竹内整一先生の訃報に接して


倫理学者の竹内整一先生が9月30日に逝去された。10月5日に報道されていて、私は今日気づいた。私の愛読書『「かなしみ」の哲学』は、何度も何度も読み返している。とても良い本だと思い、別に3冊購入し3人のかたがたに贈ったほどである。他には『「おのずから」と「みずから」のあわい』『自己超越の思想』の2冊を所有している。

「日本」にたいして、感性と情緒によって触れる、そのときに生じる心の潤いがなぜ起きるのか。竹内先生の本は、心の潤いを感じさせてくれるとともに、その理由の考察へと導いてくれる。「かなしみ」や「はかなさ」は、欧米価値観が浸透してきた現代日本人的にはネガティブな印象を受けるのかもしれないが、近代までの日本人はむしろそれを肯定してきた。「かなしみ」や「はかなさ」は、人生の醍醐味であり深みでもあり、避けようとするのではなく、逆に積極的に「かなしみ」と「はかなさ」のなかに潜む「情(こころ)」と「感じ」を味わおうとすることを、竹内先生は私に教えてくれた。

私淑していた師のひとりである竹内先生の訃報に接して、自分の命のあるうちに学恩を未来の人々へお返しせねばならないと、身の引き締まる思いである。

 

 

情(こころ)の芸術


梅雨のシーズンは多湿で不快指数が上昇しますね。クーラーによって除湿された部屋で快適に過ごす現代人。けれど、夏の暑さ冬の寒さ、そして梅雨の多湿感をそのまま経験してゆくことによって、日本人の抵抗力のある丈夫な体がつくられてきたのだとも思います。

こころにも当然、波が生まれます。波浪警報が発令されるような高波や荒波もあれば、平和に凪いだ海もある。感情の起伏とどのように付き合っていくのかは、もしかすると、日本の季節の移り変わりに似ているかもしれません。

 

山折哲雄さんと齋藤孝さんの対談本『「哀しみ」を語りつぐ日本人』のなかに、『感情の“ふるさと”は「季節感」にあり』というテーマがありまして、山折さんは、「“堪え忍ぶ梅雨”が感情に旨味を与えてきた」と書いています。

梅雨と言えば、食品の腐敗が非常に早い時期でもあります。感情を食品に喩えて、山折さんは子ども時代を振り返り次のように語ります。

いまあらためて梅雨の季節を思い返してみると、それはありとあらゆるものが腐敗する時期だったような気がします。いわば「腐敗→発酵」という過程をたどることで、じつはすべてのものが成長し、新たなものが生み出されていく。梅雨とはそんな季節でした。

腐敗→発酵といえば、酒や醤油、味噌などが典型ですが、これらは原料となる米や大豆を一度腐敗させ、そこから旨味のエッセンスを取り出すという意味で共通しています。

思うに、この腐敗→発酵のプロセスは、人間の感情、とくに日本人の伝統的な感情作用に大きな影響を及ぼしているのではないでしょうか。

つまり、「ストレートに感情を表出するのははしたない、浅薄だ。むしろ、洗練された真の感情というものは、一度自分自身のなかで腐敗→発酵というプロセスをたどり、そこからはじめて生み出されるものだ」という認識が、私たちの頭のなかにはたしかにあったのです。

(PHP研究所版 山折哲雄・斎藤孝共著『「哀しみ」を語りつぐ日本人』)

 

腐敗→発酵を感情に当てはめて、梅雨というシーズンは日本人のこころになくてはならないシーズンなのだと述べています。発酵させて夏を迎えるというわけです。

特にこの書は「哀しみ」(※注:悲しみではない)をテーマとしていますので、山折さんの論でいえば、「哀しみ」を腐敗させる。その次に、発酵させるのかおのずと発酵するのかわかりませんが、例として、太宰治と寺山修司を挙げています。二人とも青森出身で、厳しい北方の生活習慣が、秀逸な文学を発酵させる微生物のはたらきをしたのだろうと。

 

しかしですよ。

発酵すれば確かに良いのだろうけど、有機物が分解して腐敗したまま、さらに腐乱の状態になってしまうこともあるわけです。「哀しい」という感情が腐敗し発酵せずに腐乱していく一方であれば困ってしまいますよね。

