明ではあるけれども、これを言い始めると終着点はニヒリズムになる。せっかく生きているのだから、知的活動をいきいきとやっていこう。

実在世界と観念世界の関係を明らかにしていくとともに、観念世界の構造とダイナミズムについての原理を精緻に分析し、人間原理の全容を網羅的に体系化する。この数か月間で、青写真はできている。

 

 

 

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