問題解決でなく希望と憧憬の創造(5)


年初から考察を始めたテーマは今回がラストです。4か月ぶりですが。人が生きてゆくことの本質を徹底的に掘り下げて考え抜きました。この2カ月でそれまでの自分に根づいていた生の哲学を大きく塗り替えることができた。表題のテーマ「未来の希望と憧憬をつくるために」これ自体を変更しなくてはならなくなった。のかもしれません。

今回のシリーズを振り返ると、(1)では「価値観を変えること」が必要ではないかと考え、(2)では「人間のモノ化」が進んでいるのは良くないと考え、(3)では「日本の古典思想」によってモノ化を乗り越えられるのではないかと考え、(4)ではビジネスの「能力主義」も人間のモノ化であると考えました。人間がモノ扱いされている現状が続けば、未来に希望も憧憬もないと思うのです。価値観の大転換を目指そうということで、今回の(5)になります。

(4)の後にぼんやりと、「個性による志向(個の人格主義)」を考えていました。パーソナリティー・ドリブンです。そうしているうちに中国でコロナ禍が発生し、あれよあれよという間に日本も世界もコロナ一色になった。でも今回を機に、「人間という生物の本質」まで掘り下げようとする「心の欲求(心の志向)」が私に生まれ、「人間のモノ化」とサヨナラできる論理ができたと思います。

もう誰も「求められる人材」や「能力のある人材」になどなろうとしないでほしい。

 

途中をいくらか端折りまして結論です。

人間は「反応」によって幸せを感じます。外部から自分への反応だけでなく、自分の内部でも反応を起こします。反応によって感情が生じます。この感情は自分独りだけの、唯一無二のものであり、他者のそれで代替はききません。

「何」の価値に対して反応した時に自分が最も大きな幸せを感じるのか。

その「何」の価値を欲求するのが人間です。

この欲求の先にその人固有の希望があるのです。その人にしかない。

「何」の価値に対して最も大きな幸せを感じるのか、感激するのか、その人固有の感情のクオリティこそが、オリジナル・パーソナリティーを象徴するものです。

反応と欲求、この二つが人間の生の営みそのものであり、何に反応し欲求するかはその人個人に内在する「価値観」で決まります。そしてその「価値観」は人類が創作してきたフィクションです。人類発祥から幾多の文明を経て現代に至るまでの人類知によって創作されてきた価値観は、自分ではなく「他者の総体」が創ったフィクションです。事象は実相ですが、価値は虚構です。

いきなり全ての価値は虚構だと言われて驚くかもしれませんが、この哲学については、本サイトでこれから肉付けしていこうと思いますので、ここでは詳細を省きます。

どのような希望をつくるのかは、どのような欲求が自分に生じるかであり、どのような価値に幸せを感じ感動するのかであり、価値を生み出す価値観はどうせ人間の他者が創作したフィクションなのだから、絶対ではないのだから、自分でそのフィクションを組み立て直して、あなた固有の、世界で唯一の素晴らしい価値観の宇宙を創造してみてはいかがでしょう。「この価値で私は感動できる。思わず感激してしまう。」を幾つか集めてみることが第一歩のような気がします。

誤解のないよう書き添えますが、これは、自分の感情が幸せを感じることをそのまま自分のために欲求し、ストレートに追求してゆくことであって、他者に共感してもらうことを求めたり、他者に押しつけたりするものではありません。社会にとって善という価値観も無関係です。

フィクション構造さえできあがって強い欲求をもてるようになれば、後は自動的に、何も目指さなくとも自分だけの「道」が開かれるはずです。

自分だけの道を歩き始めれば、自分がもっと感動できる価値観に気づき、それを更に組み込んで成長してゆくことになるのではないかと。

私自身もこれから、「フィクション構造」をこのサイトで構想してゆきます。

サイトの地図を全面的に描き直さないとなりませんが、楽しい仕事になりそうです。

 

 

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