前々回の断想記事にある日本人の生きかたの美意識のなかに、「忍耐」というキーワードがあった。「忍ぶ」と「耐える」は同じような意味ではあるが、前者には美学的な見地がある。後者は物理的な耐性の意味およびそれを精神的耐性に転換した意味がある。前記事までは抽象マックスの視座で書いてきたが、今回は抽象の階段を一段階下りて、「忍ぶ」について考えてみたい。抽象の階段を一段下りれば、個別の概念は数多くあり「忍ぶ」はその中のひとつである。
さて、因幡晃の歌に『忍冬(すいかずら)』がある。その中の歌詞から一部を引用する。
忍ぶという字は難しい。心に刃(やいば)を乗せるのね。ときどき心がいたむのは、刃が暴れるせいなのね。
この曲を俺は良く知らないが、この部分だけはメロディーとともに記憶にあった。歌詞の意味を意識的に考えたことはなかったが、無意識に刺さる文章だから記憶に残っているのだと思う。
引用部分の歌詞では、「忍」という漢字は「心に刃を乗せる」というレトリックを使っている。ときどき心が痛むのは刃が暴れるせいだという、作詞者の感性によるレトリック表現が精神的に美しい。
ところで、本当はどうなのか。
「忍」という漢字を調べてみよう。大修館書店『大漢語林』から引く。
心+刃。音符の刃は、弾力があってしかも強いやいばの意味。しなやかで、しかも強い心の意味から、しのぶの意味を表す。
この解説は明らかに、漢語の「忍」ではなく、日本語の「しのぶ」を意識している。私が知りたいのは漢語の「忍」の起原である。語義については同辞書にこうある。(日本語の「しのぶ」の語義については省く)
【一】1.(ア)たえる。こらえる。我慢する。「隠忍」「容認」(イ)おさえる。ためる。(ウ)あえてする。あえて悪事を行う。2.むごい。思いやりがない。「残忍」3.いつくしむ。【二】しなやかでつよい。「柔忍」
ネガティブな語義が次々に出てくる。ポジティブな語義とネガティブな語義の差が大きい。そう「残忍」「惨忍」の忍でもあるのだ。では、中国でのもともとの語義はどうだったのかが気になる。
「忍心」という熟語が中国にはある。心に忍ぶ、我慢する、という意味で使われた例として白居易の詩がある。唐の時代だ。他方、むごい心、残酷な心、残忍な心の持ち主、という意味で使われた例があり出典は『詩経』。『詩経』といえば中国最古の詩編として紀元前11世紀~紀元前7世紀に成立している。儒教で重視される「五経」のうちの一つとして位置づけられてもいる。
また「忍人」という熟語があり、むごいことを平気でする人の意味で、出典は『左伝』。同書は紀元前5世紀の孔子の時代に成立したと言われるが定かではない。但し紀元前に成立しているのは確からしい。一方で、ポジティブな意味としては唐や宋の時代の熟語がある。これらの熟語の例から、安直に、「忍」の起原の意味は、むごいというネガティブなものであり、それが千年の年月をかけて我慢してたえるというポジティブな意味に変わった、と断定するほどの見識は私にはない。
しかし、紀元前の時代の中国においては、「忍」を「刃のごとき惨い心」として扱っていた事実を留めておこう。
次の記事は、日本語としての「しのぶ」についてである。