発酵に必要な酵素が活発にはたらくには、環境が重要らしい。

失恋した時や心に傷を負ったときに、日本人は北へ向かおうとします。この習性はこの書にも書いてあるのですが、理由は判然としないようです。演歌の歌詞のせいかもしれませんが、それは逆で、古くから、なぜか北へ向かおうとする人が多いからそういう演歌の歌詞がウケたという説の方が有力なのかな。

よくわかりませんが、私にも、もの哀しい北国へのあこがれの情があります。

深雪に閉ざされた北国の冬をイメージすると、「哀しみ」を心の小箱にいったん封印して閉ざし、ゆっくりと醸成させ、発酵してくるのをひたすら待つということかもしれません。雪解けの春をひたすら待ち続けるように。

発酵させる酵素は、外部にあるのではなく、自分の心のどこかに内在しているはず。

 

極寒のロシアで生まれた、『カチューシャ』『トロイカ』『ともしび』『黒い瞳』『カリンカ』『ポリュシュカ・ポーレ』などのロシア民謡が日本人に心にフィットし、日本の子どもたちが好んで歌うのは(今はどうなのか知りませんが)、なぜでしょうか?

「哀しみ」とは、情(こころ)の芸術なのかもしれない。

 

 

死別についての思索


体のリセットを行いました。5月末に75Kgあった体重を今朝の時点で67.6Kgまで落としました。20日の時点で6Kgダウン、これで十分かと思いましたが3年かけて肉付きをアップした腰の斜め後ろのぜい肉がどうしても取れず、あと2か月かけてウェストを締めようと思っています。

お酒も飲んでますし(特にジンが中心)、鶏肉、魚類、大豆類、チーズからタンパク質とカルシウムをしっかり採っていますし、野菜の量は普段の2倍くらい食べています。

その代わり、ご飯、パン、パスタ、イモ類等の炭水化物と、甘いもの(チョコレート等)を一切食べていません。あとは有酸素運動をやっているだけです。(最初は一日2万歩を目指し数日頑張りましたが、時間的に非効率なのでやめました)

身長が177cmなのでBMIは、23.94→21.58となって正常値になりました。

ちょっと75Kgというのはショックで(それまで体重計を避けていたのですが)、32インチのジーンズが20本近くあるのですがどれもこれも入らなくなっていて、しょうがない、オーバーオールが3着あるので普段はこれでごまかしていたのですが、そのオーバーオールでさえウェストが・・・(苦笑) 寝る時、横向きに寝ることが多いのですが、布団におなかが接触する…というだらしない状態をいつかはなんとかしよう!と思っていたのですが、ま、3年ぶりにベストコンディションの体が出来てきそうです。

 


 

先月の終わりから今月にかけての一か月間、野際陽子さんや小林麻央さんが癌のために、スポーツ界では西武ライオンズの森コーチが42歳という若さで突然死されました。身近なところでも突然亡くなられたかたがいらっしゃいました。

人は必ず死ぬさだめだと、生命は無常なものだと、そう私の理性が私の頭に語り掛けますが、心のなかの特に情の部分がどうしても納得したくないと言う。

なぜ人間の心とは、「理」ではどうにもならないのか、ここに一つの哲学があります。死は哲学の宝庫です。

この一か月余り、何度も悼みました。そして考え込んでしまいました。

 

人生に何度か訪れる大切な人との別れ。

日本人は「さようなら」と言って別れます。

「左様であるならば、」の略なのですが、では、このあいさつの次の言葉に何を呑み込んでいるのでしょうか。

もし私がスペインに移住したとして、その地で生命の終わりを迎えた場合、私の子どもたちにとって生きていても会うことのできない父と、死んでしまった父と、なにがどう異なるのだろうか。そこに「さようなら」はどう在るのでしょう。

 


 

