principle(3)生得


 

生得的は先天的と言い換えることができる。対象となる生物(例えば人間)が生まれながらにもっている性質や個別的気質を表す。生得的の対義語は習得的。

近い意味の言葉に本能があるが、現代の学問上ではこの概念は放棄されている。語義の精微さに欠け、論拠に用いれば思考停止に陥る。哲学的にも既に本能という言葉は使われなくなっている(『岩波哲学思想事典』)。なので本能という言葉は、本サイトではなるべく使用しないことにしている。( 実在と観念 の後段部分)

生得は科学的側面からは遺伝と捉えられる。科学では徐々に解明されつつあるが、その解明を待っているだけでは能がない。また、科学は全能ではなく誤りも犯す。正しいとしても所詮、人類知上の正しさだけでしかない。その点に留意しつつ、一つの参考知見として遺伝学を利用していきたい。

自らの存在を遡り生得を考えるとき、両親、祖先、人類の祖先、生物の祖先、地球、宇宙、宇宙以前、人類知の時間を超える何かというふうに広大無辺な時間軸がある。今回の論考では時間軸で生得を考えるのではなく、切り分けとして生得と習得を扱うことにする。

参考になる哲学の学説として生得観念を認めたプラトン、デカルト、ライプニッツらによるものがまずある。一方、ヒュームらのイギリス経験論者は生得を否定し、真っ白なカンバスに人のすべての生の営みが描かれるとした。カントは超越論的議論によって、アプリオリな感性認識能力が人間には備わっていることを論証しようとした。言語学者のチョムスキーは言語能力に生得がなければ幼児の言語獲得は不可能とした。

心理学者のユングは生得を集合的無意識と位置づけ「太古性」についての議論を深めた。彼の『元型論』では、古代からの神話を人類がどのようにして創作してきたかを論拠として、「アニマ」「グレートマザー」「老賢者」「永遠の少年」「トリックスター」などをモチーフに、生得を普遍的に説明しようとした。

生物学の面では進化論的視点から生得は考察の対象になる。

連綿と継がれてきた学問上において生得は古くからのテーマであり、現代の今もなお、新しいテーマとして考究の対象となっている。

先人たちの主たる学説のすべてを参考として取り込み、無意識の混沌(カオス)状態のなかからのセレンディピティを待ちたいと思っている。今の段階では、生得にかんする独自論考は書けない。

 

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