
私たちは自由を十分に手に入れた。行動の自由、思想の自由、内心の自由、表現の自由、これらの自由権は、原始社会を除けば過去最大に保証されていると言ってよいのではないでしょうか。
一旦手に入れた自由権は手放したくない。
今国会で審議中の「テロ等準備罪」は内心の自由に踏み込む。政治と警察の国家権力によって恣意的に、罪のない人のプライバシーが監視される可能性は高い。しかもその場合に、罪でなく権力側の勘違いであった際には自分が監視されて調べられたのかさえも本人はわからないままになる。
一方で、観光目的、経済活動目的の外国人は増加しテロの危険性も高くなるのは間違いのないところ。さて我々はここをどう捉えたらよいのだろう。
プライバシーの一部、内心の自由の一部を権力に譲り渡すことによって、安全な信頼社会に安住することができるとすれば、そのバランスによっては歓迎すべきことになるのかもしれない。
監視社会といえば、ビッグデータによって、我々のインターネット接続時のプライバシー情報は、つまりどんなサイトに興味を示しているか、インターネット上にどのような発言をしているか、どのような思想をもっているか、経済的に豊かか貧しいか、そうした個人情報は、Google、Amazon、iPhone、Microsoft などのアメリカ企業を経由して、「アメリカ合衆国の監視下」に置かれる仕組みになっているようだ。
このことについて、さてどう捉えたらよいのだろう。
インターネットを通じての詐欺商法、ハッキング、その他もろもろの犯罪は次から次へと考え出されている。もし事前に犯罪を起こしそうな人物の資質をコンピューターで見極められるようになれば、例えば千葉で起きた女児の殺人事件の重要容疑者である、小児性愛者の男の異常性欲を発見できたかもしれない。
信頼のおける社会をつくるためと、アメリカに自分の個人情報を取得されることと比較してどうだろう。私的には、了解したい。これが中国であれば了解しないが、現状でアメリカの軍事力、経済力、民主政治の信頼性などを鑑みれば、私がインターネットに吸い取られる情報程度ならば、どうぞと言おう。
ただしアメリカの大手企業に限る。LINEは使用しているが信用していない。
テロ等準備罪においても、知らないうちにプライバシーに入り込まれる恐れがあること、警察は信頼するけれども、すべての警察官を信用するわけにはいかないこと、情報は必ず漏れること、こうしたことに対し、おそらくほとんどの国民は不安を感じているはずなので、最大限の注意を払ってほしい。
そしてこれだけは譲れないことがある。
現状では、政治家の犯罪が除外され、警察官の犯罪が除外され、会社法が除外されています。これは不公正・不公平ではありませんか。権力と富裕層に特別配慮するのであれば、明白な憲法違反の法律になる。
手にした自由を一切手放したくない、一切のプライバシー情報を取得されたくない、でも、テロは未然に防いでほしい、犯罪を厳しく取り締まってほしい、異常性愛者を事前に突き止めてほしい、というのはやはりわがままというものだろう。
どこかで折り合いをつけなくちゃならないものだと思います。
難しいところですね。
【 更新情報 】
一日遅れですが、『知の活性化』 の「西洋哲学」「東洋思想」を更新しました。「読書へのスタンス」は若干修正しました。以上、本日の更新情報でした。