小林秀雄は死の「予感」について次のように語っています。

己れの死を見る者はゐないが、日常、他人の死を、己れの眼で確かめてゐない人はないのであり、死の豫感(※予感)は、其處(※そこ)に、しつかりと根を下ろしてゐるからである。死は、私達の世界に、その痕跡しか殘さない。殘すや否や、別の世界に去るのだが、その痕跡たる獨特な性質には、誰の眼にも、見粉ひやうのないものがある。生きた肉體(※肉体)が屍體となる、この決定的な外物の變化(※変化)は、これを眺める者の心に、この人は死んだのだといふ言葉を、呼び覺(※覚)まさずにはゐない。死といふ事件は、何時の間にか、この言葉が聞える場所で、言葉とともに起つてゐるものだ。この内部の感覺は、望むだけ強くなる。愛する者を亡くした人は、死んだのは、己れ自身だとはつきり言へるほど、直かな鋭い感じに襲はれるだらう。この場合、この人を領してゐる死の観念は、明らかに、他人の死を確かめる事によつて完成したと言へよう。

(新潮社版 小林秀雄著 『本居宣長』)

 

我々は自分自身の死を知りません。自分の死をもってしても、自分の死は知りようが無いのです。生きているから何事も知ることが出来るのですね。

みずからの死について知っているのは、みずからの死の予感だけだと小林秀雄は言います。そのとおりだと同感します。

その予感は、どのようにして心に根差すのか。

これは、他人の死(もしくは他の生物の死)に立ち会うことでしか、予感という想像力が培われません。厳しい現実の物理的な変化をもって「ああ、この人は死んでしまった」と観念する。そこには、「さようであるならば、」・・・「いたしかたない」という諦めの理性と、現実を絶対に受け容れまいとする潜在意識の情と、茫然自失の空虚感、自分の届かなさの無力感が複雑に絡み合います。

そのすべてが「さようなら」の響きの美しさを支える。

 

小林は、「己れ自身が死んだ」とはっきり言えるほど、鋭い感じに襲われると述べています。そうして、自分の死の予感というイメージが確立されるのだと。

愛する他者の死を、自分の死として、想像ではなく(成り代わるのではなく)、直観として自分が死んだと感じられる、小林秀雄の豊饒な情緒的感性がよく現れている文章だと思います。

人それぞれの心の道に、それぞれの「さようなら」。

 

 

孤独のカタルシス


人類は社会的な動物で、世界地図に人の群れを俯瞰イメージしてみれば、一種類の生物が特に平地に密生し、群生している絵図が浮かびあがります。

自分たちに人類という名を与えた人類にとっては、群生しているなかでの自分らを主観的に観察することが主体となっており、たかだか80年間の生命活動に何がしかの目的や結果を見い出そうとする。人類が群生している外部の観点から、「人類が」「人類は」「私は」との言葉を使う様子を眺めてみれば、まことに滑稽ですらあります。

 

他方、雑草一本一本にそれぞれ一つの命があるように、人間一人びとりにも唯一無二の命がある。群生していても必ず孤独がある。誰にも私の心を救うことはできないし、理解することは不可能だという確たる実感があります。社会で相対的に生きているのは浅瀬であり、深淵においては絶対的な孤独にある。

人間は、群生している俯瞰、客観と、ひとりぼっちの孤独による純粋主観を併せもち、その混沌から自然に生まれてくるものがある。そうした、本来最も大切にしなければならない心の魂の自然作業が、雑駁な社会情報やひと同士のかかわりによって疎かにされ、心と時間の深奥に押し込められてしまいます。

 

イギリスの精神科医であったアンソニー・ストー(1920-2001)の名著から、まずは孫引きになりますがモンテーニュの言葉を引用します。

私たちは、自分が専有し、全て自由に使うことのできる、小さな人目につかない仕事場を確保しなければならない。そこでは真の自由と、最も重要な隠遁と孤独を達成できる。

(創元社版 アンソニー・ストー著『孤独』 )

 

モンテーニュは自由と隠遁と孤独を欲する。孤独への願望です。

孤独への願望の中には、人と接することの煩わしさや社会に群生することで不自由となる感性の鈍化を危険視する一面があると思います。

ここでストーは、同じく英国で精神科医であったドナルド・ウィニコット(1896-1971)の論文『独りでいられる能力』から以下の文章を引用します。(こちらも孫引きになります)

 

