無意識を活用した医療


 

夜の人モード

古代の医療行為においては積極的に無意識が活用されていた。科学医療に慣れた現代人はこれをオカルトと呼び蔑視する傾向が顕著だけれども、そのオカルトが治療成果をあげてきたのも歴史的事実である。現代心理学ではプラシーボ効果と呼ばれることもある。

アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見/力動精神医学発達史』では、古代の呪術によって医療行為が行われ、しかも呪術者自身も患者を欺いていることを知りながら、無意識を利用することによって治療の成果をあげていた歴史が記されている。

上・下巻合わせて千ページを超えるこの大著(しかも全頁二段組)の第一章、「力動精神療法の遠祖」は次の文章から始まる。

無意識心性と心的力動の体系的研究は無論かなり新しい事柄に属するが、力動精神療法の起源は、その祖先やそのまた祖先がつくる長い一本の線を辿って遠い過去まで遡ることができる。過去の医学、哲学の教説と旧式の治療法には、すでに一部、人間心性の世界における、普通ごく最近の発見と思われている事柄に、驚く程水準の高い洞察があった。

精神科医は長い間、未開民族の呪医やシャーマンの行う治療の報告にはほとんど目もくれていなかった。そういう報告は、いわば奇談のたぐいで歴史学や人類学者だけが興味をもつものとされていた。呪医とは、迷信の虜になっている無知蒙昧きわまる連中で、放置しても治癒すること受け合いの患者だけを治せる輩か、さもなくば同族人のお人好しにつけ込む詐欺漢とみられていた。

われわれが今日下す評価はこれと違って、もっと積極的な面を認めた評価である。近代精神療法の発展とともに、心理的治癒の機転の謎が注目を浴びるようになり、心理的治癒の具体的詳細は今日のわれわれにもまだ首をかしげるばかりのものが多いことが判ってきた。

(弘文堂 アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見/力動精神医学発達史・上巻』p1)

古代の人々にとって病気は不思議な出来事であり、因果関係には様々な想像がなされた。悪霊の侵入、霊魂の行方不明、タブーを破ったなどの理由がまことしやかに語られ、対処として儀式や告解が行われた。その理由の中で大きな位置を占めたのが「病気という物体が体に侵入した」というものだった。

患者を横にさせて長時間におよぶ儀式を行い、呪医やシャーマンは患者の体から病気を取り出すのである。それは虫であったりミミズであったりしたが、医療行為をする呪医の長があらかじめ仕込んであったものだ。

疾病物体の摘出は、呪医が一種のトリックを使ってみせかけるのは間違いなく、この種の治療の実際を目撃したヨーロッパ人の一部が、呪医とはインチキ医者、詐欺師だと公言していたのも成程と思う。しかし、この種の治療がしばしば成功するのも事実でまず疑えない。(同書 p9)

現代でも未開民族のあいだではこうした医療行為が行われている。同書では、実際に先進国の科学者や精神医学者が興味を持ち、研究にあたったことが記されている。挙げられた多数の事例の中には日本の迷信とその対処法についても書かれている。動物憑依の「狐憑き」を日蓮宗の祈祷僧侶が女性に憑いた狐を追い払った件。現代であれば二重人格の精神分裂症と診断されるかもしれないが、僧侶の腹話術と喝によって完全に治癒してしまったこと。

ここでのテーマは、医療行為にあたる人や医療方法のうさんくささをどうこう言う話ではない。患者のなかで何が起こっているのか、これである。

「病気とは罪に対する罰である」との考えに基づき、自らの過ちや非を告白(告解)することで病気が治癒してゆく例も枚挙にいとまがないということだ。

科学医療に慣れた現代日本人にとっては、にわかに信じられないことばかりではあるけれど、子どもの頃に風邪をひいて町の医院へ行き、注射をうってもらい薬を処方されなぜかすぐに治ってしまったのはなぜだろう。昔の頓服薬を思い出すと紙に包装された中に入っていた粉のほとんどは片栗粉みたいなもので、苦みがあるため砂糖を混ぜて水で飲んだ。今思えば、もしかして砂糖のほうに効用があったのかもと考えてしまう。やはり、プラシーボ効果の力を認めざるを得ない。

同書では、こうした患者の無意識を活用した未開人の医療行為について、その特徴が並べられている。

(1)未開社会の治療者は属する地域社会で現代の医者よりも枢要な役割を果たしている。(略)

(2)疾患の猛威下にある時、特に重症や危険な病いの際には、患者は、薬など治療者の使う治療法よりも治療者“その人”に希望をつなぎ信頼を寄せる。どうやら治療者の人格が治療の主役らしい。(略)

(3)原始治療者はきわめて熟練した技量と高度の知識を持っており、(略)、”高度の学位を持つ人間”である。大抵の原始治療者はやはり原始治療者による訓練を受けて育成され、秘儀的な知識と伝統を継承してゆく集団の一員となる。(略)

(4)(略)、治療者の最重要な治療法は心理的性質のものである。(略)

(5)原始治療の実際は大体集団で行われるものである。普通、患者は自分ひとりでは治療に行かない。親戚縁者が連れて行き、その連中も治療に立ち会う。(略)

(同書 p41-42 )

患者は、治療者の人格を信頼し、安心を得る。

治療者の公けの権威を信用し、未来の希望に期待する。

儀式(セレモニー)が行われ、治療をポジティブに受ける心の構えが変わる。

 

人間の、「信じる力」はあきらかに身体にも精神にも作用する。

これを悪用して信者を悪意に洗脳したり、悪徳商法を行ったりする悪者が世にはびこっているのも事実。

しかし、善い方向へ暗示をかけ、結果として善い成果が生まれるのであれば、嘘つきだとか詐欺師だとか咎められるだろうか。

無意識の活用は、未開人で終わったのではなく、まさに今、始まったばかりだと私は考えています。

 

今日の記事の最後に。少し逸れるかもしれませんが。

その人が何も話さなくても、自分を見ていてくれなくても、ただ、存在しているだけで自分が安心できる、あるいは勇気を奮い立たせてくれる、そういう人物が世の中にはけっこういるのではなかろうか。もっと言えば、想像力をはたらかせて、既に世に無い人であっても、今の自分を見守ってくれている、励ましてくれている、そうした故人もいるのではなかろうか。更にもっと言えば、これは私の体験ですが、一緒に長年暮らし可愛がっていて死別した猫との対話では、心の痛みと懺悔とともに感謝の心が生まれ、慰撫の潤いを感じられるのです。それは、けっしてネガティブなことではなく、素晴らしい体験だと思うのです。