前時代的な「人づくり」思想を粉砕しよう


 

光の人モード

現政権はアドバルーンを上げるのが得意らしく、次は「人づくり革命」というスローガンを掲げました。「日本を取り戻す」「美しい国、日本」「アベノミクス」「一億総活躍社会」などなど、エッジの効いたキャッチコピーに我々国民はその都度期待を寄せてきたのですが、例えば「一億総活躍社会」のアドバルーンの真下に行ってみたら何も造られていない空き地があっただけだった、という事実を目の当たりにし、不信を募らせてきたのでした。

「人づくり革命」という今回のスローガンは、コピーとしての切れ味も悪い。「革命」や改革から最もほど遠い政権が掲げても、ただただ、空しさだけが漂っている感があります。

 

そもそも論なのですが、「人づくり」という観念についてどう思いますか?

 

「人材育成」「人材教育」や、「人的資源」などという、ちょっとインテリっぽい言葉を我々は何の疑問も持たずに聞かされ、そしてみずからも表現使用してきたのではないでしょうか。

人は、材料なのか?

人は、資源なのか?

あなたは材料で良いですか? 資源で良いですか?

あなたの子どもや孫が社会や企業の材料や資源で、それで良いのですか?

 

私はまっぴらごめんであります。

自分としてもそうですし、子孫たちがそういう扱いをされれば怒りを覚えます。

 

国家の人材が必要だと、企業の人材が必要だと、そうした文言に鈍感になっている人たちが、その意味を深く掘り下げずに浅薄な表層価値として、人を材料や資源扱いしているわけです。なぜ疑問を持たないのでしょう。

人が「モノ」扱いされるようになったのは、産業革命以降の思想だと思います。

「モノ」扱いが高じて、「プロフェショナル」という何となく響きよい言葉に美化されて、仕事はプロフェショナルであることが良いとされることに、何の疑問も持たないのと同じ現象が生じていると考えております。

サラリーマンはプロフェショナルであれと企業から思想を叩き込まれます。

それは、「能力」であり、「利益を上げられること」であり、「個人的心情を棄てて仮面に徹すること」であり、つまるところ、お金を与えてくれる需要元の欲求を満たす「モノ的存在」であるのです。

自分はプロフェショナルとして仕事をしているんだから、プライベートでお客の立場になって自分が金銭を払うときには、提供する側は自分に対してプロフェショナルであるべきだという堅い堅い信念が、「消費者モンスター」を次から次へと生み出している時代でもあるわけです。

すべてにおける「モンスター化」は、プロフェショナル思想と「人のモノ化」に遠因があります。

 

最近は「正社員」になるために、或いは正社員であり続けるために、「他の人とは取り換えがきかない社員を目指せ」みたいなことが平気で語られています。経営者の立場からすれば、取り換えのきかない歯車なんて一つもないのです。いざとなれば簡単に交換できる。正社員でありたいと願い続ける人の心理欲求、安心感だけを満たすために、コンサルタントや評論家はそう語ってみずからの利益としているわけです。本気でそう思っている経済界の人がいるとすれば、尋常では無いおめでたい人であります。

「人づくり」や「人材」などというコピーや思想は、20世紀の後半に流行しました。かくいう私も20代30代前半の頃はよく使用しました。「社員教育」なんていう、今となっては死語にあたるべき言葉も。なので、「お前の口がそれを言うか」と言われても仕方ないのですが、それでは価値観を変えた人は何も言えなくなってしまいます。

 

いつまで、人の「モノ扱い」をやっているのか。

 

 

人は、つくるものなんかじゃない。

人は、みずから、おのずから「成る」のです。

「教えて育てる」「人をつくる」という前時代的な考えかた、しなびて活力のない価値観を破壊し、新しい価値を打ち立てていこうではありませんか。