精神分析の文献においては、独りでいられる能力についてよりも、独りでいることの恐怖や独りでいたいという願望について書いた論文の方が多いと言ってもよいであろう。

またかなりの量の研究は、引きこもり(孤立)の状態、すなわち、迫害の予感を暗示する自己防衛態勢についてのものである。独りでいられる能力がもつ積極的な側面についての議論が既に始まっていなければならないと私には思われる。

(創元社版 アンソニー・ストー著『孤独』)

 

ウィニコットの著書は近年、子育ての参考書として数多く紹介されています。日本でも多くの翻訳書が出版されていますので、ご存知のお母さんがたも多いでしょう。

孤立する恐怖心から独りでいたくない、帰宅して独りだとすぐにテレビのスイッチを入れて人の声のない不安心を解消しようとする、或いは、独りでは家事が満足にこなせず生活ができそうにないという負の一面から、無意識的に孤独を拒絶してしまう。

逆に、他人との接触が怖い、自分の心が傷つくという一面から、孤独を欲してしまう。

ウィニコットは、そのような恐怖や願望を動機とする孤独については研究されてきたが、独りでいられる能力については、何の議論もまだ始まっていないということを述べています。

 

同著の第二章『独りでいられる能力』はとても示唆に富んでいますが、ここではその中間部分を端折りまして、この章の最後の部分を引用します。

したがって、独りでいられる能力の発達は、脳がその最良の状態で機能するためにも、個人が最高の可能性を実現するためにも、必要なことであると思われる。

人間は容易に自分自身の最深部にある要求や感情から遊離してしまう。

学習、思考、革新、そして自分の内的世界との接触を維持すること、これらはすべて孤独によって促進されるのである。

(創元社版 アンソニー・ストー著『孤独』)

 

独りでいられる能力によって人間の可能性が広がることはよく理解できます。

それよりも私の目を引いたのは、「人間は容易に自分自身の最深部にある要求や感情から遊離してしまう」という言説です。じっくり自分と向き合ってみれば、なるほどそのとおりと腑に落ちる。

そこで何が起きているか。

心の最深部からの要求や感情をごまかすために、無意識的な自己欺瞞が起こっているのではないかと目星をつけたわけです。それは、自我の理性によって行使されている疑いが強い。人間は理性的であることに誇りや知の価値を見い出すプラスのほうばかりに目が向いてしまっており、理性によるマイナスについてはあまりに無自覚かつ無反省です。

最深部にある要求や感情はそのまま心の魂の叫びであって、自我の小さな理性によって魂の本来的欲求はいつまでたっても満たされない。むしろ自己欺瞞によって魂は穢れてしまう。

そうしたときに、孤独でいられる能力が効いてくるわけです。

自我の小さな理性から魂を解放する、自己欺瞞を内省することによって魂が浄化される。

それは、孤独におけるひとりぼっちの内的対話でしか成し得ないこと。

 

冒頭に述べた群生する人類の無常を非論理的に並置させてみます。

 

人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。

私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えて言えば、悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前(さき)にもこの私だけで、何万年さかのぼっても私はいず、何万年経っても再び生まれては来ないのだ。

しかもなおその私は依然として大河の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。

(岩波書店版 志賀直哉著『志賀直哉全集第10巻』)

 

ナイルの一滴としての私。

孤独のカタルシス。

 

 

 

『四季』はまだ聴けない


今日のキャッチ画像は残念な写真です。焦点はどこにあってるのかわからないし、手ぶれもいいところでブレブレな写真ですね。3年前の今日、2014年4月5日に多摩川の土手を歩きながら撮影、桜は満開でした。

この3年間、どうしても聴けない曲があります。
ヴィヴァルディの『四季』。CDはもちろん持っています。

 

雨が続いていた3年前の4月初め。

 

高さ85センチのキッチン台くらいは楽に飛び乗れるのに、君は何度も失敗した。それでもあきらめずにジャンプする。見ていられなくなって、箱で階段を作ってあげた。

あれほど体が濡れるのを嫌がっていたのに、キッチンシンクのなか、まだ水滴がたくさん残っているなかに君は気持ちよさそうに寝そべった。

最初、私はその行為を叱ったんだ。体が濡れて風邪をひいてしまうかもしれないし。

ああ、叱らなきゃよかった。なに叱ってたんだろ、まったく。
叱られた時の悲しい君の目を覚えているよ。ごめん。どうしようもない奴だ、私は。

 

