変革の実践、『陽明学』


東郷平八郎、西郷隆盛、吉田松陰、三島由紀夫、高杉晋作、佐藤一斎、大塩中斎(大塩平八郎)、彼らの共通点は何だと思いますか。

今日は『陽明学』について少し書いてみたいと思います。

世間では陽明学と言うと、すぐ革命的な思想・学問、世紀末的な暴動、叛乱の論拠になる学問、又陽明はその典型的な人物である、という風に考える。従ってこれは、信奉する側からいえば革命の書・思想であり、反対する側から言えば危険な人物・学問である、ということになるわけで、そういう考え方・議論がほとんど常識のようになっております。

これは取るに足らぬ浮薄なことでありますけれども、しかしそれはそれで大いに理由はある。と言うのは時代や人心が頽廃(たいはい)してまいりますと、人間には心理、従って良心というものがありますから、必ず警醒(けいせい)自覚の思想・学問・言論が興ってくる。

(PHP文庫版 安岡正篤著『人生と陽明学』)

 

冒頭に挙げた先人の顔ぶれを見ると、いささか過激な思想のように思えますけれど、陽明学の元々は『論語』の孔子を始祖とする儒学思想です。その源泉の中国での詳細は省きますが、王陽明(1472-1529)という軍人系思想家が儒学を実践むきに仕立てた学問です。

彼とその弟子たちの問答集『伝習録』が日本に渡ってきたのですが、この『伝習録』を読むとまったく過激ではない。要するに、王陽明の陽明学(王学・陸王学と呼ばれた)と、日本人の陽明学の内容には乖離があります。

 

偶然にも、中国の陽明学と親和性が高い日本の思想・文化が数多くありました。

日本に渡ってきた陽明学は、武士道(新渡戸稲造の武士道ではなく『葉隠』に近いほうの武士道)、禅、神道、老荘思想などと混ざり合って、日本独特の「日本的陽明学思想」へと発達していった。一方、中国の陽明学は王陽明の死後しばらくすると没落し姿を消してしまいました。

日本の「陽明学」とは、いま風に言えば、実践によってイノベーションを起こす思想・学問です。この「実践」が非常に大事で、それも熱情的実践なのであります。

そういうわけですから、大西郷には大西郷の、三島には三島の、松陰には松陰の、それぞれ自分の信条を混ざり合わせた、少し違った陽明学を各々が胸に抱いていたのです。

 

安岡正篤先生は、大学を卒業する際に陽明学について書いたものが『王陽明研究』として出版されることとなり、それ以降、陽明学者というレッテルを貼られてしまいます。レッテルを貼られることが本意ではない安岡先生は、以降、『論語』や『大学』などの儒学、老荘思想、禅について、多く取り上げるようになります。西洋の学問にも言及は多いのですが、特にオルテガの『大衆の反逆』を高く評価しています。

2017年のいま、軽佻浮薄な世相に人心の頽廃はあきらかにもかかわらず(日本だけでなく世界的にだと思います)、日本精神が落ちぶれた時代には必ず「喝」を入れ続けてきた陽明学はどこへ行ってしまったのか。まだどこかで生きて息をしているのだろうか。安岡先生を最後として陽明学の血脈は途絶えてしまうのだろうか。

少なくとも私の中には小さく生き続けています。

だらしのないことに、この炎は消えそうになったり弱火になったりするのですが、なんとか消さずに生が尽きるまで燃やし続け、社会活動をとおして力強く実践し続けていきたいと思っております。

そこにしか取り柄がないし、あほやし、やらなしゃあないやん。

がんばるぞ、っと。

 

 

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