今日のキャッチ画像は残念な写真です。焦点はどこにあってるのかわからないし、手ぶれもいいところでブレブレな写真ですね。3年前の今日、2014年4月5日に多摩川の土手を歩きながら撮影、桜は満開でした。
この3年間、どうしても聴けない曲があります。
ヴィヴァルディの『四季』。CDはもちろん持っています。
雨が続いていた3年前の4月初め。
高さ85センチのキッチン台くらいは楽に飛び乗れるのに、君は何度も失敗した。それでもあきらめずにジャンプする。見ていられなくなって、箱で階段を作ってあげた。
あれほど体が濡れるのを嫌がっていたのに、キッチンシンクのなか、まだ水滴がたくさん残っているなかに君は気持ちよさそうに寝そべった。
最初、私はその行為を叱ったんだ。体が濡れて風邪をひいてしまうかもしれないし。
ああ、叱らなきゃよかった。なに叱ってたんだろ、まったく。
叱られた時の悲しい君の目を覚えているよ。ごめん。どうしようもない奴だ、私は。
お風呂に入っていると君が必ず入ってくるのはいつものことだったけれど、浴槽に張ったお湯に首を伸ばして、ぴちゃぴちゃと舌で飲み続けていたね。初めてのことだった。
歩くのもよたよたしてきて、フローリングの床を歩くたびにカチャカチャと音が鳴る。爪をしまう力がもう無くなっている。
パソコンで仕事をしていると、膝の上に飛び乗ってきてそのままデスクへ。キーボードの上にわざと寝ころんでいる君に、どいてもらおうと動かそうとしても、なぜだか凄く重い。軽くなってしまっているはずなのに。テコでも動かないつもりらしい。
私に仕事をさせないつもりなのだ。
ずっとボクだけを見ていてほしいって、君のまなざしはそう訴えていた。
4月4日は病院の帰り道、ずっと降り続いていた雨もあがって、まだ曇り空だったけど、バッグに入っていた君と一緒に多摩川土手を散歩したよね。桜を二人で観たんだった。
どうしてもご飯をたべてくれなくて、私は走って赤ちゃん用のミルクを買いに行ったんだった。お湯で粉を溶かして、スポイトで、少し飲んでくれた。
トイレはいつもバスルームの中にあったんだけど、君が歩くのは大変なのでリビングに持ってきた。
夜は寝室まで持ってきた。だって君はトイレじゃないとおしっこしないから。漏らしてもいいのに、もうおしっこの臭いもしない、水が出てくるだけなのに。
夜だ。一緒に休もうね。
私の右手のひらに頭をのせて君は寝ころんでた。うつらうつらしていたら君がいない。どこにいったのだろうかと飛び起きた。
どこにと思ったら君はトイレで用を足そうとしていた。目が合った瞬間、君はトイレの中にひっくり返って転んでしまった。もう足で体重を支えられないんだ。
なんでそこまで、ちゃんとしてるんだよ。涙が止まらないじゃないか。
それからはずっと君は私の腕の中にいた。
朝だ。朝日が差し込んでくる。一週間ぶりくらいの晴れだよ。
南向きのテラスから陽が差してくる、ポカポカだ。陽だまりにバスタオルを敷いて、君に横になってもらった。
久しぶりの太陽で、ほんとに気持ちよさそうに君は半分くらい目を開いていたね。
スポイトを使って口をお水で濡らしてあげるけど、もう舌が出てこない。
しばらくして、君は私の腕の中で、私の目を見ながら、最後に大きく息を吐きぐったりした。
時計の針は10時25分を指していた。
君を抱きしめながら私は、何度も何度も、ありがとうを連呼していた。それしか言葉がなかった。
そのときに、かけていた曲が、ヴィヴァルディの『四季』。
第一楽章。まさにこころ弾む、一気に春の雰囲気となった日。
ショルダーベルト付のクーラーボックスに保冷剤をたくさん入れて、その上にバスタオルを敷き、君を寝かせてあげて、一緒に最後の散歩に向かった。
多摩川の河口までずっと歩いて行って、羽田空港の敷地あたりまで行った。そのあと、引き返しながらお花見。たくさんの人がいて、みんな晴れやかな顔をしていた。
明るい声が飛び交っていた。
クーラーボックスは私だけがのぞけるような角度で肩にかけていて、君の顔を見ながら歩き続けたんだよ。
何を考えていたのか覚えていない。たぶん何も考えていなかったのだと思う。
そのときに撮った写真が今日のキャッチ画像。
残念な写真だけど、すごく大切な宝ものなんだよ。
君は、私が寂しがらないように、できるだけ辛くないように、久々の晴れの日、そして土曜日の午前中を選んだんだ。
だってずっと続いていた雨の日だとか、金曜の夕方だとか夜だとかだったら私の気が狂ってしまうかもしれない。君は最後の最後まで、やさしかった。
君は、桜が満開の日を選んだんだ。
毎年、4月5日頃はちょうど多摩川土手の桜が満開になる。
満開の桜を見たらボクを思い出してねって、君はまちがいなく私にそう伝え、私は死ぬまでけっして忘れない。
幾つもの特別な条件が重なった、奇蹟の4月5日だった。
17年間半つれそった君は腎不全から尿毒症をおこしていた。猫は腎臓が悪くなりやすいらしい。そんなことさえ私は知らなかったんだ。許してほしい。
君は常に水分を欲しがっている状態で、皮膚からも水分が欲しい状態だったんだよね。だからキッチンのシンクで水に濡れて気持ちよかったんだ。
病院に入院させる手もあったんだけど、そうしなくてよかった。
ずっと一緒だったから。最期までの貴重な時間を、一緒に過ごせて幸せだった。
君もきっとそう思ってくれてると信じてる。
これほど心が潤う悲しさを、これほど贅沢な悲しさを、これほど幸せな悲しさを、私なんかが味わってよいのだろうか。
恵まれ過ぎているじゃないか。
君にはありがとうしかない。
今まで誰にも話せなかったこと。今までブログにも書けなかったこと。
最後の数日のことを、3年たって、ようやく書き残すことができました。
でもまだ、ヴィヴァルディの四季は聴けません。