お風呂に入っていると君が必ず入ってくるのはいつものことだったけれど、浴槽に張ったお湯に首を伸ばして、ぴちゃぴちゃと舌で飲み続けていたね。初めてのことだった。

歩くのもよたよたしてきて、フローリングの床を歩くたびにカチャカチャと音が鳴る。爪をしまう力がもう無くなっている。

 

パソコンで仕事をしていると、膝の上に飛び乗ってきてそのままデスクへ。キーボードの上にわざと寝ころんでいる君に、どいてもらおうと動かそうとしても、なぜだか凄く重い。軽くなってしまっているはずなのに。テコでも動かないつもりらしい。

私に仕事をさせないつもりなのだ。
ずっとボクだけを見ていてほしいって、君のまなざしはそう訴えていた。

 

4月4日は病院の帰り道、ずっと降り続いていた雨もあがって、まだ曇り空だったけど、バッグに入っていた君と一緒に多摩川土手を散歩したよね。桜を二人で観たんだった。

どうしてもご飯をたべてくれなくて、私は走って赤ちゃん用のミルクを買いに行ったんだった。お湯で粉を溶かして、スポイトで、少し飲んでくれた。

 

トイレはいつもバスルームの中にあったんだけど、君が歩くのは大変なのでリビングに持ってきた。

夜は寝室まで持ってきた。だって君はトイレじゃないとおしっこしないから。漏らしてもいいのに、もうおしっこの臭いもしない、水が出てくるだけなのに。

 

夜だ。一緒に休もうね。

私の右手のひらに頭をのせて君は寝ころんでた。うつらうつらしていたら君がいない。どこにいったのだろうかと飛び起きた。

どこにと思ったら君はトイレで用を足そうとしていた。目が合った瞬間、君はトイレの中にひっくり返って転んでしまった。もう足で体重を支えられないんだ。

なんでそこまで、ちゃんとしてるんだよ。涙が止まらないじゃないか。

それからはずっと君は私の腕の中にいた。

 

朝だ。朝日が差し込んでくる。一週間ぶりくらいの晴れだよ。

南向きのテラスから陽が差してくる、ポカポカだ。陽だまりにバスタオルを敷いて、君に横になってもらった。

 

久しぶりの太陽で、ほんとに気持ちよさそうに君は半分くらい目を開いていたね。

スポイトを使って口をお水で濡らしてあげるけど、もう舌が出てこない。

 

 

しばらくして、君は私の腕の中で、私の目を見ながら、最後に大きく息を吐きぐったりした。

時計の針は10時25分を指していた。

君を抱きしめながら私は、何度も何度も、ありがとうを連呼していた。それしか言葉がなかった。

 

そのときに、かけていた曲が、ヴィヴァルディの『四季』。

第一楽章。まさにこころ弾む、一気に春の雰囲気となった日。

 

ショルダーベルト付のクーラーボックスに保冷剤をたくさん入れて、その上にバスタオルを敷き、君を寝かせてあげて、一緒に最後の散歩に向かった。

多摩川の河口までずっと歩いて行って、羽田空港の敷地あたりまで行った。そのあと、引き返しながらお花見。たくさんの人がいて、みんな晴れやかな顔をしていた。

明るい声が飛び交っていた。

 

クーラーボックスは私だけがのぞけるような角度で肩にかけていて、君の顔を見ながら歩き続けたんだよ。

何を考えていたのか覚えていない。たぶん何も考えていなかったのだと思う。

そのときに撮った写真が今日のキャッチ画像。

残念な写真だけど、すごく大切な宝ものなんだよ。

 

君は、私が寂しがらないように、できるだけ辛くないように、久々の晴れの日、そして土曜日の午前中を選んだんだ。

だってずっと続いていた雨の日だとか、金曜の夕方だとか夜だとかだったら私の気が狂ってしまうかもしれない。君は最後の最後まで、やさしかった。

 

君は、桜が満開の日を選んだんだ。
毎年、4月5日頃はちょうど多摩川土手の桜が満開になる。

満開の桜を見たらボクを思い出してねって、君はまちがいなく私にそう伝え、私は死ぬまでけっして忘れない。

幾つもの特別な条件が重なった、奇蹟の4月5日だった。

 

