おまえがやらねば誰がやる


モチベーションをつくるために、内心で自分を叱咤する。俺がやらねば誰がやるではなく、おまえがやらねば誰がやるとするところがポイントで、天の声が自分に刺さるようにする。

世のなか捨てたもんじゃないと思うことがある。何の得にもならないのに誰かのためにと一所懸命に尽くしている人や、残りの人生を日本の将来のためにと無私の精神で身を削っている人を見ることがある。そういうすがたを目の当たりにすると、「おまえは何をしてるんや?」「おまえがやらへんかったら誰がやるねん?」という天の声が聞こえてくる。

俺ができることは、日本のためにとか世界平和のためにとか、困っている人のためや社会のためということではない。そういうことはマジョリティーの皆さんにお任せします。それぞれに使命感をもって身を尽くすのであれば内容は何でもいいじゃないかと思う。そうした行動に出ている皆さんは素晴らしい。

将来の日本を憂う気持ちは俺にもあるけれど、それを直接的に目的化して行動する人たちとは別行動をとる。俺は俺にしかできないことを、誰にもできないことを間接的に死ぬまで目立たないようにやる。使命感だけは誰にも負けない。ろくでもない人生を歩んできたツケがたまっているから、誰にも負けないほどに返さなあかん。

情熱の炎が消えるときは俺自身が消えるとき。そのときは生きててはいられない。とりえがそこしかないからねえ。

「使命」というと、誰かにやらされる感をもつ人がいるかもしれない。義務に似た語感のイメージ概念を使命に重ねる人がいるかもしれない。俺には、それは一切ない。なにしろ天の声だから。ところで、「何のために生きるのか」を考える人は山ほどいるだろう。答えがなかなか見つからない人もいるだろう。どうせ死ぬのにと、ニヒリズムに陥る人もいるだろう。

その問いかけには、「俺には使命があるから」と答えたい。

 

 

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