もはやこれは仕事


いや、もうこれは本当に仕事となった。残りの人生を賭けた大仕事と言ったら大袈裟だろうか。

さっきベッドで横になり入眠したが夢見が悪く15分で起きた。ああ、これは再び眠りに入るのに時間がかかるパターンだなと思って起きた。眠くなったら眠ればいい。今、午前4時半。せっかく起きているのだから仕事をしようとなった。哲学として人間原理論をこつこつ創るという仕事である。昨日、価値観原理論を創りながらいろいろ思うこともあって、今俺が生きている貴重さを再認識した。

同じ年齢の友人でステージ4の癌を患って闘病中のやつがいる。あとどれだけ生きられるかはわからない。イスラエルのガザ地区では大空襲のジェノサイドで次々と殺されてゆく非戦闘員の一般人が大勢いる。彼らは、一時間後に自分が生きているかどうかもわからない。自分と相対化してしまう。俺にはやり抜かねばならない仕事がある。安穏としていられない。

この大仕事をやり遂げたとしても、誰にも認められないだろう。誰にも褒めてもらえないだろう。よくやったと労をねぎらってくれる人もいないだろう。俺にはそんな期待は露ほどもない。しかし、必ずや、数十年後か数百年後か数千年後かわからないが、掘り起こしてくれる人がいるはずだと、それだけは信じて疑わない。

あらためて思う。周囲の友人たちを見渡しても、ネット上にいろいろ書いている人たちを見渡しても、死ぬまでの人生を賭けた仕事に取り組んでいる人をほとんど見ることはない。そういう仕事にめぐりあえた俺は幸せ者なんじゃないか。なんかそんなふうに思う。価値観原理を創っているとわかる。幸せや苦悩は、自分自身の観念世界に現象としてあらわれるが、それは一つの例外もなく、価値観によって生成される。つまり、俺が自分を幸せ者と感じているのは、今俺の中にある価値観が素材となって、この現象を生成しているということだ。

人間の希望はここにある。いや、ここにしかない。

 

 

 

 

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