17年間半つれそった君は腎不全から尿毒症をおこしていた。猫は腎臓が悪くなりやすいらしい。そんなことさえ私は知らなかったんだ。許してほしい。

君は常に水分を欲しがっている状態で、皮膚からも水分が欲しい状態だったんだよね。だからキッチンのシンクで水に濡れて気持ちよかったんだ。

病院に入院させる手もあったんだけど、そうしなくてよかった。

ずっと一緒だったから。最期までの貴重な時間を、一緒に過ごせて幸せだった。

君もきっとそう思ってくれてると信じてる。

 

 

これほど心が潤う悲しさを、これほど贅沢な悲しさを、これほど幸せな悲しさを、私なんかが味わってよいのだろうか。

恵まれ過ぎているじゃないか。

君にはありがとうしかない。

 

今まで誰にも話せなかったこと。今までブログにも書けなかったこと。

最後の数日のことを、3年たって、ようやく書き残すことができました。

 

でもまだ、ヴィヴァルディの四季は聴けません。

 

 

 

 

「いのち」の縁、同じ血を通ずる士


29年前、最後の昭和である63年に出会い、細く長くですがずっと心で繋がれてきた(私にとってですが)という方がいらっしゃいまして、昨日はその方のオフィスにお邪魔し1時間半ほど話をしてまいりました。2月1日に設立した法人の趣旨を説明し、意見を拝聴したかったことが主目的でしたが。

私にとって「師」なのかどうかはわかりません。ただ知り合った頃も今も変わらず「士」であり、「ピン」で生きている方であります。70代半ばで社会の第一線でご活躍されているかたなのですが、近年は体のお加減があまりよろしくないようで、「そろそろ」という言葉を話の最後に挟んでいらっしゃいました。

9月にお会いした際に、その方が著した一冊の書を頂戴したのですが、昨日はその書を持参し、なにかお言葉をいただきたいと願いましたところ、ご本人の即興の造語だと思いますが四文字熟語の言葉を自筆で書いてくださいました。いつかこの言葉の本当の意味が心にできたときに、ここに書きたいと思います。

書の名は、『人生を豊かにする「歎異抄」』。

タイトルのとおり、その方は親鸞に気づきを得られています。熱心な信仰徒なのかどうかはわかりません。そういう話は出ませんので。その書のまえがきには、次のように述べられています。

本書は宗教学的な立場を離れ、むしろ四十年に近い弁護士生活を通して多くの人々と接した私の経験をもとに『歎異抄』を理解しようとするものです。

親鸞の言説を引用する部分の理解に関しては、「超意訳」だと述べられており、著者ご本人の人生観、人生哲学、ご自身の思想を表している部分が際立ち、その部分にこそ宝石を散りばめた価値があるように私には感じられます。

一部引用します。

自己と他者との関係は、人格(パーソナリティ)同士の対話です。対話者間において相手から発せられる言葉は、その相手の全人格から発せられる言葉として受けとっているのです。

例えば、哲学であれ、社会思想であれ、その学者の著作を読む時にその著作者と一度も会ったことがなくても、その著作者の思想大系を読みとることができるものです。だから、その著作に記載されていない事柄であったとしても、その著作者だったらどのようにその問題を考えるのかを理解します。いわゆる行間を読むということです。

このようにして一度も会ったことのない著作者との間にも対話が成立し、連帯感を共有することができるのです。

人間同士の連帯感をこのように感じることができるのであれば、その相手が現在生きていようがすでに死亡していようが同様に対話をすることが可能であると考えます。この意味で、死者との対話も可能ということが言えるのです。

すなわち、他者との対話は、「いのち」の存在を根源とする全人格的な連帯感のうえに成り立つと考えるからです。

(PHP文庫 髙城俊郎著『人生を豊かにする「歎異抄」』)

 

上記文章の前後では「いのち」について述べられているのですが、そのまままるごと私の人生観と同じで、柔らかく潤いのある内容でありながらも、凛とし毅然とした文体ですっきりと書かれています。自分の心をわかりやすく説明していただいてる気分になります。

私のこのブログも、恥ずかしげもなく自分をさらけだし、全人格で書いているつもりですが、連帯感を共有していただけるかたも、多少はいらっしゃるようで大変ありがたいことです。

一時間半ほどの歓談の内容には、世間の浮薄な俗事にかんする個人的見解の意見交換なども含まれましたが、そうした「頭」で理解し考える内容の価値よりも、互いの「いのち」を分かり合うといいますか、そこに生まれている、血が通じ合った「いのち」の連帯感がすべてです。その連帯感には「言語的意味」はまったくありません。

年齢も離れていますし、私はいつも「髙城先生」と慕って敬意を払っているのですが、髙城先生も常に私に対して敬語をつかって敬意を払ってくださり、オフィスの出口まで見送ってくださります。

その別れしなに昨日は、「また伺います」というこちらの言葉に、「お元気で」という言葉を返されました。一気に涙があふれました。

 

 

 

やらなくちゃね。

 

 

 

 

センチメンタル


感情は抑えることが善なのか、感情を抑えないことは悪なのか。

人間は理性的な動物だとして、理性で感情を全面的にコントロールすることが良いことだとする近代の価値観は、科学の発展によって急速に進むロボット化社会を想定したとき、感情価値の見直しを迫られることになると思います。いやもうすでに「心」に焦点をあてた活動が、さまざまな形で動きは始めています。

感情にもいろいろありますよね。驚きや喜び、楽しみは良い感情だとされ、怒りや悲しみ、憎しみは悪い感情とされています。一方、古代インド哲学では、喜びを含めたすべての感情が執着心の源だとして断ち切ることを善しとしており、それは仏教に継承されています。(日本の仏教は改造されましたが)

そもそも論で、善と悪の価値を相対させラベルを貼っていったのは人類であって、最初からあった自然界の絶対的価値とは違います。ここに踏み込むと哲学論になりますので今日は立ち入りません。

 

悲しみは負の感情だとされているのですが、怒りや憎しみなどと違って他人や社会に対してそれほど悪影響を与えるものではないと思うのです。閉じた自分のなかでの辛さ、苦悩ですよね。

今日とりあげたいのは酷な悲しみではなく、淡い悲しみと言いますか、黄昏(たそがれ)るセンチメンタリズムです。

感傷と訳されるセンチメントですが、英語のセンチメントには情操なども含まれますし少し違ってるようです。英語の語義は横に置き、日本語のセンチメンタル=感傷的な気持ちについて考えてみるのですが、あまり良い意味には定義されていません。「理性的に身を処しないで感傷に溺れる態度(大辞林)」。ここでも理性的が善とされています。

センチメンタルにはナルシシズムが同居していますよね。なのでナルシシズムもテーマに加わってくるのですが、一般社会の常識的と言われる価値観に囚われずに自分のこととして考えてみれば、センチメンタリズムもナルシシズムも自分の心を豊かに、心の傷を癒し潤いを与えてくれる、よきものだと思うのです。

 

話は変わりますが、日没の光景はなぜセンチメンタルになるのでしょうか。

たくさんの子どもたちが遊びまわった小学校の校庭の下校時、かつては多くの乗客で賑わった駅のプラットホームが今ではすっかり寂れてしまっている光景。何を言いたいかはもうお分かりになると思いますが、明の光景と暗の光景の対比を心の無意識下で行ったことによる感傷ではないのだろうかと。どう思いますか?

これから私はセンチメンタルに限らず『哀感』というテーマにスポットを当てていこうと思っています。日常の機会をみつけ哀感の心をつくり、哀感を昇華させてゆくようなイメージ、心潤う表現として、大げさかもしれないが、「哀感が人と世界を救う」こともできるんじゃないかと、なんかそんなふうに直観しているのですが。

 

実は、sentimental 絡みのドメインを元旦に確保しまして、感傷を、間接的に希望を生み出すものとして、なんらかの形で事業化(プロジェクト化)したいと、いや必ずするのだと決意しています。今年20立ち上げるプロジェクトの一つとして。営利事業で厳しいのなら非営利でも良いし、少なくとも新しい価値創造のきっかけにはなると思います。

何も決まっておらず、何の考えも今のところないのですが、直感として出来ると感じたのでチャレンジします。

 

 

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